第七話 響野憲造③

「インタビューを試みた……というのはつまり、直接対話を行ったということですか?」


 菅原の質問に、響野は曖昧に頭を揺らして見せる。


「ああまあ……、というのが正確なところかな」

「加害児童には会えなかったんですか?」


 前のめりになって質問を重ねる菅原こそ、響野の表現を拝借するならばSSRだ。僕は注文してもいないのに出てきたミルクティーを飲みながら、黙って聞き役に徹することにする。


「会えなかった。親止まり」

「理由は?」

「うちの子はだから取材を受ける謂われはない──とのこと」

!?」


 菅原が、ただでさえ大きな目をぐわっと剥く。白目の蒼白さが強調される恐ろしい形相。だが、響野はびくともしない。コーヒーカップにくちびるを付けて静かに頷き、


「そう、被害者」

「違いますよね!? 菅原にだって分かりますよ、被害者は、本当に被害を受けたのは、!」


 店の中に、僕たちと店主以外に人がいなくて本当に良かったと思った。それほどまでに菅原の声音は響き渡っていた。

 なんでそんなことを知っているんだ菅原。僕だって知らない、被害児童──だいたいの週刊誌やニュースメディアでは『Bさん』と書かれている少女が真夜中に七不思議を強要された、なんてこと、そんな風に叫ぶことができるんだ。

 コーヒーカップをテーブルの上に置いた響野が「そう」と短く応じた。


「そうだ。俺が取材を試みた学生たちはいじめ騒動の加害者であり、被害者ではない。けれど……菅原さんていったっけ? どうして知ってるんだ、その、つまり……」

「菅原には分かるんです」


 横から口を挟んだ。菅原に自己紹介をしてもらっても構わなかったが、それはそれで事態が別方向にややこしくなる気がする。菅原は僕の秘書で、相棒で、保護者代理で、そして──人間ではない。


「細かく説明することは今は……かなり長くなってしまうから……でも、この件に関係する謎がすべて解かれたあとに僕が響野さんに個人的に菅原についての情報を開示することはできます。だから今は、彼のことはちょっと横に置いといてもらえませんか?」

「……ンフフ」


 短い沈黙ののち、響野憲造は小さく笑った。それから「なるほど」と続けた。


、か。納得だ」

?」


 きょとんとした様子で首を傾げるのは菅原だ。


「菅原が? 坊ちゃんの? ともだち?」

「そうだよ。違うの?」

「違う……違いますよね? 坊ちゃん?」


 困り果てた顔の菅原に「ともだちでもいいよ」と僕は答えた。


「秘書で、相棒で、保護者代理で、ともだち。僕はそれでも構わない」

「……肩書きがひとつ増えましたね」


 くすぐったそうに笑う菅原については、響野にならいつか本当のことを話しても良いだろう。彼が、本気で僕たちの手助けをしてくれるというのであれば。


「響野さん。菅原には分かってしまうんですけど、僕には分からないんです。だから教えてもらえませんか。加害児童が、被害者にいったい何をしたのか」

「ああ」


 響野は首だけでカウンターの方を振り返り「おじいちゃん、おかわりお願い」と言った。この店のマスターは響野の祖父なのか。そういえば似ているような、そうでもないような。僕には碌な血族縁者が残されていないから、こういう距離感でいられる親族がいるというのは少し羨ましい気がする。

 銀色の総髪を首の後ろでゆるく結えたマスターが、3人分のホットレモネードを持ってきてくれる。「ありがとうございます」と頭を下げた菅原が、透明のグラスの中で揺れる黄金色の液体を物珍しげに覗き込んでいる。


「ファイヤーの記事は読んだ?」


 響野の問いに黙って首を縦に振る。昨晩、菅原と一緒に『浅瀬船中学校集団いじめ事件』に関する記事を山ほど読んだ。だいたいが課金記事だったから、光臣名義のクレジットカード(使用限度額が恐ろしく低い)を使って購入した。ほとんどの記事は「中学生が中学生をいじめて自殺未遂にまで追い込み、被害者家族が加害者家族と中学校を訴えている」という内容を面白おかしく書き立てていた。中には被害児童に何らかの非があったのではないか──という悪意に溢れる記事もあった。そんなはずがないだろう。僕は被害児童ことBさんのことを何も知らないけれど、『いじめ』と呼ばれる行為に関しては、いじめるやつが100%悪いと思っている。どんな理由があったにせよ、ひとりの人間が死を望むほどに寄ってたかって追い詰めるなんて、本当に、最悪だ。


