07.この感触は今生きているから
並んだ馬を数えれば18頭。フルゲートだ。……門はないから、横一列に並ぶだけだけど。
前世の競馬と一緒じゃんと思った瞬間、馬好きでいつも競馬新聞を抱えて笑っていたおじいちゃんを思い出しちゃった。
勘弁してほしい。
私はロッテ・ヘルマン。4人兄弟の3番目で、この国の王宮で働く女官で、アマチュア演奏家だ。
両手で頬を叩く。意識よ、今を向け。
「ロッテ?」
隣のカタリーナが、目を丸くしている。
この可愛い親友を泣かせるわけにはいかない。
「大丈夫よ」
笑う。
「ほらほら、ちゃんと見なきゃ。スヴェン様の出番でしょう?」
「ええ。デニス様とアルブレヒト様もいらっしゃるわ」
そうそう。デニス様と、アルブレヒト……様。ああ、また目の奥が疼く。
芝生のコースには凸凹があると、外の席からでも分かる。まず訓練場の端をぐるっと一周、その間は倒れている木を飛び越したり、柵と柵の間を通り抜けたり、そこそこの障害があるけれど、最後は真ん中の平らな直線をトップスピードで走る。カタリーナがそう説明してくれた。
合図とともに馬は一斉に走り出した。
足音が轟く。あ、このリズムいいな。楽しくなれる曲だ。
ドドドドド、ドドドドド、という音。ずいずい身を乗り出していく。
柵と柵の間は狭いから、通る順番を譲り合ったりなんだりして、ほのぼのとレースは進んでいたのだけど。最後の直線に入るなり2頭が飛び出した。
スヴェン様とデニス様だ。
風を受けて広がる金の髪を振り払うこともなく、デニス様は走る。その横にぴったりと付けて、スヴェン様は鞭を振るう。
集団は縦に伸びていく。観覧席からは歓声が上がる。
トップの2頭はどちらも譲らず、そのままの速さでゴールに突っ込んでいった。
拍手が起こる。
その中を次々と、馬が訓練場の向こうへ駆け抜けていく。ええっと。最後に走っていった1頭はアルブレヒト様、よね?
「俺は頭脳派だからね」
とは本人の弁。
終了後、訓練場まで入って騎士たちと話す時間があるというから、私とロッテも席から降りていった。
のだけれど、周囲は着飾った貴族――ご令嬢たちでごった返してした。ここはマッチングパーティーじゃない! スヴェン様たちもご令嬢に囲まれていたのだけど、カタリーナが「お兄様に何か御用かしら」と低い声で追っ払った。妹、つよい。
そして五人で喋り出して、先ほどのレースの話が出た結果が、この一言だ。
「頭脳派って言って、ただ運動をサボっているだけじゃん」
デニス様が両目を細める。
「少し鍛えたほうがいい。馬を走らせるだけでなく、自分で走っても遅いのはどうかと思うぞ」
腕を組んだスヴェン様も頷く。
本人は肩を竦めた。
「おまえたちがムキムキ過ぎるんだよ」
アルブレヒト様はスヴェン様とデニス様を指した。ほっそりとした指に示されるまま視線を送る。
スヴェン様は背が高い。肩幅もがっしりしている。
デニス様は、その、ムキムキだ。訓練後だからか上着を脱いでいるせいで、シャツ越しに腕が太くて筋張っているのがよく分かる。二の腕もヤバいが、襟元から覗く胸板もヤバい。金髪にやや童顔ぎみの可愛らしい顔をしておきながら、このギャップは反則じゃないですか?
