第四話 僕と菅原と飲み会

 寝て起きる。ひとりで近所のカフェに行って、課題を少しやる。帰宅すると光臣のマネージャーの長田さんが来ていて、光臣とふたりでリビングで打ち合わせをしている。年末、光臣は色々なテレビ番組に出演する予定があるらしい。ラジオも。ものすごく忙しくしている理由のひとつに、倒壊した錆殻邸の処理費用があるそうだ。建物を完全に解体して、更地にして、その後。どうするのかを光臣もまだ決めかねているようだと長田さんがこっそり教えてくれた。僕としては土地をどう使おうと別に興味のない話なのだけど、光臣が本当にいつまでも僕と菅原と同居するというのはなんというか困る。光臣という存在に馴染みたくない。けど、このままだと正月もこの人家にいそうだしな……いや、テレビの正月特番とかにも出るのかな、知らんけど……。光臣は最近、自分が帰ってくるときに「ただいま」と言うようになった。困る。菅原がめちゃくちゃでかい声で「おかえりなさあい!」と返しても怯まない。相当に困る。


「あ、ところで……この件、伝えておいてって光臣さんに言われたんですが」

「なんですか?」


 打ち合わせを終えた光臣が自室に引っ込むのを確認してから、長田さんが小声で言う。膝の上に置いていたトートバッグの中から私物と思しきスマートフォンを取り出して、


「あの、中学校の件」

「はい」


 浅瀬船中学校に侵入したのはほんの数週間前のことだというのに、もう半年ぐらい経った気分だ。そう感想を述べると長田さんは頷いて、


「光臣さんの最初の依頼人」

「いじめ加害者の方の?」

「はい。その人たちが今、光臣さんのことを訴えるって言ってて」

「……訴訟多すぎですね」

「それに、無理だと思うんですよね。光臣さんは何もしてないから、何もしてない人を訴えるっていうのは……」


 長田さんの言いたいことは分かる。仕事をしたのは僕と菅原、それに市岡凛子さんなのだから。

 でもちなみに、先方は何を根拠に光臣を訴えようとしているんだろう?


「これ……」


 長田さんが眉をキュッと寄せて、スマートフォンを手渡してくる。

 動画だ。これは──ダンス部の秋泉沙織か。

 動きが、ひどくぎこちない。明らかに右半身を引きずっている。なんていうんだろうこれ、韓国のアイドルのダンスをコピーしているようにも見えるんだけど。


「動かなくなっちゃったんですって」

「え」


 何それ。動かなく? 体が?


「こっちも」


 と次は小林北斗の動画。彼は左半身がうまく動いていない。


「他にも、バレー部の田中美樹さんはボールがどこにあるのか見えなくなってるとか、サッカー部の西林碧さんも全然走れなくなっちゃってベンチにも入れない、それに美術部の遠藤侑帆さんは」


 と、長田さんの指がスマートフォンの画面を操作する。

 現れたのは──真っ黒い山羊。バフォメットの絵だ。


「毎日こればかり描いてる、って……」


 長田さんが困り果てるのは、なんとなく分かる。子どもたちのをも光臣のせいにされても、マネージャーとしては返す言葉もないだろう。


「どう思う?」


 上目遣いにこっちを見詰める長田さんに、僕はできるだけ明るく笑って見せた。


「まあ、いじめ加害者側も何ヶ月も引きこもってたわけじゃないですか。それだったら、筋肉がうまく動かなくなる……とかもあるんじゃないですかね?」


 だよね、そうだよね、と安堵したように息を吐く長田さんに「じゃあ僕これから飲み会があるんで」と告げて、ショルダーバッグを引っ掴んで家の外に出る。


 引きこもっていたせいで、筋肉が衰えた?


 そんなはずない。あれはそういうのじゃない。

 あれは。


「坊ちゃん!」

「わあ! びっくりした!」


 顔を上げると、目の前に菅原がいた。買い出しに行っていたらしく、両手にエコバッグを提げている。


「今夜、飲み会でしたっけ?」

「うん、そう。あんまり遅くならないように帰ってくるから」

「分かりました。では、終電がなくなったらご連絡くださいね。迎えに参ります」

「ありがと」


 ところで菅原は、長田さんが所持しているあの動画や画像を見たのだろうか。見たのだとしたら──



 玄関のドアを開けながら、菅原が呟いた。

 独り言を言う時の菅原の声は、


「異界に放り込むのは勘弁してやったみたいですが、代わりにあの子どもたちの、いちばん大切にしている箇所を

「す、菅原」

「長田さんには画像も動画もすぐ削除するように菅原から伝えておきます! では坊ちゃん、行ってらっしゃいませ!」


 目の前でドアが閉まった。


 頭を大きく振って、長田さんのスマホの中身、それに菅原の言葉を気合いで記憶の奥底に追いやる。今日は飲み会だ。飲むぞ。ソフトドリンクを。そしてサークルのみんなと楽しい思い出を作るんだ。菅原にも「楽しかったよ」って言えるような楽しい思い出を、全力で作る。

 今の僕にできることは、それだけだ。

 本当にそれだけなんだ。


おしまい。

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僕と菅原〜地獄変〜 大塚 @bnnnnnz

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