09.溜め息が止まらない

 本日午後三時は、休憩時間です。朝の食事にお仕えしたんだもの。

 それは女官だけでなく、騎士団の方も事情は同じだったらしい。


 王宮の北寄り、散策に適した庭園の小道の突き当たり。木立に囲まれて音が閉じ込められる、私が勝手に練習場所としている一角。

 私がヴァイオリンを抱えて向かえば、先にデニス様がいた。

 普段はない木製の椅子が2脚置いてある。持ってきたのかな?


 自分が腰掛けていない方の椅子を掌全体で示して、金髪の騎士様は笑った。


「来てくれてありがとうね」

「どうも」


 ぴょこっと頭を下げて、空いている椅子に腰を下ろす。

 座っている状態とはいえ、この人の体の大きさはよく分かる。脚も長い。なんかさ、おかしくない? 同じ高さの椅子に座って、私は足が付かなくてブラブラしそうなのに、この人は前に投げ出して、やっとついているんだよ? どうなっているの、脚。

 ああ、緊張してきた。


「何の御用でしょうか……」

「敵情視察だよ」

「私、あなたがたの敵なの!?」

「なーんて、冗談」


 肩を揺らして、デニス様は笑う。

 

「敵に立つつもりはないよ。俺にはないし、キミにもない。シェーナーブルンネン公爵に付かない限りね」


 アンネマリー様のご実家の名前が出てきて、ドキッとする。

 しばらく睨み合って。

 

「それってどんな条件なんですか」


 やっと聞いた。

 

「シェーナーブルンネン家は強いんだよ、分かるだろう?」

「それは、今の平穏の立役者ではいらっしゃいますし」

「学校の勉強は得意だったみたいだね」

「……嫌味?」


 緊張より苛立ちが勝りそうだ。なんて思ったところで、デニス様は笑うのを止めた。


「じゃあ、ここからは学校では聞けないおはなし」


 どういうことだ。私も背筋を伸ばす。

 左右をわずかに見遣ってから、デニス様は体を私の方へと寄せ、声も低くした。


「シェーナーブルンネン家は、結局のところは、王家と同じ一族だ」

「つまり」

「家中から王を立てたいと狙っている」


 政治問題、それも大声では言えない類の。

 私も体を寄せると、デニス様が目元を緩めるのが見えた。

 

「なるほど、血筋的には問題ないかも知れない。だが、大義名分がなければ」

「簒奪よね」

「ご明察」


 大きく頷いてデニス様は続ける。

 

「簒奪したら、さすがに民が黙っていない。政権に近い貴族たちだって何を言うか分からないし、俺たち白銀騎士団の存在もある」


 うんうん、と首を振る。


「白銀騎士団は国王陛下の私兵っていうわね」

「そうだよ。俺たちの給料は陛下の私財から出るんだよ。税金じゃなくて」

「ウソ!?」


 そういう!? そういう意味の私兵なの!?


「何代前かの国王がとんでもなく公平かつ啓蒙的でね。国の財産と王家の財産は別とおっしゃって、目録も作ったんだ。さらに、陛下は先代の陛下から受け継ぐのにちゃんと相続税払ったんだよ」

