第九話 錆殻邸②

 従妹は、いったいいつ死んだ?


 4年前、と國彦は答えた。僕は國彦の部屋にいた。

 大学生らしい──と同じく大学生の僕が言うのもおかしな話だが、雑然とした6畳間。それが國彦の城だった。

 本棚をちらりと見た限り、法学部に通っているようだった。少し意外だった。


「俺が法学部なんて似合わないって思ってるだろ」


 キッチンから持ってきたと思しきマグカップを両手に、國彦はくちびるを尖らせる。中身はあたたかいカフェオレだ。ありがたい。錆殻邸の廊下は寒すぎた。


「別に」

「俺だってらしくないと思ってるよ。でも……あいつが、死んでから……」


 薄い眉をぐっと寄せ、國彦は言葉を選びあぐねているようだった。僕は彼のベッドに勝手に腰を下ろし、カフェオレを飲みながら黙って待った。


「あいつがなんで死んだかも、知らないのか」


 首を縦に振る。そうか、と國彦は呟き、


「病気だった」

「病気?」

「詳しいことは俺にも分からない。ただ、

「穴?」


 何がなんだか。世の中には臓器に穴が開く病気も存在するということだろうか。


「それがどんどん広がって、他の臓器も穴だらけになって」


 少し嫌な光景だな。僕はそういう、穴とかが無数に並んでいる図があまり得意ではない。


「手術とかしなかったの?」

「間に合わなかった。発症してから死ぬまで、二週間もなかったかな。父は、死に物狂いになってたけど」


 光臣のことだ。父。息子からそう呼ばれているんだ。親子の心の距離を感じる。


「父の周りの連中は……事務所の人とか、マネージャーとか……」


 と國彦は座り心地の良さそうな椅子に腰を下ろし、大きなパソコンが置かれているデスクの端に自身のマグカップを置いて「誰にも言うなよ」とぽつりと呟いた。ここで交わされた会話を外に出してはいけない、という意味か。「言わない」と僕は短く宣誓する。もしかしたら話の一部を菅原と共有する必要は出てくるかもしれないけれど、少なくともそれ以上外には出さない宣誓を。


だって」

「呪い?」

「正確には、、か」

「……呪い返し?」


 呪い、ならまだ分かる。光臣に恨みを持つ人間が、敢えて光臣本人ではなく実の娘をターゲットにした。そういう性格の悪い人間は世の中にいっぱいいる。

 だが、呪い返し? 呪いを返されるには、一旦こちら側から呪わなくてはならない。光臣が、、誰かを呪ったっていうのか?


「はは……信じられないって顔だな」


 力なく笑う國彦には申し訳ないが、僕は光臣を信用していない。彼はペテン師だ。祓いの力はもちろん、他人を呪う力だって持っていない。


「國彦、はっきり言うけど國彦の父にはそういう……人を呪ったりする能力はないよ」

「偽物霊能者ってことだろ? 分かってるよ、俺だって……俺と母は、それぐらい」

「そう」


 ならいいんだけど。いや良くはないけど。

 空になったマグカップを國彦のデスクの上に置き、顎に手を当てて考える。


 呪い返しで、僕の従妹、國彦の妹の臓器が穴だらけになって死んだとして。それが4年前だとして。僕は15歳。菅原と知り合う少し前、そして4年前には僕の父も亡くなっている。なぜ光臣は僕に従妹の──娘の死を知らせなかったのだろう。


 いやいや待て待て。


 呪い返しは、一度放った呪いを誰かが──僭越ながら僕や菅原のようなが──剥がすことによって発生する。呪われた相手から呪いを引き剥がし、呪った相手に向かって打ち返す。これが呪い返し。


「なあ、何考えてる?」


 國彦が尋ねた。呪い返し、と僕は答える。


「どうして、呪い返しだって結論になったんだ? 國彦の父には人を呪う能力なんてないはずなのに」

「そこなんだけど」


 発生源が存在しないのに、呪いだけが返ってきてる。奇妙だ。


「おまえの」


 國彦の声が少し震えた。

 彼のくちびるからまろび出たのは、僕の、


「──が、生前最後に……」

「ずいぶんな言い掛かりだなぁ」


 声を荒らげて怒った方が良いのかと思ったが、やめた。そんなことをしても無意味だ。それに何より、僕のお父さんは他人を呪ったりしない。自分の能力をそういうくだらないことには使わない人だった。


「だよな、ごめん」


 國彦は項垂れ、「いいよ」と僕は応じた。どうせ光臣だ。光臣が「死んだ俺の弟が生きてるあいだに呪いを仕込んだんだ」とかなんとか大騒ぎしたんだろう。目に浮かぶ。やだやだほんとに、おじさんのヒステリー。


「でも……もう僕見ちゃったから言うけど」

「妹だろ。そうなんだ。亡くなって、葬式が終わって、1年以上経った頃かな。急に

「……」


 和ロリの従妹。名前を思い出せない、國彦の妹。


「何か思い残しがあったのかな」

「俺には全然分からない。母も──冷たい言い方だけど、怖がっちゃってさ。さっきおまえが立ち話してたの、前に母と妹が一緒に暮らしてた部屋があった場所なんだよ」

「そうなんだ」

「でも、母が全部片付けて、今は物置として使ってる。妹の服とかも、全部お焚き上げして……」

「──」


 寂しい話だ。それもこれもみんな光臣のせいだと思った。あいつがインチキ霊能者なんかやってるから、本物の霊能者を呼んで従妹の心残りを確認することができないんだ。光臣の馬鹿。看板下ろせ。


「國彦」

「お、おう。なんだ?」

「もし良ければ、僕が試してみようか?」

「え?」


 僕ももっと冷たく対応できれば良かったのかもしれない。けれど、さっき言葉を交わした従妹は、この世のものではなかったけれど、たしかに、間違いなく僕の従妹で國彦の妹だった。その彼女にこの世への未練があるというのなら、本物である僕が聞き出して、その未練の糸をどうにか解いて、あの世に送り出してあげることもできる──と思う。

 國彦は無言で瞬きを繰り返し、それから、「気持ちは嬉しいけど」と呟いた。


「なんだよ。僕じゃ力不足か?」

「そうじゃなくて……」


 ──瞬間。廊下の方から甲高い声がした。「國彦!」「どこにいるの!」と叫んでいる。


「母だ」


 國彦の顔から血の気が引く。やっぱりこの家、どこかおかしい。


「行かなきゃ。おまえ、玄関から出ると母に見付かるから、縁側通って庭突っ切って外に出ろ」

「オッケー。僕のスニーカー、適当に隠しといて」

「分かった。サンダル、これサイズ合わなくて履いてなかったやつだから、返さなくていいよ」


 と差し出されたのはビルケンシュトックのポリウレタン製サンダルだ。見るからに新しい。


「いいの?」

「いいから、早く」


 國彦にぐいぐいと背中を押され、大きな月が見える庭に飛び出した。「國彦」と自室を出ようとする彼の背中に低く、強く声を掛ける。


「最後にひとつ。呪いを返してきたのは、誰」


 國彦は振り返らずに言った。


「──市岡いちおかの、市岡いちおか家だって話になってる」

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