第五幕

 広間に戻った私は、屋敷の探索を終えたというていで報告をする。

「屋敷内の探索は終わりました。あいにくとネズミ一匹とはいきませんが、人っこ一人いません」

「……となると、父さんを殺した犯人が、この中にいるわけですね」

 唸るような和真の言葉に、文字通り親の仇を、今にも睨み殺してしまいそうな気迫に、場が緊張に包まれる。

「その犯人を特定するために、皆んなに協力して欲しいんですが、今から個別に事情聴取を行います。順番を決めるので、俺の部屋に来てもらえますか?」

「おいおい。素人探偵が場を仕切るのかい?」

 亥久雄さんが難色を示す。この反応は珍しいものではない。過去の事件でも、何の権限もない部外者の私が出しゃばる事を愉快に思われない事は少なくなかった。

「叔父さん、そんな言い方……」

「美月。彼は僕たち一族とは関係ない部外者だ。なんなら彼こそが犯人で、西園寺家を陥れようとしているのかもしれない」

 最初は紳士的だと思った亥久雄さんだが、事件が起きてから言葉に棘が含まれるようになっている。

 どうやら神経質そうな外見通りに神経質で、臆病なのかもしれない。

「なるほど。ならば拙僧も同じく部外者なので、犯人の可能性が高いですな」

 海円さんの言葉に亥久雄さんの体がびくっと震える。

 その言葉は強い口調ではなかったのにも関わらず、場に染み渡り亥久雄さんを黙らせる力強さがあった。

「いえ、その……」

「どうやらこの中で最も冷静な対応ができるのは七崎殿です。尊公らは親族を亡くされたばかり故、目が曇ってしまいがちであると思われます。愛別離苦を克服する事は困難。拙僧はここは彼に任せるのが得策と思いますが、如何でしょう」

「……わかりました」

 苦々しげに口元を歪めた亥久雄さんは腕組みをしてそれ以上何も言うことはなかった。

「他に反対の方はいますか?」

 反対の意を示す人間はいない。私は海円さんに感謝しつつ、事情聴取の順番を指定した。


 事情聴取の最初の相手は和真だった。最初に異変に気づいた彼にまず話を聞いておきたかったのだ。

 テーブルを挟んで私とアリスは、和真と向き合う。

「和真君。父親を亡くした君にこうして事情を尋ねる無神経さを許して欲しい」

「構いません。犯人を捕まえるためなら、僕は幾らでも協力します」

 力強い瞳で私を見て答える。まだ若いのに、大した胆力だと思う。

「まず、昨日、夕食後の行動を教えて欲しい」

「わかりました。といっても語れる事は多くありません。昨日の夕食後は書斎に行って工学関係の本を漁っていました」

「こんな時でも勉強か。すごいなあ」

「父に、あんな事を言われた後ですからね」

 恥ずかしさと、寂しさを湛えた笑みを溢す。勉強しろと叱ってくれる父はもういない寂寥感があった。

「工学関係の本って事は、和真君は工学系の大学に進むつもりなのか?」

「ええ。父の意向で東大の工学部に進むつもりです」

 東大工学部。偏差値の低い大学の経済学部にいた私からすれば、雲の上のような場所だった。

「ちなみに、タツヒコさんも東大工学部デシタ」

 アリスの注釈に私は頷く。

「なるほど。寅吉さんは息子に龍彦さんの跡を継いで欲しかったのかな」

「そうですね。龍彦叔父さんの研究は秘匿されていて今は娘である閑奈ちゃんしかその全容を知りませんが、いずれは僕に新たな研究をして欲しいと言ってました」

「なるほど。それで、書斎に行った後は?」

「二十二時頃になって自分の部屋に戻り、そのまま寝ました。起きたのが確か七時前くらいで、父に朝の挨拶をしようとして、ノックしても応答がなかったので、父を探して玄関側の部屋から順に回りました。それで、亥久雄さんが部屋を開けれないかこの家の人に聞きに行って、美月さんは扉をひたすらノックして父に呼びかけてくれました」

