第六話 近藤栄教授

「──で、私のところに? 桜もめちゃくちゃ言うなぁ、まったく……」


 コンちゃんこと近藤こんどうさかえ教授は、自身の研究室にいた。帰り支度をしていた近藤教授のところに、僕が押しかけるという格好になった。

 近藤教授は紬の着物にデニムジャケットという格好で、僕を大学構内の喫煙スペースに招いた。正確には喫煙スペースというものは構内には存在してはいけないことになっているのだが、そこはそれ……だ。


「やあ、伯父さんの会見が始まるね」


 右手に煙草、左手にスマートフォンを持って近藤教授が言った。僕もスマホを取り出して光臣の会見の生配信を見ようとしたのだが、何せアプリを入れていないのでアクセスが悪い。近藤教授が「こっちで見るといいよ」と招いてくれたので、お言葉に甘えて教授のスマホを覗かせてもらうことになった。


 光臣は、いつも通りだった。


 別に心配していたわけではないけど、死ななくて良かったなと思った。得体の知れない便宜上・バフォメットに首を絞められて死んだなんてことになったら、唯一の目撃者である僕は何をどう証言すればいいんだ。國彦にも、それに伯母にもかける言葉がない。光臣に祓いの能力がないとか、インチキ霊媒師だとか、そういうことは現時点ではどうでも良くなっていた。いやー良かった。生きてて。

 しかし、光臣ひとりが昏倒して救急車に乗って運ばれたぐらいで、こんな風に派手な記者会見を開けるものなんだな。どちらかというとそっちに気持ちが行っていた。びっくりだ。普段光臣が出ているテレビ番組とかも見ないし、出してる本も読んだことがないから、『錆殻光臣』という人間が大勢から支持を集めているという現実がなんだか……ばかみたいだな、と思った。


「錆殻光臣さんの出演番組は私も良く見るよ。クイズ番組なんかで大活躍だね」


 近藤教授が言う。普通に恥ずかしい。何それ。せめてメディア露出はお祓い関係のみ、とかそういう感じにしてくれよ。


「特に、全国のパワースポットにとても詳しい」

「はあ……」

「本当に驚くほど。パワースポットだけではなく、や、一族についても、詳しい。よほど勉強されたんだろうね」


 そういった能力。

 僕は思わず瞠目し、新しい紙巻きを咥える近藤教授の顔を見上げる。近藤教授は女性にしては珍しく──という表現は失礼だとは思うけど、身長が180センチ以上あり、和装も洋装も着こなす、ちょっとしたモデルみたいな人だ。


「テレビで……そういう話をしてるんですか? 光臣は」

「テレビを含むメディア以外でも、実は個人的に会ったことがあるんだ。錆殻くんが入学してくるだいぶ前だけどね。4年ほど前だったか──錆殻光臣というが活躍するようになった頃……」


 それは。

 僕の父が亡くなった時期だ。

 僕が光臣の下で、こき使われ始めた頃の話だ。


「私が思うに、あの人には、能力はないよねぇ」


 灰皿に紙巻きを投げ捨てながら、近藤教授は僕を見ずに呟いた。スマートフォンの中では、少し顔色の悪い光臣が誰かに向かって何かを怒鳴っている。相手は──


「ええ……響野さんだ……」

「記者? 知り合い?」

「はい。あの、ちょっと色々、ちょっと」


 能力のない光臣の代わりに僕が祓いの仕事をしているなんてことは、今ここで近藤教授に告げるべき内容ではない。ただ、スマートフォンの中からも響野憲造の声は良く響いて聞こえた。「浅瀬船中学いじめ事件と何か関係がある昏倒だったんですか?」「何か関係がある昏倒、とはどういう意味だ? 言葉を勉強して出直してこい!」どっちもどっちだ。溜息が出る。しかし、響野さんはどうやってこの会見に潜り込んだんだろう……出禁を食らってるって言ってたのに、自分で……。


「それで、きみは、私に何を聞きたいのかな」


 近藤教授の耳元で、大ぶりな銀色のピアスが揺れる。それを眺めながら「獣憑きの話です」と僕は言った。


「獣憑き?」

「狐憑きの一族のこと、知ってますか?」


 近藤教授はスマートフォンを僕に手渡し、自身は煙草の箱から紙巻きを取り出そうとしていた。その手が、ぴたりと止まった。


「狐?」

「はい」

「……桜の入れ知恵かい?」


 首を横に振る。桜先輩は、「サークルの先輩に相談できないようなことなら教授を頼れ」と言ってくれただけで、具体的に狐憑きがどうとかという話はしていない。

 紫煙がふうわりと揺れて、すっかり暗くなった空に消えていく。


「まあまあメジャーな獣憑きだね、狐憑き。何が知りたいのかな」

「さっきの記者が喚いてた、浅瀬船中学校いじめ事件。その件に、僕は首を突っ込んでいます」

「ほう」


 丸眼鏡の奥の瞳を細めて、近藤教授が少し笑う。


「いきなり本題だ」

「周りくどくしても時間の無駄じゃないですか。だから言います。光臣──伯父は浅瀬船中学のいじめ加害児童から依頼を請け負っています」

「依頼」

「加害児童が、悪魔を見るようになったっていう」


 近藤教授は黙って煙草を捨て、空いた手で自身の顎をつるりと撫でた。いつの間にか、光臣の記者会見は終わっていた。アーカイブが残っているので、後ほど無料で全部見られるらしい。見たくない別に。


「悪魔?」

「はい」

「悪魔ねえ」


 何か思い当たる節でもあるんだろうか。妙に引っ張る。なんでもいい。ヒントがほしい。スマートフォンを近藤教授に返して、言葉を待つ。


「悪魔については、私は詳しくない。申し訳ないが」


 肯く。それはそれで構わない。

 だが、近藤教授はたぶん、他の何かを知っている。


「爽谷」

「え?」


 爽谷先輩? 書道サークルの?


「あの子の出身校じゃなかったかな、浅瀬船中学校」

「えっ」


 そんなこと、先輩、ひと言も言ってなかったけど。


「もしかしたらあの子の方が、あの中学については詳しいかもしれない」

「そ、うですか……」


 先輩たち、もう部室にはいないだろうな。それに明日は土曜日だ。サークル活動はお休みだし、僕には浅瀬船中学校いじめ事件の被害者、苅谷夜明さんが入院している病院を訪ねるというミッションがある。


「狐憑きかぁ」


 近藤教授が独り言のように繰り返した。


「有名なのはSだろうけど」


 ──S県、市岡神社。

 ビンゴ。欲しかった情報だ。


「神社、なんですか? 市岡っていうのは」

「そうだよ。代々女性が宮司を勤める神社でね」


 珍しいような気がする。神社にいる女性といえば、パッと連想するのは巫女さんだ。


「いわゆる稲荷神社とは少し違う。

「狐憑き……」

「きみが何を気にしているのか分からないけれど、市岡の人間と接触を考えているのであればこれをあげよう」


 と、ようやく喫煙をやめた近藤教授が、ふところから名刺入れを取り出した。


『弁護士 市岡稟市』


 そう書かれた小さな紙切れが、僕の手の中に落ちてきた。


「弁護士……!?」

「狐憑きにも色々いるってことさね。それじゃあ、私はもう帰るよ。きみも帰りなさい。お疲れ様」


 近藤教授はひらひらと手を振って、喫煙所から姿を消した。

 手の中に残された一枚の名刺からは、なんだか良い匂いがするような気がした。

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