「Bさん……いや、名前を」


 被害児童の名前を、僕も菅原も既に知っている。そういう記事も多かったのだ。加害児童の名前は徹底的に伏せるのに、自殺未遂をして今も昏睡状態にある少女の名前や顔を平気で表に出す──本当に、どういう神経で記事を書いているんだろう。


苅谷かりやさん。苅谷かりや夜明よあけさん。被害児童Bさんの本名だ」


 響野は、低く穏やかな声で言った。


「きれいな名前です」


 菅原が応じ、僕はまた黙って肯く。苅谷夜明さん。今も病院に入院している14歳の女の子。


「苅谷さんのお父さんは転勤族で、苅谷さんご一家は毎年のように引っ越しをしていて──ってこの辺りまでは知ってるかな?」

「はい。今年の九月に浅瀬船中学に編入して、それで、もう引っ越しの予定はなかったとかで……?」


 電子週刊誌──菅原が『資料』と呼ぶ存在から得た情報だ。どの記事にも似たようなことが書かれていたから、おそらく間違いはない。


「そう。苅谷さんのご両親は昨年末都内に家を買われて。それでお嬢さんの夜明さんは浅瀬船中学校に通うことになった」

「ごきょうだいは?」

「妹さんがひとり。小学生だ」

「なるほど」


 自身のパソコンに己の記名記事を表示しながら、響野憲造は続けた。


「浅瀬船中学校っていうのは、まあ、治安の悪さを5段階評価で言うなら……4.5ってところかな」

「めちゃくちゃ悪いじゃないですか!」


 いじめ事件で有名になっただけじゃなかったのか。学校そのものが、そこまで。


「苅谷さんのご両親はそのことは知らなかったんですか?」

「知らなかった、と聞いた。少なくとも俺は」


 ああ、そうか。響野は苅谷夜明さんのご両親にも接触しているのか。


「知っていれば引っ越し先として選ばなかった、と後悔してらして……いや、それは後回しだ。問題のいじめの件だけどね」


 ホットレモネードで喉を潤して、響野は続ける。


「まず、学校側が『いじめ』の存在を認めていない」

「さ、最悪ですね」


 思わず本音が出てしまう。しかし響野は真剣な顔で頷き、


「そう、最悪。浅瀬船では、生徒間のいじめ行為って言うのは珍しい話じゃないんだよ。被害児童は大抵不登校になり、最終的には転校してしまうか──不登校のまま中学を卒業し、引きこもりになって進学もできなくなる」


 繰り返しになるが、最悪だ。果てしなく最悪だ。他者の人生をそんな風にめちゃくちゃにして、知らぬ顔を決め込んでいるなんて。


「つまり、過去に起きたいじめに関しても浅瀬船は毎回徹底的に否認している。生徒同士のが行き過ぎたものだ、と」

「そんな学校……関係者全員巻き込んで爆発すればいいのに……」

「俺もそう思う。そして、苅谷夜明さんの一件だ。加害児童については、俺の記事以外で何か情報を?」

「五人いたってことと、主犯格が女子生徒だってことは」

「OK。えー、C、Dという仮名を付けられてることが多い子たちだね、主犯格は。驚くべきことに、苅谷夜明さんの本名や顔写真を掲載している記事でも、加害児童の個人情報を徹底的に隠しているケースが多い」


 響野も僕と似たような認識で他社の記事を確認しているらしい。


「その理由は?」

「分かんない」


 即答だ。本当にこの響野という人は……頼りになるのかならないのか、何も分からないな……。


「Cの本名は秋泉あきいずみ沙織さおり。二年生だがダンス部の副部長を担当している」


 秋泉沙織。菅原が口の中で繰り返している。


「Dは田中たなか美樹みき。こっちはバレーボール部に所属している。ふたりは小学校の頃からのツレで、家族ぐるみの付き合いがあるって話だ」


 田中美樹。僕がすべてを覚える必要はない。菅原が響野の声を飲み込んでいる。大丈夫。話を続けて。


「いじめのきっかけは、これもまた俺の記事以外でも見かけたかもしれないが、方言だというのは事実らしい」

「くだらない理由ですね」

「まったくだ。まあ、秋泉、田中のふたりは小学生だった頃も何度も同級生に対して加害行為を行って不登校にしたり、転校させたりって真似を繰り返していたらしいから、きっかけ自体は特に重要じゃないんだろう」

「あの──響野さん」


 菅原が小さく挙手をしている。「どうぞ」とまるで教師のような口調で響野が応じる。


「今のお話を聞いていると……生徒C、D──秋泉、田中はどう考えても被害者にはなり得ないのですが……」


 菅原の言う通りだ。響野は黒髪をくしゃくしゃと掻き回し「そうなんだよなぁ」と溜息混じりの響きで呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る