「それで、俺の部屋に来たというわけか」

これで遺体発見に至る大まかな流れがわかった。

「次の質問だ。寅吉さんが誰かに殺される心当たりは?」

「それは……わかりません。父は立派な医者でした。誰かから恨みを買うような事は……」

「恨みとかじゃなくてもいい。例えば西園寺医院の内部で揉め事があったとか、その辺りの心当たりは?」

 和真は苦悩したように顔を顰める。

「それもわかりません。父は院長で亥久雄叔父さんは事務長です。病院の方針で揉める事はありそうな話ですが、仮にそうだったとしても、高校生である僕には預かり知らない事ですから」

「閑奈ちゃんの事については?」

 これが核心だ。

 寅吉さんは閑奈に危害を加えようとしていた形跡がある。

「閑奈ちゃんに関しては……そうですね。あまりいい顔をしていませんでした。なにせ将来的には病院の経営の最終的な決定権を握られる上に、龍彦叔父さんの研究を決して開示しようとしませんでしたから」

 なるほど。寅吉さんには閑奈を殺害しようとした動機も形跡もある。その辺りが今回の事件に繋がっているのかもしれない。

 誰かが、寅吉さんの抱いた殺意に気づき、彼を排除しようとした可能性がある。

「七崎さん」

 和真君が、真っ直ぐに私を見つめる。

「父を殺した犯人を、見つけ出してください」

 私は彼の真剣な瞳を見返し、頷いた。

「ああ。その為に探偵探偵助手アリスがいる」

 

 次の相手は亥久雄さんだった。眼鏡の向こうの目は見るからに不機嫌さを湛えている。

「昨日の夕食以降の行動を教えてもらっていいですか?」

 ふん。と鼻を鳴らし、ぶっきらぼうに答える。

「僕は夕食後は部屋に戻って書類の整理をしていたよ。院長である寅吉兄さんほどじゃないけど、事務長の僕も忙しくてね。仕事に没頭して気がついたら深夜零時前だった。そこで仕事を切り上げてシャワーを浴びて就寝。朝は和真君がドアをノックする音で目が覚めたよ。寅吉兄さんの心臓が弱っている事は知っていたからね。僕も心配になって部屋の様子を見に行って、扉を開けてもらう為に家の人を呼びに行って、庭にいたバーリィさんを連れて戻ってきたんだ。あ、騒ぎを聞きつけて部屋から出てきた閑奈ちゃんも一緒にだ。後は君が知る通りだ」

「なるほど。ところで厨房にはロックさんがいたのに、どうしてわざわざ庭までバーリィさんを呼びに行ったんですか?」

「ロックさんが厨房にいた事なんて僕は知らないよ。窓の外で庭師とメイドが雪かきしている姿を見たから、そこに行ったんだ」

 なるほど、道理である。不自然な動きではない。

「つまりはアリバイ無しって事だ。容疑者が多いと嬉しいかい? 探偵」

 挑発するような物言いに、私は首を横に振る。

「勘違いなさっているようですが、アリバイを調べる事は容疑者を増やす為ではなく容疑者を減らす為に行うものです。それともう一つ。寅吉さんが殺害されたのは夜中な上に二時間ほど幅があります。アリバイがある人の方が珍しい。これはアリバイを調べているのではなく、昨晩から今朝にかけての出来事を纏めるために行なっています」

 私が淡々と答えると、亥久雄さんはバツが悪そうに目を逸らした。

「寅吉さんを恨んでいる人間に心当たりはありませんか?」

「それでいえば一番怪しいのは僕か卯月だろうな。僕も卯月も、病院の方針で寅吉兄さんと意見が合わない事があったからね。逆に和真君と美月ちゃんは関係ないんじゃないかな」

 どこか投げやりに言う。自分が疑われるのは、はなから諦めているのだろう。

「では、閑奈ちゃんは?」

「おいおい。あの子はまだ十歳だよ。それに兄さんを含め親族とはほとんど没交渉だったんだ。恨みを抱きようが無いし、ましてや手をかけるなんて論外だ」

 意外にも彼は閑奈を庇う発言をした。

「そうですね。ところで寅吉さんの方は当の閑奈ちゃんの事をどう思っていたのでしょう」

 私が問うと、亥久雄さんは能面のように表情を消し、「わからない」とだけ答えた。

 

 次の相手は卯月さんだった。

 顔を真っ青にして俯いている。

「お顔がすぐれないようですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけないでしょう……実の兄が殺されたのよ」

