第五話 参考人
光臣のもとに警察がやって来たという連絡が入ったのは、翌日の昼間のことだった。僕は大学にいて、菅原から「みつおみ たいほ」というメッセージが送信されてきたのだ。さすがに焦って折り返すと、どうやら逮捕ではなく何らかの──僕にはまったく分からない何かが起きて、光臣は参考人として連れて行かれたらしい。その後、國彦からも連絡が来た。國彦曰く、
「父が請け負っていた祓いの仕事、どうやら失敗したらしい」
という話だった。
失敗?
失敗も何も、光臣には失敗する能力すらない。そして僕と菅原は、現時点で事件の真相にすら辿り着いていない。どういうことだ?
今日も書道サークルに顔を出そうと思っていたのだが諦め、國彦と連絡を取り合って、光臣が連れて行かれたという警察署に向かうことにした。菅原が大型バイクで迎えに来た。地図アプリで警察署の場所を確認する。浅瀬船中学校の学区内だというのが、少し気になった。
國彦の方が先に警察署に辿り着いていた。ベンチに座って、制服姿の女性警察官と何やら言葉を交わしている。國彦──と呼びかけようとした、瞬間。
「この、ペテン師!」
僕にそれを言うか。言葉と同時に平手が降ってくる。菅原が平手の主と僕のあいだに体を滑り込ませてくれたお陰で、叩かれなくて済んだ。
「何するんですか、あなた、ええと」
目一杯菅原を引っ叩いた相手を、バタバタと駆けてきた警察の人たちが捕まえて引き離している。男の人だ。覚えてる。あの日、響野憲造に同席してもらって開いた会談の席で出会った、いじめ加害児童
数名の警察官に羽交締めにされる遠藤父は「あんなタレント野郎を信じるんじゃなかった」「おまえたちも同罪だ」とけだもののような声で叫びながら暴れている。いったい何が起きてるんだ?
「大丈夫? 菅原……さん」
女性警察官と國彦が、いつの間にか側に来ていた。頬を張られた菅原は「蚊に刺されたようなもんですよ」と言い捨て、菅原にとって一般人の平手など実際その程度のものだと僕は分かっているのだが「何か冷やすものを持ってきますね」と言って女性警察官はその場を離れてしまった。
警察署の廊下に、僕と、菅原と、國彦だけが残された。
「國彦、今は大学の寮にいるんだよね? 色々大丈夫?」
あまり長い間沈黙していたくなかったのでとりあえず口を開くと、
「うん。ていうか、うちの父、今そっちにいるんだよね? 迷惑かけてるよね?」
「はい! すごく!」
声を張る菅原の胸元を拳で叩く。そういうテンションでお喋りする空間じゃないだろここは。「すみません……」としょぼくれる菅原のことは一旦置いておくとして、
「まあ、伯父に関しては國彦の方が良く分かってるんじゃない? それより、参考人って何の話?」
「それなんだけど……」
國彦が喋り始める前に、知らない声で名前を呼ばれた。顔を上げると、そこには制服ではなくスーツ姿の男性がふたり立っていた。刑事さんか。それからさっき席を外した女性警察官が、菅原に冷たいおしぼりのようなものを渡している。菅原は礼を言い、少しだけ赤らんだ頬にタオルを当てている。
「
「
鷹村さんっぽい顔の人が鷹村さん、ちょっと若い方が諏訪さん。僕も名を名乗り、ついでに菅原のことも紹介する。こういう時は秘書とか相棒とか言わずに「保護者代理をしてくれている人」と説明する。この説明をしている時、菅原はいつも少し自慢げな顔をする。
「お話、聞かせてもらってもよろしいですか」
「伯父もこの建物の中にいるんですか?」
鷹村さんと諏訪さんは一瞬視線を交わし、
「ええ。事情を聞かせてもらってます」
「事情?」
何がなにやら。そのまま僕と菅原は、白い壁の小さな個室に連れて行かれた。引き離されなくて良かったなぁ、と思った。
パイプ椅子に腰掛けた僕たちの前に、諏訪さんが紙コップを置いてくれる。中は煎茶だ。警察署の中は、それなりに寒い。
「先ほど、手を上げられていましたが。大丈夫ですか?」
鷹村さんが菅原に尋ねる。菅原は子どものようにこっくりと肯く。
「痛くありません」
「それなら良かった」
「でも、なぜ叩かれたのかが分かりません」
「その件なんですが……」
鷹村さんは、顎髭を指先で擦りながら言い淀む。やっぱり光臣が何かやらかしたのか? 逮捕なのか?
