第二話 僕

 菅原すがわらとは錆殻さびがら本邸で落ち合った。時刻は十八時。冬直前の秋。日が傾くのも早くなってきた。僕は電車とバスで、菅原は大型バイクで錆殻本邸までやって来た。「坊ちゃん」とヘルメットを片手に菅原が笑う。菅原は身長が2メートル近くあり、黒髪を腰の辺りまで伸ばしている妙な男だ。ヘルメットの中に押し込めるためにめちゃくちゃに結えたらしい髪に、変な癖が付いてうねうねと揺れている。


「坊ちゃんの分もヘルメット持ってきましたから。何か美味しいもの食べて帰りましょうね」

「そうだな」


 言い合いながら、錆殻本邸を囲む背の高い壁を見上げる。本当に嫌な空気を纏っている。世の中の呪いとか悪霊を指揮しているのは光臣なのではないかと疑いたくなるほどに。

 菅原が門扉をぐっと押し開ける。一歩中に踏み込めば、そこは絢爛豪華な日本庭園。光臣の妻の趣味だ。つまり僕の伯母ということになるが、まともに口を利いたことはない。光臣には娘と息子がひとりずついるが、彼らとも当然没交渉だ。錆殻家の人間で僕とまともに会話したことがあるのは、嫌悪している光臣だけという不思議な状態。まあ、どうでもいいんだけどさ。

 先導する菅原が「失礼しますよぉ」と言いながら本邸のドアを開けた。鍵はかかっていないようだ。広い玄関に僕はスニーカーを、菅原は革靴を脱ぎ散らかして、勝手に家の中に上がり込む。


 光臣は、僕と菅原を客間にしか通さない。客間、とはいっても別に綺麗だったり広かったりするわけじゃなく、八畳ぐらいの和室にちゃぶ台と座布団が乱雑に置いてある、そういう、いい加減な部屋だ。高校生の頃の僕はいつもその客間でひとりで光臣のことを待っていた。本当に心細かった。でも、19歳の僕には菅原がいる。こんなに心強いことはない。


「相変わらず狭い部屋ですね」

「菅原は2メートルあるもんな」

「坊ちゃんだってもう何年かしたら私より大きくなりますよ」

「それはどうかな……」


 たぶんないと思うな……父も確か170センチちょっとってところだったし……。部屋の隅に積まれている座布団の中から綺麗なものを選び出して、菅原が渡してくれる。それぞれ座布団の上に腰を下ろし、今日のゼミはこんな感じだったとか、本当は飲み会に行く予定だったとか、取り止めのない報告をして過ごす。菅原は大きく目を見開いて、


「飲み会に、今からでも行くべきではないですか? お送りしましょうか?」

「いやそれはちょっと……無理かな」

「私が代わりに依頼を聞いておきますよ」

「う〜ん、ありがたいけど……無理かな」


 無理なのだ。

 光臣はあくまで僕に用事があるだけで、菅原とは口を利きたがらない。こんな表現が正しいかどうかは分からないが、光臣は菅原を怖がっている、と思う瞬間がわりとある。

 菅原は、人間ではないのだ。


「おい」


 と低い声がした。光臣だ。

 襖を足で開けて入ってきた伯父は三白眼で僕と菅原をじっと睨め付け、


を」


 と菅原を指差した。マナーがなってない。


「呼び付けた覚えはないぞ」

「僕が呼んだんです。仕事の話なら、菅原にも聞いてもらった方がいいと思って」

「菅原もお役に立ちます」


 光臣は大きく溜息を吐き、


「役に立つかどうかは知らん。──これを読め」


 と、一枚の紙切れを突き出した。

 お茶の一杯も出してくれない。この人マジで感じ悪い。ファンがいるとか嘘だろって思う、いつも。

 紙切れを受け取ったのは菅原だ。切長の目を大きく見開いた菅原が「」と呟いた。──七不思議?


「あさ……せ……ふね……?」

「浅瀬船中学校。聞いたことある。あんまり評判の良くない学校だよね」

「そうなんですか?」

「そうだよ」


 浅瀬船中学校。最近も話題になっていた。いじめを苦に自殺を図った学生がいて──その子は一命を取り留めたんだけど、親とか親戚が学校を相手に裁判を起こしていて、ものすごく揉めているっていう話だった気がする。


「いじめ」


 菅原が平坦な声で繰り返す。


「同じ種族の中でもひとつの個体に狙いを定め、自死を選ぶほどに追い詰める。なぜそんなことをするのでしょうね」


 その疑問が解けたら世の中からはいじめっていう行為そのものがなくなるんじゃないかな。と思いつつ、僕は菅原が持つ紙をひょいと覗き込む。『浅瀬船中学校の七不思議』──七不思議?