まあ、今の私にとって一番ヤバいのは、声なんですけれど。
「ほら、見ろよ。ロッテ嬢はあまりのムキムキに言葉を喪っているじゃないか」
「あのさ。急に他人の体について話題を振られたら、何も言えないのが普通だよ」
「……俺も、面と向かって言われるのは、恥ずかしいな」
「あら何言ってるの、お兄様。昔は『体がしっかりしているわね』って褒められると飛び跳ねて喜んでらしたじゃない」
「カタリーナ、昔のことは、その」
「成程なぁ。昔話も照れるかぁ」
ははは、とアルブレヒト様が肩を揺らす。心臓に悪い。
長く息を吐いてから、カタリーナの袖を引いた。
「まだスヴェン様と話す?」
振り向いたおっとりとした瞳は、何故か戸惑っていた。
「ロッテはもういいの?」
「いやあ、姉弟水入らずで話すかなって思っての質問!」
「それもそうだ」
「俺たちも失礼しようか」
そう言って、スヴェン様とアルブレヒト様も頷いた時。
周囲の声がざわりと揺れた。
皆がある場所を見つめている。観覧席から降りてくる階段だ。
視線を浴びて歩くのは、アンネマリー王妃。ここまで降りてきて、どうしようというのだろう。
「と、とにかくね。ごきげんよう!」
王妃殿下と一緒になるのは、刺激が強すぎる。私は四人の返事を聞かないまま、走り出した。
もしかしてイベントだったのかな。そう考えるのが厭だ。
私はゲームの中の、誰かに操作されるキャラクターなんだろうか。
訓練場の囲いを出てしまうと、周りは急に静かになった。丘の端だからとても見晴らしがいい、と私はそのまま歩き出した。
夏の終わり。北寄りに領土を持つこの国は、もうすぐ雪に覆われていく。その前に精一杯青空を楽しもうと、顔を上げる。風が気持ちいい。この感触は今生きているから感じるはずなんだ。
ひっそりと笑った隙にずれたボンネットを被りなおそうと、立ち止まる。
トントンと肩を叩かれた。
「ひっ!」
「そんな驚かないでくれよ」
いや、驚きますよ。いつの間に近寄ってきていたの、この人。
「アルブレヒト様」
ニコッと、彼は口の端を持ち上げる。
「どこか調子が悪かったりするのかい?」
「そんなことはない…… ですけど」
瞬く。
「まさか聞くためにわざわざ追いかけてきた…… んですか」
「そうさ。心配で堪らなかったからな。外ならぬロッテのことだからな」
つい吹き出してしまった。横に立った人も笑う。
並んで立つと、この人もそれなりに大きいよ。男の人だ。
背は私より高いし、すらりとしているけれど、決して痩せているというわけではなく、むしろ胸は厚い。グレーヘアも縺れているようなこともない。顔立ちも涼やかな、美男子だ。
「貴方みたいな騎士に心配されたら、どんなご令嬢も元気になれますよ」
「ははっ! あんたも言うねえ。まあ、笑ってくれて良かった」
「ええ、ありがとうございます」
そうやって、今、私が浮かれ始めたからか。
「俺の声をお気に召してくれているってのは本当なんだな」
向けられた言葉にずくり心臓が跳ねた。そうですよね、そういう理解になりますよね。
「ついでだ、訊いてもいいかい? 理由について」
ですよねー! 気になりますよねー!
「……推しの声」
ついボソリと呟いて。
「は?」
隣の人が目を丸くするのを見て。
「違う、違います!」
ぶんぶん、と腕を振る。
「その、昔、好きだった人の声で」
言ってから、かあっと顔が熱くなった。
「好きだった人の?」
わざわざ復唱しないで!
そろっと見上げると、彼は眉間に深い皴を刻んでいた。
「俺は俺の声だが?」
そのとおりだ。
見つめ合う――睨まれること暫し。
何も言えなくなって俯く。
かさりと草が踏みしだかれる音がする。
そのまま、音は続いて、ゆっくり遠ざかっていく。
怒らせてしまった。当然だ。
せめて、似ているって言わなきゃいけなかったのに。いいや、似ているも大概失礼だ。ダメだよ。
彼が怒っている、という事実も、今を生きているから起こしたことだ。
今日は本当に、散々だ。
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