第八話 錆殻邸①

 響野憲造との会合を終え、帰路に着く。途中で錆殻邸に寄るよう菅原に頼んだ。


 錆殻邸の薄気味悪い雰囲気は、いつ来ても変わらない。この家が浄化されることなんて未来永劫ないのではとすら思う。

 菅原には路駐バイクの側で待っててもらうことにして、僕ひとりだけで家の中に入った。大した用事があるだけではない。ただ、僕と菅原の情報屋として、響野憲造という男性に協力してもらう。光臣に、それを伝えるだけだ。

 光臣は記憶力が良い。自身のことを『インチキ霊能者』として記事にしようとした響野の名前を、忘れてはいないだろう。


 響野はこの件──浅瀬船いじめ事件の加害児童が『悪魔』に悩まされていて、その始末を錆殻光臣に依頼したという一件が完結したら、記事にさせてほしいと申し出た。交換条件だった。事件の幕が降りるまでは、無条件で僕と菅原に記者として手に入れた情報を横流ししてくれるという。コンプライアンスとかどうなってるんだ。どうでもいいのかな。僕らと手を組んだことによって響野が職を失うことになったら少しだけ可哀想だと思ったけれど、浅瀬船小学校の七不思議と、そこでいじめ事件があったという薄っぺらな情報だけを渡されて「解決しろ」と光臣に命じられた僕らもかなり可哀想だ。同じ『』なら、僕は、僕と菅原の肩を持つ。


「お邪魔します」


 ひと声かけて、扉を開ける。今日も鍵は開いていた。錆殻邸の扉はいつもこうだ。空き巣とか怖くないのかな。庭とか、外の門から玄関への長い道のりに無数の監視カメラが付いているのは知ってるけど、やっぱり鍵は閉めておいた方が良いと思うんだけど。


「お邪魔しまーす。伯父さん? いないんですか?」


 仕事だろうか。撮影。テレビの。最近は劇場映画の監修とかもしているらしい。光臣が監修したホラー映画ってなんなんだ。絶対怖くないと思う。


「──そうとも限らないかもよ?」

「うわっ!」


 耳元で、声がした。女の子の声だった。

 文字通り飛び上がって驚く僕を見て、彼女はクスクスと笑っている。

 女の子。女の子だ。錆殻邸で光臣以外の人間に遭遇するのは初めてかもしれない──ああいや、光臣のマネージャーとか、あとは光臣の会社で働いている人とかを見かけたことがあるけれど、女の子──


 フリフリの服を着ている。


 ゴスロリっていうんだろうか。それとも甘ロリ? 姫ロリ? 僕には違いが良く分からないけど、


「自分で言うのもなんだけど、これは和ロリ」


 女の子が言う。

 和。

 和風。

 なるほど言われて見ればそうかもしれない。胸元で半襟と襟が綺麗に重なっているし、全体的に黒に近いブルーの布で作られた服の膝上辺りには、黒いウサギの刺繍が幾つも施されている。腰回りをふんわりと広げる黒いレースに、腰の位置を高く見せる大きなリボン。大変凝っていて、可愛らしい服装だとは思う。しかし、自宅で着るものだろうか、とも些か疑問に思う。


「何その顔、冷たい。私のこと覚えてないの?」


 青白い顔、瞼の上も寒色で彩られ、大きな目を縁取るまつ毛はどこまでも長い。顔色の悪さを強調するようなリップをくちびるに乗せた少女は、いかにも不服げに僕の名を呼んだ。


「思い出して! い・と・こ!」

「……ああ!!」


 思い出した。いや、それ以前になぜ忘れていたんだろう。光臣には子どもがふたりいる。娘と息子。この子はその、娘の方だ。


「すごく……久しぶりだよね?」

「そうね」

「この家に住んでるの? 僕、結構顔出してるんだけど」

「知ってる。でもパパが」


 光臣のことだ。


「あなたには会うなって」

「そうなんだ……」


 実の娘にまでクソ野郎対応なのか、あいつは。本当にどうしようもない。


「ところで、仕事してるんでしょ? 仕事の件で来たんでしょ?」

「あ、うん。そう。良く知ってるね」


 従妹の名前も年齢も思い出せない。雰囲気からするに、今は高校生ぐらいだろうか。


「学校には行ってない」

「え?」


 心を読んだようなタイミングで、従妹が言う。驚く僕の顔を光臣似の三白眼でじっと見上げて、クフフ、と笑う。


「家から出られないの。だから家の中でだけ、可愛い格好してるの」

「そう……」


 家から出られない? なぜ? 学校に行っていない? 不登校ってこと? 高校生になる年齢なのだとしたら、そもそも受験をしなかった可能性もあるのか? いや、そんな、そんなことはどうでもいい。瑣末なことだ。。やっぱり菅原を連れてくれば良かったのか? この家は、僕ひとりの手には負えない、そういう結論になってしまうのか?


は、パパに伝えとく〜」


 従妹が、歌うように言った。


「だからもう、帰りなよ。ひとりで歩き回ると、迷子になっちゃうよ? この家はね、どんどん大きく広ーくなってるから」

「あ……あ、そう、だね……」

「じゃあ、元気で、またね」


 従妹の「またね」の「」が空気に溶けるより先に、誰かが僕の手首を掴んで引いた。そのまま床に転がされて、強かに頭を打った。


「おいっ! おまえ、誰と喋ってた!?」

「あっ……」


 頭が痛い。ちょっと涙目になって天井を見上げる僕の顔を覗き込むのは──こちらもいとこだ。先ほどのフリフリ和ロリガールの実の兄。僕とはたしか同い年の、錆殻──


國彦くにひこか。久しぶり」

「久しぶり、じゃねんだよ! おまえ……今、あそこで、何を見た!?」


 國彦が、廊下の暗がりを指差しながら喚いている。

 そうだ。


 


 いとこなのに。

 あの笑顔も声も、僕は知っている──本当に? 本当に僕の中にある記憶か、これは?


「あのさ、久しぶりなのにいきなりごめんなんだけど、國彦の妹、って。今不登校なの?」

「はあ!?」


 光臣の息子という最悪な血筋のわりに、國彦はそれほど背も高くないし、目付きも悪くないし、人を恫喝するような言葉を吐くけど声に覇気がないので大して怖くもない。「はあ?」と繰り返した國彦が、困惑したような表情で手をこちらに差し出してくる。掴んで、立ち上がった。「何言ってるんだ」と國彦は呻いた。


。そういえばおまえ、葬式に来なかったな」


 ──そうか、あの子は死んだのか。

 でもどうして、名前を思い出すことができないんだろう。

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