第四話 事件

 東京都A区、区立浅瀬船中学校でのいじめ事件の概要はこうだ。


 被害者であるBさんは地方都市からの転入生だった。父親が転勤族であったということもあり、同じ住居に一年以上暮らしたことがなく、小学校の頃は一年おきに別の学校に通っていたという。浅瀬船中学校には、二年生の六月から通い始めた。夏休みの少し前である。父親の転勤ラッシュも落ち着き、A区で中学生活を過ごし、その後高校受験をする──という予定だったらしい。

 同じクラスに、C、Dという女子生徒がいた。Cはダンス部、Dはバレーボール部に所属しており、いわゆる陽キャで、クラス内でも彼女らの発言権は大きかったそうだ。担当教諭も何かとC、Dを頼りにしており、Bさんが転入してくる前に行われた生徒会役員選挙では立候補を検討していたQという学生に対してC、Dが「向いていない」「彼女は仕切り屋なだけで役員の器ではない」と発言したことにより、担当教諭がQを説得して立候補を取り下げるという騒動があったという。


 Bさんは内気な少女であった、らしい。もともとの性格もあるのだろうが、いちばんの理由は方言である──と、資料として購入したとある週刊誌の電子版が断定していた。なんでもBさん一家はおもに名古屋以西を中心に引っ越しを繰り返しており、その関係もあってBさんは関西圏、それに中国地方の方言が口から飛び出すことが多かったそうだ。──情報源は、絶対に本名ではない胡散臭い筆名が添えられている雑誌の記事である。頭から信用することはできない。しかし、。関東圏で生まれ育った学生たちとは違う言葉を喋る少女。C、Dがクラスの中心にいて、生徒会役員選挙に立候補しようとしていた生徒の足を引っ張ったという情報──これも所詮は週刊誌に書かれている与太にすぎないのだが、仮にすべてが真実だとしたら、『方言』がいじめのきっかけになったとしても何らおかしくはない。そしてBさんが自死を図ったというのも。喋る言葉は、そう簡単には変えられない。菅原の一人称がすぐ『菅原』になるのと同じで(今は僕の前でだけは『私』と言うが、知り合ったばかりの頃は『菅原』と称することの方が多かった)、おまえの喋り方がおかしいと──理不尽な言いがかりを付けられていたとしたら──


 気分が悪くなってきた。先を続けよう。


 浅瀬船中学校の集団いじめ、自殺未遂事件に関しては、記事の大半がでまかせである週刊誌から比較的硬めの新聞まで、ありとあらゆる媒体で記事になっていた。『いじめ』という社会現象、暴力に向き合いたいという意志からではなく、Bさんが自殺未遂をし、その後学校内でいじめがあったらしいという情報を得たBさんの家族が即弁護士を雇って加害学生・そしていじめを見てみぬふりをしていた学校相手に訴訟を起こしたから、というのが大量の記事が溢れ返っている大きな理由のひとつだ。


 皆、他人の不幸が大好きなのだ。


 念の為様々なSNSもチェックしてみたが、Bさんの自殺未遂で人間は数多く見られた。概ね名誉毀損ものの発言をしていて、Bさんの家族が開示請求を行ったらこちらも速やかに事件になるということを──想像できないのだろうな。何せBさんというひとりの少女がいじめという暴力を受けて自殺未遂を行った、それはSNS上の匿名の人々にとっては楽しい他人事に過ぎないのだから。


 事件。浅瀬船中学校内で起きていたに直接触れる記事はあまり多くない。それはそうか。加害者──と見做されている児童も自分たちがどのような行いをしていたかなんて証言しないだろうし、そもそも加害そのものを加害と認識していない可能性もある。学校関係者も同じくだ。となると、僕にできることはいったい何がある?


 真夜中のリビング、丸テーブルの上にノートパソコン、タブレット、スマートフォン、それに光臣から受け取った『七不思議』が書かれた紙を置き、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回す。光臣の依頼人は、加害児童の親だ。加害児童が『悪魔を見た』と言って騒ぎ、怯え、学校に行かなくなってしまったからどうにかしてほしい──という依頼だったはず。


 Bさんをいじめていた生徒。

 C、Dという名の女子生徒たち。それにE、F、G。こちらは男子生徒だという。

 やっぱり僕は、光臣の依頼人の家に行かなくてはならないのか?


「う〜〜〜〜ん……」


 シンプルに嫌だ。だって、いじめを受けていたのはBさんで、自殺未遂をしたのもBさんで、C、D、E、F、Gと浅瀬船中学校は訴えられている側で、そんな人間たちのために僕の貴重な青春を使いたくない。飲み会行きたい。ゼミにも出なきゃならない。困った。


「坊ちゃん」

「わあ!」


 背後から声が飛んでくる。菅原だ。

 もう寝る準備をしていたのだろう。壁の時計の針は零時を少し過ぎたところ。長身を黒いジャージに包み、乾かすのに永遠にも近い時間がかかる髪を綺麗に梳かした菅原が、腰を折り曲げて僕の手元を見詰めている。


「ずいぶんたくさんの資料があるんですね」

「ああまあ……かなり騒ぎになった事件だし、今も事件は続いているからね。訴訟っていう形で」

「なるほど。……でも、嘘の資料も多いようですね」


 ノートパソコン、タブレットの液晶画面に表示される記事すべてをこの一瞬で読んだわけではないだろう。ただ菅原は、そういうものを


「多いね。被害者の名誉を踏み付けてこんな記事を書くなんて、僕が言うのもおかしな話だけどまともじゃないと思う」

「ですが、坊ちゃん」


 菅原の長い指、桜貝のような爪がタブレットの液晶画面に触れる。幾つもの記事を同時に広げていたのだが、それらを次々と閉じた菅原が「これを」と最後に残ったひとつを瞳孔の開いた眼で見据えている。


 これは──『』?


 それこそ信用できない、嘘と風俗とヤクザの話ばかり載せている胡散臭い雑誌じゃないか。もともとは関西ローカルで発行されていた雑誌で、出版不況で会社が倒産して、その後東京に本社を構える巨大出版社に雑誌名と編集部ごと買い取られ、最近は電子版『週刊ファイヤー』を不定期に刊行していると──僕は誰に聞いたんだったか──



 桜貝の爪が、コツコツとタブレットの左下を叩く。


「本当のことを知っている気がします」


 Bさんの事件に関する記名記事だった。


 執筆者の名は、響野きょうの憲造けんぞう

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