「マジか……」


 それでも、あれだけの規模の騎士団を維持できる陛下の私財ってどうなってるんだろう。さらにいえば、私たち女官のお給料の出所はどこなんだろう。

 陛下の私生活も支えていると考えると、私財かもしれないな。

 あー…… 知りたいような知りたくないような。


「私兵を構えている貴族は多い」


 考え込んだ私に、デニス様がかぶせてくる。

 そうなんだ。


「シェーナーブルンネン家にもあるよ、シェーナーブルンネン騎士団が。公然の秘密だけど」

「秘密なの?」

「それは、王族本家の顔を立てるってやつさ」

「……本当に?」

「うふふ」


 デニス様が笑うのに、ブルッと体を揺れる。


「俺たち白銀騎士団は国王陛下の私兵。主に仕えることが国に仕えることと同じようなものだったりする。でも他の家の私兵はそうじゃない」


 つまりそれは。


「もしもの時、彼らは、王が主人かを迫られる」


 ああ、やっぱりね。


「で、さっきの条件に戻るんだ」

「シェーナーブルンネン家につかない限りっていう」

「そうそう」


 そうそう、じゃないのです。

 シェーナーブルンネン家が公然と反旗を翻した時。白銀騎士団は現国王陛下を護るけど。シェーナーブルンネン公爵に仕える人は、公爵に付いて行くってことだ。


「で、どっち?」


 な、なんて面倒な。

 むっと口を尖らせて、睨む。デニス様はニコニコしてる。

 溜め息が出る。


「うちは…… ヘルマン家はシェーナーブルンネンに縁がなくて」


 南方の山脈沿いの地域に住んでいる親戚はいない、はず。

 他国の楽譜とか楽器とか手に入れやすいって理由で海沿いの、港のある街に住んでいる人が多いから。

 「どちらかというとザルツブルクの方が」

 言ってから、これはこれでザルツブルク伯爵が何かしたときにまずいかな、と思った。

 うーと唸って、口は尖ったままでいたのに。


「そりゃそうか」


 デニス様が吹き出す。


「悪かったよ」


 そのセリフは、審査クリアでしょうか。

 はぁ、と息を吐く。


「なんでこんなことを訊くんです?」

「王妃に私的に呼ばれたと聞いたから」

「職務命令です!」


 思わず叫ぶ。デニス様は豪快に笑いっぱなしだ。

 この人、笑うと童顔に拍車がかかる。金の髪がさらさら揺れて、たいへん眩しい。


「王妃を信用しきれないってのが騎士団の総意だからさ。細かいところまで探りたいんだよ。よろしくね」


 言っていることは眩しくないな。また溜め息が出たけれど。


「というのが一つ。もう一つは友人として」


 デニス様が笑って続けるのに、目が丸くなった。


「友人?」

 誰の?


「アルが―― アルブレヒトがずっと凹んだままなんだよ」


 そっちー!


「アルブレヒト様がどうかしましたか?」


 頬が引き攣る。

 デニス様は眉を寄せ、視線を向けてきた。


「あいつと何話したの?」

「……それは」


 ってか、最後に話してから1カ月経っているんですよ。私が推しの声とか言っちゃってから。


 ――アルブレヒト様の声は彼自身の声、だよね。そうなんだけど。


 溜め息が止まらない。

 横の椅子に座っている人も笑いを止めた。


「あいつさ、惚れっぽいところがあるけど、逆に引きずらないんだよね。執着しないっていうか。だから、君に声を掛けるところまでは予測してたんだけど、恋煩いになるとは思わなくてさ」


 何それ、と心臓がぎゅっとなる。


「逆にお聞きするんですけど、なんで恋煩いって思われたんですか?」

「ヴァイオリンが聞こえる度に溜め息付くんだよ」


 デニス様の長い指が、抱えっぱなしのヴァイオリンケースに向く。


「王宮に人多しと言えど、ヴァイオリンを弾く人は多くない。それも女性となると絞るのは簡単だ。さらに君は、ここ最近で知り合ったばかりだからね。惚れっぽいアルブレヒトの性格を考えると、君しかいないんだ」


 微妙にドヤっている。そんな、名推理!みたいに言われましても。


「アルブレヒト様って惚れっぽいんですか」


 そんな情報はいらなかった。

 いらなかったし、いらなかったと思う自分が厭だ。

 溜め息が止まらなくなって、ヴァイオリンを抱え込んで、俯く。


「……悪かったよ」


 別の溜め息。がこん、と椅子が鳴る。

 立ち上がったデニス様が、静かに右手を出してきて、つれらて右手を出す。


「演奏家の手は大事にしなきゃって話だったね」


 柔らかく持ち上げられて、静かに口元に寄せられた。でも、触れていない。

 そのまま離されて、なんだろう、と瞬く。


「アルブレヒトが本気だったら、応援したいんだよ。俺、兄貴分だからさ」


 またウインク。


「兄貴なの?」

「そうそう、俺の方が二つ年上」

「でも、スヴェン様がさらに年上ってはなしじゃない」

「あれは手のかかる長男坊」

「なるほど」


 つい吹き出した。


「俺、実の兄弟でも真ん中だし。騎士団でも真ん中だし、気を遣ってばかりなのさ」

「わかります。私も上に二人いて、下にもう一人」

「おや、気が合うねえ。友人としてこれからも頼むよ」


 眩しい笑顔のまま、デニス様は踵を返す。

 

 しまった。アルブレヒト様についてもっと聞けば良かった。

 応援したいってなんですか。そこでボケきれるほど、私はピュアじゃないんですけど。


「今更、恋で悩むなんて恥ずかしいんですけど?」


 指先でヴァイオリンを撫でる。折角だから、ちょっと練習してから、帰ろうかな。

 よしっと気合を入れて立ち上がる。弦を張って、弓を構えて、深呼吸。そのまま、最初の音を鳴らす。


 開き直って恋の歌だ。

 またアンネマリー様に聴かせる日があるかもしれないし、というのは建て前。

 本音は、チリチリと胸の奥で動く影のためです。


 旋律が盛り上がって、ふと顔を上げる。視界の隅に灰色の髪が見えた。

 

 ――待って。

 声が出ない。呼び止められない。


 白い上着の背中は、すぐに木立の向こうへ消えてしまった。

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