第六話 七不思議・続

 帰宅すると、家には光臣と光臣のマネージャー──長田おさださんがいた。リビングの僕の椅子に腰掛けた光臣は眉間に皺を寄せて、ノートパソコンに向かっていた。光臣の私物は錆殻邸とともに黒い水に沈んだはずなので、長田さんに持ってこさせたのだろう。


「こんばんは」


 挨拶をすると、長田さんはニコッと微笑んで「こんばんは。勝手に上がってしまってすみません」と返してくれる。


「そいつに謝る必要はない。この部屋は俺の預かりだ」

「光臣さん、今夜こそベランダで寝てください」


 横柄な光臣と静かにキレる菅原の言葉がぶつかり合う。こんなところで揉めないでほしい、本当に。

 長田さんは30代半ばぐらいの小柄な女の人で、父を亡くした僕が光臣に引き取られた時には既にマネージャーだった。確か、父のお葬式にも来てくれた記憶がある。


「伯父は……何をしているんですか?」


 光臣に直接尋ねるのが嫌だったので、長田さんに訊く。長田さんが丸いくちびるを開くより先に、


「調査」


 と、光臣が吐き捨てるように言った。

 僕と菅原は思わず顔を見合わせる。調査? 光臣が? 光臣自ら? そんなこと、この数年のあいだに一度でもあったか?


「嘘を吐くのはやめてください」

「なんだと?」

「光臣さんはクイズ番組に出るぐらいしかしないじゃないですか、仕事。調査とか言っていい加減なこと……」

「引っ込んでろ化け物。おい、こっち来い」


 虫でも追い払うような手付きで菅原をはね除けた光臣が、顎で僕を呼ぶ。どこまでも失礼な人だなぁ……と思いつつ不服げな菅原をソファに座らせ、長田さんの隣に立ってノートパソコンの画面を覗き込む。


 ──調査? これが?


「アンケート、ですか?」

「見れば分かるだろう」


 なんでこの人こういう口の利き方しかできないの? 長田さんは光臣を殴りたいと思ったことないのかな。あとでこっそり聞いてみよう。


 光臣が示す画面には、テレビ局のメールアドレスを使って集めたアンケートの結果が大量に集まっていた。アンケートの内容は2点。『あなたが卒業した学校に七不思議はありましたか?』そして『学校の中で、七不思議に関係ない不思議な体験をしたことはありますか?』。


 なんだ、この、後の方の質問は。


「局のディレクターに、番組用ってことで集めさせた」


 なんじゃそら。じゃあ光臣は何もしてないってことじゃん。


「回答者の年齢は十五歳から二〇歳に限定している」

「!」


 意図が。少し分かったような気がする。


「浅瀬船中学校の卒業生を限定したってわけじゃないんですよね?」

「さすがにそこまですると露骨だから」


 と、長田さんが横から口を挟む。


「局の側で集まった回答を一旦地域別に振り分けてもらって、それから私が浅瀬船中学校とその周辺の学校の卒業生、関係者の回答をまとめました」


 そうなんだ。じゃあやっぱり光臣は何もしてないってことだな……。


「回答者はどうやって見付けたんですか? SNSとか?」

「えっとね、これ」


 長田さんが自身のスマートフォンの画面を見せてくれる。『新番組! 錆殻光臣が若者たちとともに呪いに挑む!(仮)』という地上波のテレビ局が来春から放送開始するという新番組のSNS公式アカウントが──


