第三話 七不思議・改

「錆殻くん! 実家燃えたんだって!?」


 週明け。書道サークルの部室に顔を出したら、爽谷先輩がものすごい勢いで迫ってきた。地獄耳だなぁ、と思っていたら、


「今日のニュース全部錆殻家炎上の話で持ちきりだよ!? 見てないの!?」


 と逆に驚かれてしまった。僕は、ワイドショーをはじめとするエンタメ系のニュース番組を見ない。新聞も、一応購読はしているが(光臣の金で)芸能人の家が燃えたとかそういう情報が載っている新聞は手に取らない。世の中では錆殻邸は燃えたことになっているのか。黒い水に満たされて、水の圧に建物が耐えきれなくなって崩壊した──ように見えていたのだけど。


「見てない……ですね」

「えー! 伯父さん大丈夫なの!? 入院したり家が燃えたりしてさ、なんか、」


 そこまで口にしたところで、爽谷先輩がハッとした様子で口を噤んだ。彼女が何を言いたいのかは、分かっていた──『なんか、?』。


 現実、光臣は呪われている。正確には、呪いを溜め込んで死のうとしてた。僕と菅原も、こんな事故が起きるまで気付かなかった。あの男はインチキで嘘吐きな上に、人を騙すのがうまい。本当に碌でもない人間だと思う。


「伯父は大丈夫です」

「本当にぃ〜……?」

「錆殻くんがだいじょぶって言うんだから、だいじょぶなんでしょ」


 桜先輩だ。いつの間にか部室に入ってきていた。さらさらの金髪を今日はお団子にまとめ、艶のある黒いノーカラーシャツにブルーデニムという格好の桜先輩が、なんだか納得のいかない顔をしている爽谷先輩の首根っこを引っ掴む。


「ごめんね。この人、興味がありすぎて」

「この人ってなに! 言い方!」


 怒りを表明する爽谷先輩を畳の上にぽいっと放り投げた桜先輩が、


「コンちゃんとは話せた?」


 と尋ねる。近藤こんどうさかえ教授。書道サークルをなにかと気にしてくれる、宗教民俗学の教授。前回部室を訪問したあと、桜先輩の助言に従って僕は確かに近藤教授の研究室を尋ねた。そうして、色々なものを得た。

 そうだ。

 確かめないといけないことがあるんだ。


「話せました、ありがとうございました」

「そりゃ良かった」

「その上で、爽谷先輩にお訊きしたいことがあるんですけど」

「爽谷に?」

「え? 私に?」


 桜先輩と爽谷先輩の声が重なった。それはそうだろう。錆殻邸爆発炎上の話題から、あまりにも勢い良く方向転換をしすぎている。

 でも僕の中では、全部繋がっている。


「な、なんだろう……私で答えられることなら……」


 ねえ桜? と爽谷先輩が上目遣いに桜先輩を見詰めている。戸惑わせている。申し訳ない。

 でも問いかけの機会はそう何度も訪れない。


「爽谷先輩って、浅瀬船中学校の卒業生なんですよね?」

「!」


 いつも優しくて闊達とした爽谷先輩の顔が、サッと青褪めた。

 ああくそ、良くないビンゴ。


「浅瀬船?」


 口を開いたのは桜先輩だ。


「桜先輩も卒業生ですか?」

「いや。私は隣の学区だったから。爽谷と知り合ったのも大学ここでだし」

「……」


 畳の上にちょこんと正座をした爽谷先輩は、黙って俯いている。


「爽谷先輩」


 名を呼ぶ。先輩は眉根をぎゅっと寄せて、僕を見上げる。


「何を……訊きたいのかな」


 それでも先輩は先輩として。きちんと僕の気持ちを確認してくれる。

 僕は本当に、人に恵まれている。

 訝しげな表情の桜先輩の目の前で、こんなことを訊きたくはなかったけれど。


「浅瀬船中学校の七不思議の話、知ってますか」

「……その話かぁ」


 爽谷先輩が撫で肩を更に落とす。僕は先輩を傷付けたいわけじゃない。


「え? 何、どういう話? 何も見えない」


 桜先輩が、珍しく焦った様子で声を上げる。爽谷先輩の側に跪き、背中を撫でて上げながら僕を見詰める桜先輩は明らかに戸惑っていた。


「なんなの……?」

「いや。その。桜にも言ってなかったよね、この話」


 爽谷先輩が困ったように眉を下げて笑う。桜先輩の顔に笑みはない。


「誰に聞いたの? コンちゃん?」

「はい。爽谷先輩はたしか、卒業生だったはずだって」

「そっかあ。コンちゃんはなんでも知ってるなぁ」


 言いながら短い黒髪をパサパサと振った爽谷先輩は桜先輩の手をぎゅっと握り、

「私ね、中学生の時


 と、続けた。意を結した様子の告白に、桜先輩の青い目(カラコンだ)が大きく見開かれる。


「中二の真ん中ぐらいからかな。今思えば大したことじゃなかったのかもしれないけど。クラスのリーダー格の女子に無視され始めたのがきっかけで」

「……」

「で、最初は無視だけだったんだけど、私もムキになっちゃって。無視されても気にしてませんよーって顔してたら次は……暴力だよね」

「爽谷」


 もう言うな、と桜先輩が爽谷先輩の肩を抱き寄せる。完全に僕が悪役の構図だ。仕方がない。覚悟はしてた。


「で、さすがに暴力とか物理での嫌がらせには気合いじゃ勝てなくて。不登校になって。だから、卒業生って言っても一年ちょっとぐらいしか学校には通ってないんだよ。それでも何か……錆殻くんとか、伯父さんの役に立つ証言ってできるのかな?」

「爽谷、いいよ、何も言わなくても」


 桜先輩の方が泣きそうになっている。気持ちは分かる──気がする。僕だって中学の頃は友だちなんてひとりもいなかった。いじめにこそ遭わなかったものの、僕という存在はクラスの中では空気みたいなものだった。原因は──いや、今はその話は、いいか。


「七不思議の話です」

「錆殻! おまえ、まだそんなことを」


 桜先輩がキレるのは分かる。分かるけど。

 過去と現在を繋がないと手の打ちようがない。

 これで、書道部からも放逐かな。この件に関わった時点で、そうなることは決まっていたのかも。


「七不思議……」


 桜先輩に右手を強く握られ、肩を抱かれた格好で爽谷先輩が呟く。


「私がいじめられ始めた頃は、七不思議は、


 なかった。

 そう来たか。


「今あの学校で語り継がれてる七不思議の内容は知ってます?」


 桜先輩の射殺すような視線を受けながら重ねて尋ねる。そこでようやく、爽谷先輩がちいさく笑った。


「もちろん。


 過去と現在が繋がる音が聞こえる。

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