「先ほど、錆殻光臣さんの息子さん──國彦さんからもお話を伺ったんですが」
「はい」
「あなた方の伯父さんは、所謂お祓いを特技としているとか……」
だから。してないんだって。
だが今警察の人に光臣がどのようなペテンを働いているかを説明しても意味がない。むしろ状況が悪化する、参加者全員大混乱という展開になるだけだ。何かを言いたげな菅原を制し、
「その通りです。でも……警察の方がそういう、お祓い、とかに興味を持つって、ちょっと不思議な気がします」
鷹村さんと諏訪さんがまた視線を交わす。諏訪さんがニコッと笑い、
「警察でも、テレビぐらいは見るからね。私はクイズ番組が好きで、そこで良くあなたの伯父さんを見かけてたんです」
光臣。二度とクイズ番組に出るな。僕が恥ずかしい。
「伯父が……テレビに出てるの、僕は見たことないんですけど……」
「そうなんですか? すごいですよ。やっぱり詳しい。神社仏閣についてとか、それに神話とか……」
「はあ……」
で、光臣はいったい何の参考人とされてるんだ? どうして菅原は、そして僕は遠藤侑帆の父親に手を上げられなければいけなかったんだ? それは、警察的には明かせない情報なのか?
「何があったんですか?」
菅原が言った。良く響く声だった。
テーブルを挟んで正面に座る鷹村さんが、露骨にぎょっとした様子で身を引く。菅原は大きく目を見開いている。白目との境がほとんどなくなってしまうような、銀色の瞳孔。今までそんな目してなかったじゃん、って感じだよね。分かる。でも菅原は今とても苛立っている。だから少し、人間じゃない部分を出している。
「光臣さんは何をしたんですか?」
「先輩……」
席に着いていない諏訪さんが、鷹村さんの肩に触れる。鷹村さんは短く刈った髪をくしゃりとかき回し、
「では言いますが……あなた方の伯父、錆殻光臣さんは、浅瀬船中学校二年生の保護者から『祓い』の仕事を請け負っていましたね」
僕が肯定する前に「はい」と菅原が強い響きで応じた。
「先ほど、私と坊ちゃんは國彦さんと少し話をしました。國彦さんは『父の仕事が失敗した』と言っていました。何が起きたんですか?」
「どっちが質問してるんだか分かりゃしねえな……」
鷹村さんが苦笑いを浮かべている。僕は何も言わない。
「端的に言います。遠藤侑帆さんが行方不明になりました」
菅原の目がぎらりと不穏に光った。
「いつ?」
「届けがあったのは昨晩──ですが実際は、もう少し前から部屋を抜け出していたらしい」
遠藤侑帆。いじめ加害児童5人組のうちのひとり。「悪魔が見える」と言って不登校をキメていた子どもだが、実際、僕と菅原は男子児童3人が「見た」と言っているバフォメットに関してはあまり信用していなかった。光臣の元に現れたバフォメットも含めて、信用に足る存在ではない。女子児童2人が「見た」と証言する狐はまた別の解釈になるのだが。
にも関わらず、男子児童である遠藤侑帆が行方不明に?
「これを」
と、諏訪さんがテーブルの上に写真を数枚置く。
「うわぁ、気持ち悪いですねえ!」
光臣の元にバフォメットが現れた時と同じ台詞を、菅原が口にする。
「遠藤侑帆さんの自室の写真です」
諏訪さんが続ける。うーん。まあ。これは。そうだね。
「たしかに、気持ち悪いですね……」
部屋の壁いっぱいにたくさんの山羊──バフォメットの絵が描かれている。最初はたぶん、僕たちに提出した絵の模写。でもだんだん筆致が安定してきて、まるで自分の目で見たものを描くかのように壁中にバフォメットが出現している。
「遠藤さんのご両親は、錆殻光臣さんが仕事を怠った結果だと仰っていましてね」
鷹村さんが続けた。
「現在錆殻光臣さんと同居している甥っ子のあなたにも、何か心当たりはないかと……」
あるわけないでしょそんなもの。と言いたいところではあったが。
バフォメット。「絵を提出しろ」と要求した僕たちに対して、虚偽の申告をしたわけではなかったのか?
本当に悪魔が見えていたのか?
「七不思議」
菅原の声がした。妙に遠くから。
「やっぱり、機能してるんじゃないかと思うんですよねぇ……」
「七不思議? 何の話だ?」
鷹村さんが身を乗り出す。菅原の目は遠くを見ている。
僕は溜息を吐く。長い話になる。
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