「なんです、これ」

「依頼があった」


 光臣が唸るように言う。


学生がいるという」

「あくま?」


 応じるのは菅原だ。


「実在するのですか。菅原は見たことがありません。坊ちゃんは?」

「僕もない。どういう意味ですか、それ?」


 光臣が苛々と貧乏揺すりをしているのが分かる。一刻も早くこの部屋から出て行きたいんだろうな。だが、そうは問屋が卸さない。僕の飲み会を潰した以上、事情はきちんと説明してもらわなくてはいけない。


「上から順に読め」

「ええっと……」


 眉根を寄せた菅原がじっと紙を見詰める。長いまつ毛が紙に触れている。


「ひとつめ、午前零時に南棟にある音楽室から校庭を見下ろすと、そこには魔法陣が描かれている」


 魔法陣?


「誰かの落書きじゃなくて?」

「ふたつめ、魔法陣を見てしまった生徒はその日から一週間以内に保健室の四つ目のベッドに横にならないと悪魔に取り憑かれる。尚、保健室には二つしかベッドがない」


 いきなり悪魔が出てきたぞ。しかも取り憑かれる? 四つ目のベッドが必要なのに、保健室にはふたつしかベッドがない? 対処できなくない?


「みっつめ。悪魔に取り憑かれた生徒は、対価を支払わなければならない」

「対価? ってなに?」

「わかりません。よっつめ。北棟にある理科室の標本資料置き場には、悪魔から逃れられなかった生徒の遺骨が納められている」

「遺骨……」


 急に具体的になりやがった。この七不思議に触れて死んだ人間がいるということか?


「いつつめ、中央棟にある職員室の机は、不定期に増減する」


 ずいぶんと場所が移動する。南棟、北棟、それに中央棟。それに校庭も含まれる。学校全体が怪異──にとって居心地の良い作りになっているということか?


「むっつめ、職員室には悪魔が潜んでいる場合がある」

「待て待て待て、待って」


 教師の中に『悪魔』がいるという意味か? いや、『職員室』と場所を指定しただけだから、必ずしも教師=悪魔というわけではないのかもしれないが──


「ななつめ……には何も書かれていません」


 形の良い眉を下げ、困り果てた様子で菅原が言った。菅原は時々大型犬の仔犬のような顔をする。今は迷子になった大型犬の仔犬の顔で僕を見ている。


「菅原。七不思議っていうのは、七つ全部を知っちゃいけないんだ」

「そうなんですか? なぜです?」

「七つ目を知ると呪われる、っていう言い伝えが多いかな──そうですよね、伯父さん」


 光臣が、苦虫を口中に詰め込まれたような顔で僅かに頷いた。なるほど、と菅原が大きく瞬きをしている。


「坊ちゃん」

「何?」

「私、

「えっ」


 それは。


「ななつめは──」

「わあ! だめ! 菅原黙って!」

「だめですか? でも、七つ目を知っても呪われはしないと思います」


 そういう問題ではないのだ。


「伯父さん!」


 菅原はで、そして僕の唯一の味方だ。でも、ちょっとだけ浮世離れしたところがある。菅原に今、浅瀬船中学校七不思議の七つ目を当ててもらうわけにはいかない。

 おそらく七つ目の不思議に、何か問題が生じているのだ。


「浅瀬船中学校で、何が起きているっていうんです?」

「さっきも言った。悪魔を見た、という学生がいる」

「それだけじゃ情報として十全じゃありません。他に何かありますよね?」


 フン、と光臣は鼻を鳴らし、


「おまえも言っていただろう。評判の良い学校ではないと」

「まあ」

「例のいじめ事件だ。主犯格の学生たちが、悪魔を見たと言って騒ぎになっている」


 思わず菅原に視線を向ける。菅原は、僕の方を見ていなかった。真っ黒い瞳孔を大きく開いて、手元の紙に見入っている。


 悪魔。悪魔が現れる学校の七不思議なんて、僕は聞いたことないぞ。

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