08.その恋は秘めるもの

 あれから1ヶ月。毎日は変わらず続く。

 女官としてあくせく働き、お給金は実家に送ったり貯めたりして、隙間時間には庭園の突き当たりに逃げ込んでヴァイオリンを鳴らす。


 何が困るって、普通に過ごしているだけなのに、いろんなタイミングでアルブレヒト様を見かけるのだ。

 陛下の護衛に立たれている姿だったり、王宮の哨戒だったり、お仕事されているんですよねって姿は勿論。


 庭園でぼんやりと空を見上げているところを見た。貴重なオフショットですわよ、奥様! 結ばれていない長い髪が、白い上着に流れているのは非常に麗しかった。素晴らしいスチルですわよ、奥様ー!

 って、スチルを拝むのはヒロインの役目じゃないですか。私、モブなんじゃないですか?

 遠くから見つめるだけって、なにこれ。私は恋する乙女ですか。


 こんな具合でして、一度も口は利いていない。

 だから余計に、苦しい。


 これはあれか。断然君に恋して……いて堪るか!


 本当にもう、散々だ。


 散々なことは続く。


「王妃様に演奏して差し上げるよう」


 突然部屋まで押しかけてきた女官長にそう言われて、石像と化しました。


「あなたはあのヘルマン一家の者でしたでしょう。そうでなくても、これは名誉なことです。王妃様直々のご指名ですから」


 名誉なのは理解しますよ。しますけど、何故突然私なのでしょう。王宮には名うての演奏家が詰めてらっしゃるのではないですか?


「わたしがお勧めしたの」


 答えは思わぬ方向から飛んできた。

 同じ部屋で寝起きしている同僚から。


「……カタリーナ?」


 銀髪で色白の、今日も可愛らしい友人は、笑顔も大変可愛らしい。


「わたしが王妃様にご推薦したら、是非っておっしゃってくださったのよ」


 言っていることは可愛くない。可愛くないことを繰り返さないほしい。


「王妃様はご実家であまり音楽に親しむ機会がなかったんですって。王宮では触れることが多くなるかと思っていたのに、生演奏を聞けたのは結婚式その日だけで、ガッカリされたっておっしゃるから」

「それならちゃんとした演奏家に……」


 よし、やっと意見を言ったぞ。


「演奏料がかかりますでしょう?」


 あ、費用削減ってことですが。悲しい。


「貴女はあくまでも女官として御前に上がるのです。よろしいですね」


 ええ…… そんな、もう、見事なやり甲斐搾取だなぁ…… いつから王宮はブラック職場になったの?


「かしこまりました。いつお伺いすればよろしいのでしょうか?」

「今からです」


 鬼! 準備の時間0ってめっちゃブラックじゃん。


「早く!」


 鬼! 悪魔!


 紺色の仕事着のまま、ヴァイオリンだけ抱えた状態で、連行される。

 行先は王宮の2階、西側の夕陽が差し込む一室だ。


「王妃様、お連れしました」


 女官長に続いて部屋に入り、頭を下げる。

 そこそこの広さの部屋は、白い什器と赤いファブリックで整えられていた。鮮やかな色遣いで、とてもエレガントな雰囲気にまとまっている。

 中央に置かれたソファは、感覚的には三人掛けだけど、今は一人しか座っていない。王妃アンネマリーその人だ。食堂に現れる時とは違い、切り替えもフリルも少ないローブを着ているだけ。

 なんて、しどけない姿。ここは王妃のプライベートな部屋ということだろうか。


「ご苦労様」


 僅かに首を傾げ、王妃様は私を真っ直ぐに見つめてきた。だから私も見つめ返す。

 鼻筋の通った、堀の深い顔立ち。瞳は深いブラウン。赤みがかった明るいブロンドと合わせて、すごい色っぽい。

 ……こんな顔だったんだ、と思って。脇腹を小突かれた。


「し、失礼いたしました」


 女官長のパワハラだ、暴力だ!