「恥ずかしいタイトルですねぇ!」


 いつの間に近付いて来たのか、菅原が吐き捨てるように言う。


「(仮)って付いてるの見えないのか化け物」


 パソコンから目を逸らしもせずに光臣が唸る。


「放送時にはもう少しまともなタイトルになってるだろうよ」

「で、ですね! その、錆殻先生は先日──もありましたので。良い意味で注目を集めているので、このタイミングで新番組の企画を立ち上げようってことになりまして!」


 長田さんが慌てた様子で話の軌道修正を試みている。申し訳ない。光臣だけでなく菅原まで余計なことを言うから。

 その『注目』が真実良い意味かどうかはともかく、


「中身のある情報が舞い込んでるってことですよね?」


 光臣に尋ねると、彼は大きく溜息を吐きながら席を立った。ノートパソコンは開きっぱなしだ。


「勝手に見ろ」

「なんですかその態度は!」


 怒りを表明する菅原を無視して、光臣はベランダに出て行った。煙草を吸うようだ。

 光臣が座っていた椅子に腰を下ろし、液晶画面を覗き込む。アンケートに答えてもらうに当たって、結構厳しく身分証明を要求しているみたいだ。「番組に出てもらうかもしれないから」というもっともらしい理由を付けているが、要するに浅瀬船中学とその近辺の卒業生を炙り出すためだろう。


 テレビ局の人が作ってくれたらしいグラフを確認する。まず、質問ひとつ目。

『あなたが卒業した学校に七不思議はありましたか?』

 回答するに当たって、選択肢は三つ。『はい』『いいえ』『七不思議の存在を知らない』。


 そして質問ふたつ目。

『学校の中で、七不思議に関係ない不思議な体験をしたことはありますか?』

 こちらへは自由記述回答を求めているのだが──


「七不思議、『知らない』が圧倒的に多いんですよ」


 長田さんが言った。傍らに立つ菅原が眉を顰めている。


「SNSを使ってそれなりに頑張って広めたんですよね? 七不思議?」

?」


 菅原の言葉に、長田さんが反応する。そうか。光臣は長田さんに、浅瀬船中学校の七不思議の成り立ちを説明していないのか。不親切だな。

 説明は菅原に任せ、もうひとつの質問──『学校の中で、七不思議に関係ない不思議な体験をしたことはありますか?』への回答を確認する。


「うわ」

「妙だろう」


 光臣が戻ってくる。煙草の匂いがする。菅原がどこから取り出したのかスプレー式の消臭剤を光臣に向けている。今ここで菅原と光臣に本気で喧嘩をされても困るので、一旦菅原には引いてもらうことにする。


「妙ですね」


 光臣の言葉に同意するのは不本意だったが、そう言わざるを得なかった。

 多いのだ。浅瀬船中学校の校舎内で奇妙な経験をしたという回答者が。

 地域を絞るのに加え、目立ちたがり屋の嘘偽りや作り話をふるいにかけるために、わざわざ身分証明を要求した上でアンケートに答えさせている、はずだ。だからここに自由記述で回答を残した者は、いざテレビ収録に呼び付けられて「アンケートに書いてくれた当時の話をしてください」と要求されても困らないってこと……なんだと思う。


「長田、七不思議」

「はい」


 長田さんがサッとA4サイズの紙を取り出してノートパソコンの隣に置く。そこには──僕の通う大学の、書道サークルの先輩である爽谷芽衣子さんがSNSで知り合った人々と一緒に作って拡散した、浅瀬船中学校七不思議がでかでかと印刷されている。


【東京都A区 区立浅瀬船あさせぶね中学校の七不思議


① 午前零時に南棟にある音楽室から校庭を見下ろすと、そこには魔法陣が描かれている。


② 魔法陣を見てしまった生徒はその日から一週間以内に保健室の四つ目のベッドに横にならないと悪魔に取り憑かれる。尚、保健室には二つしかベッドがない。


③ 悪魔に取り憑かれた生徒は、対価を支払わなければならない。


④ 北棟にある理科室の標本資料置き場には、悪魔から逃れられなかった生徒の遺骨が納められている。


⑤ 中央棟にある職員室の机は、不定期に増減する。


⑥ 職員室には悪魔が潜んでいる場合がある。


⑦ - - - - - 】


 アンケート結果が正しいとすれば、この七不思議を知らない卒業生はとても多い。そして、七不思議とは無関係の怪奇現象に遭遇した卒業生もまた、多い。


「坊ちゃん」


 菅原が口を開く。低く沈むような声だ。


「どうしたの」

「今気付いたんですけど」


 と、長田さんの肩越しに菅原の長い手が伸びてくる。


「なんかこの七不思議、?」


 急に?

 思った瞬間、光臣が大きく舌打ちをするのが聞こえた。なんなの、もう。

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