第三話 僕

 菅原の大型バイクの後ろに乗って、現在の住居であるマンションに帰る。十階建てのマンションはこれ自体が事故物件で、僕と菅原は各階の『事故』を潰しながら生活している。最上階、十階からスタートして、今は六階。一階まで全部片付け終わったら、光臣経由でこの建物は所有者の手に戻る。もちろん、大金と引き換えに。父が亡くなってから、僕はずっとこういった事故物件で暮らしている。でも、17の年に菅原がやって来てからは恐怖や不安はなくなった。菅原は僕よりもずっと事故──怪異を倒すのがうまいし、家事も得意だし、何より手料理がすごく美味しい。菅原と一緒に暮らしていると毎日美味しいご飯が食べられるから、ちょっとやそっとの怪異なんて指で摘んでポイッで済む。衣食住すべて大切だと思うけど、僕は中でも食にこだわりがある人間なんだなって菅原と出会って初めて自覚した。


 菅原は、本来光臣のもとで経理として働く予定だった──らしい。資格も持っている。その彼がなぜ僕のもとに送り込まれたのかは未だに良く分からないが、同士で支え合ってやっていく生活はまあまあ悪くない。


 帰宅途中のファミレスで夜ご飯を食べていたら、飲み会中らしい片寄くんからメッセージが届いた。新入生たちと一緒にポーズを決めてる写真付き。いいなぁ飲み会。行きたかったなぁ。


「坊ちゃん……」


 ナポリタンをフォークでぐるぐると巻きながら菅原が口を開く。


「私が……坊ちゃんのために飲み会を開きましょうか……?」

「えっ、そんな、いいよいいよ、大丈夫」


 そこまで未練がましい顔をしていたのだろうか。いかんいかん。


「飲み会はほら、年末とかにもあるし……忘年会的な……」

「でも、光臣さんに呼び出されたら」

「うーん……」


 その可能性は大いにある。年の瀬にはなぜか駆け込みお祓いの依頼が多い。僕も菅原もボロ雑巾みたいになるぐらいこき使われた、少なくとも去年の暮れは。


「楽しそうですねえ」


 身を乗り出して僕のスマホを覗き込む菅原が、しみじみと呟いた。


「坊ちゃんは、お酒はまだですよ」

「分かってる」


 というより、酒に対する興味がそれほどない。父も飲酒はしない方だった。菅原は炭酸飲料はよく飲むけれど、酒は口にしない。


「それにしても、七不思議」


 ドリンクバーでコーヒーを汲んできた菅原が不意に真顔になる。

 そうだ。今は忘年会のことを考えている場合ではない。

 この件が解決しなければ、僕には忘年会も新年会もありはしないのだ。


「変な七不思議ですね」

「菅原もそう思った?」

「はい。特に、悪魔……ですか?」

「そうだね。僕も引っかかった」


 七不思議といえば、パッと思い付くのはトイレの花子さん、理科室の動く人体模型、それに音楽室の勝手に鳴るピアノ──といったところだろうか。他にも踊り場の鏡に霊が映るとか、そもそも階段の段数が変わる、なんてのも聞いたことがあるが、『悪魔』というフレーズが入っている話を聞いたのは今日が初めてだ。日本中探し回れば浅瀬船中学校以外にも『悪魔』絡みの七不思議を持つ学校は存在するのかもしれないけれど。


「悪魔」


 額に落ちる黒髪をかき上げながら、菅原が唸る。


「お会いしたことがありません」

「……そう」


 菅原は人間ではないのだ。悪魔に会ったこともあるかと思っていたのだけど。


「たとえばだけど、菅原が『悪魔』だって認識していないだけで、過去に本物のに出会ってたっていう可能性は?」

「ああ、そういう……そうですね、そう言われるともしかしたら……」


 と白い顎をつるりと撫でた菅原は、


「いや、でもやっぱり、ないような気がしますね。あの、坊ちゃん、光臣さんに渡された紙」

「うん? 出す?」


 光臣に押し付けられた『浅瀬船中学校七不思議』が書かれた紙は、僕の鞄の中に突っ込んである。


「いえ、結構です。ただ。そうですね、七つ目……」

「こだわるね」

「分かる気がするんです。でも、言わない方がいいんですよね?」

「ん〜……」


 悩ましい。「七不思議の七つ目を知ると不幸になる/不幸が訪れる」というのはこういうネタの鉄板だ。実際七つ目の不思議が欠番になっている学校だってそう少なくはないと思う。僕の通っていた中学校にも七不思議が──あったような、なかったような──思い出せるとしてもふたつかみっつで、七つ目まできちんと記憶してはいない。七不思議ってつまりは、そういう存在なのだ。


「言わない方がいい、と思う。今は」

「分かりました」


 コーヒーをひと息に飲み干し、菅原は力強く頷いた。


「然るべき時まで、心の中にしまっておくことにします」

「うん。お願い」


 然るべき時っていつだろう。その時の僕には、まだ分かっていなかった。


「とりあえず、何から始めますか? 坊ちゃん」


 テーブルを挟んで正面に座る菅原の問い掛けに、今度は僕が顎を撫でる番だった。

 どうしよう。光臣は、例のいじめ事件の主犯格──要するに加害者側の学生たちが悪魔を見た、と言っていた。加害者側の学生への聞き込み、が本来真っ先にやるべきことなのだろうけど。


「やりたくないなぁ……」

「同種の個体を執拗に虐待する個体、邪悪な感じがしますものねえ」


 菅原がしみじみと呟く。そうなんだよなぁ。

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