 とはいえ、一介の女官が王妃様の顔をしげしげと見つめて善いものじゃない。


「貴女が、ヘルマン?」

「はい。ロッテ・ヘルマンです」


 答え、腰を折る。くすくすと笑う声が聞こえる。

 ゆらりと彼女が手を振ると、女官長は壁際まで下がっていった。そこにはお茶をサーブする女官も静かに控えている。私もそっち側が良かった! ソファにかけた王妃様と一対一で向き合うように立つ。

 緊張で、ゴキュリと唾を飲み込む。

 まだ王妃は微笑んでいる。


「早速、一曲お願い。なんでもいいわ」


 なんでもいい! それが一番困りますけど!

 唇を噛んで、それから。弓を握る。


「では、私が一番得意な曲を」


 なーんちゃって! 指慣らしになる曲を弾かせていただきます!

 とはいえ、好きな曲であるのは確かだ。

 お祭りの踊りの曲。男女がお互いを誘い合う時の、照れ臭いながらも素直な感情を現す歌だ。

 ピュアな大好きが詰まっている、とでも言いましょうか。あまりにピュアなもので、お子ちゃまの恋愛ごっこじみたところもあるけれど。


 それが終わると、王妃殿下は目を閉じてじっとしている。これはお気に召さなかったか。

 女官長が無言の圧を掛けてくるので、2曲目に移る。


 今度はもうちょっと大人に。恋に落ちたことを高らかに宣言する歌でどうだ。

 夜の酒場が似合う歌です!


 あ、地味にダメージが来るな。

 アルブレヒト様を思い出してしまう。

 

 まあ、ヴァイオリンである限り、歌詞なんて弾いている私にしか分からないし、何も伝わってないと思うけれど!


「ねえ」


 唐突にアンネマリー様が口を開く。


「わたくしの夢をかなえてくださる?」

「夢、でございますか」


 弓を止めて、見向く。


「ええ」


 唇を一度舐めて。


「恋の歌をお願い」


 心臓がきゅっと縮み上がる。何かバレただろうか。

 ちらりと横を向いたけれど、女官長は静かに立っているだけだ。

 ひええええ、マジか。どうするのよ!


 アンネマリー様の視線はまったくブレない。私をヒタと見つめたままだ。

 つまりリクエストに変更なし。


「では」


 深呼吸。

 あまり弾かないけれど。

 遠くの恋人を想う歌を奏でましょう。どんな時も心変わりなどないと信じ、再会を祈る歌。

 これまた、アルブレヒト様を連想させる…… 勘弁して。


 何度も瞬きを繰り返してから、見れば。

 アンネマリー様の表情筋はピクリともしていないけれど、聞き入ってくださっているのは伝わってきた。


 きっとこの方は本当の恋をしている。そんな確信を抱けてしまうほど。


 ――同じですね。


 でも、その恋は秘めるものだ。だって、私はアルブレヒト様を怒らせてしまったし。王妃様はもう、国王陛下と結婚されたのだから。


 ――いやいやいや。どういう想像よ、コレ!?



 ゲームではたしか、アンネマリーはヤンデレを拗らせて、攻略対象たちを不幸にしていく。究極のヤンデレが国を滅亡まで追い込むことなのだ。

 スヴェン様やデニス様、それにアルブレヒト様。そして陛下も攻略対象だった…… ような? 他にも何人かいたよね、攻略対象。

 ゲームの全てを知っているわけじゃないけれど。ヒロインは何を思って彼らを不幸に巻きこんでいくのだろう。

 今のアンネマリー様から感じる不幸の欠片は、他人のものじゃなくて、アンネマリー様自身のもののような気がする。



 そんなこんなを考えさせられた演奏は。急な仕事だったのに、だからと言って翌朝のお役目は免除されなかった。ちぇっ。


 今朝の食堂も寂しい。国王陛下がお一人で食事を済ませられる。

 さよなら、陛下本命説。


 ちら、と視線を送ったら。今朝も護衛は二人。一人はデニス様だ。目が合うと、にっこりと笑われた。


 食事を終えた陛下は静かに立ち上がる。先に歩き出した騎士に続いて、陛下は歩く。その後ろにもう一人――デニス様が立つはずなんだけど。


 その前に私に寄ってきた。

「午後3時にバイオリンを」

 それだけ言って、身を翻して去っていく。今度は何事なの!?

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