 そう答える声も震えている。先ほど広間ではそれなりに気を保っているように見えたのだが、この短時間で何が彼女をここまで変えたのだろう。

「弁護士なので殺人事件の方は慣れていると思っていましたが……」

「私はあなたのお母さんと違って、刑事事件じゃなくて民事事件専門なの。殺人事件に関わったことなんて無いのよ」

「失礼しました。では手短に済ませましょう。昨晩、夕食後の行動を教えてください」

「夕食後はまずお風呂に行ったわ。広い湯船に浸かりたかったから、部屋のお風呂じゃなくて、玄関近くの浴室の方にね」

「そういえば風呂上がりに会いましたね」

 その時の事を思い返してつい口元が緩みそうになる。隣に座るアリスが白けた視線を向けてきた。

「そうね。あなたと少し話をしてから自分の部屋に戻って、それからは二十二時まで仕事の書類に目を通してから寝たわ。朝は六時に目が覚めて、厨房に行ってロックさんに珈琲をいただいて、その後は自分の部屋に戻って本を読んで過ごしていたわ。そしたら和真さんが部屋をノックして寅吉兄さんを探しに来て、来てないって答えた後、化粧をして部屋を出たら、あなた達が廊下で騒然としていてのよ」

「なるほど。次の質問ですが、寅吉さんを殺害する動機を持つ人に心当たりは?」

 その問いに、ビクリと肩を振るわせる。弁護士として動揺を顔に出さないくらいの自制心は持っているようだが、本人の言った通り殺人事件には慣れていないのだろう。反応が体に出てしまったようだ。

 しばしの沈黙の末。

「……閑奈さんじゃ無いかしら」

 亥久雄さんとは反対に、彼女を名指しした。

「どうしてそうお思いに?」

「彼女は西園寺家の当主よ。あの子は当主の座を守る為に、それを奪おうとする寅吉兄さんを殺したかもしれないわ」

「寅吉さんは当主の座を奪おうとしていたんですか?」

「さあ? あの子がそう勘違いしたかもしれないって話よ。なにせこんな辺鄙な屋敷に篭ってるんだもの。精神的に拗らせて変な勘違いや妄想を抱いたとしてもおかしくないわ」

 突き放すように、あるは吐き捨てるように、そう口にした。

 

「ソウジさん。憂鬱そうな顔をしていマスネ」

「まあ、相手が相手だからな」

 次の相手は美月である。そして彼女がミステリ小説が大好きという事は、昨日十分に思い知った。

 信じられない事だが、殺人事件が起きるとテンションが上がるミステリ好きという人種はまあまあ存在する。

 面白がって嬉々として推理に乗り出し、現場保存を全く考えず現場をめちゃくちゃにし、挙げ句の果てに私が探偵と聞くと、推理勝負をしようなどと事件を勝負のネタにするという、倫理観を投げ捨てたような事を言い出す始末である。事件解決とか不謹慎とかその手の考えが全く持って欠けている。

 だが扉を開けて入ってきた美月は、随分と項垂れていた。

「美月ちゃん、大丈夫か?」

 彼女は顔をあげて我々を見て、力無く愛想笑いをする。

「ええ……ちょっと、殺人事件へのショックが大きくて。ミステリばっか読んでるのに情けないですよね。密室と聞いても、何の感慨も湧きません」

 それが普通の反応だろう。作り物と現実は違う。

「密室やアリバイトリックはあくまで物語を面白くする為のものだ。だが現実でのそれは、人を殺しておきながらその罪から逃れようとする、浅ましい行動だ。腹立たしさを覚えこそすれ、面白さなんて感じる事はない」

「そうですね……。この屋敷に人殺しがいるのは恐ろしいし、叔父さんを殺した事は許せません。殺人事件なんて、ちっとも面白くない」

 私は美月に同情を禁じ得ない。せめて同じミステリ小説好きとして、ミステリに忌避感を抱いてしまうのは避けて欲しかったが、根が真面目なのだろう。こういうタイプは時間が心の傷を癒してくれたとしても、叔父を殺されておきながら殺人事件を取り扱う小説を楽しむ自分を許せないという自縛状態に陥ってしまう可能性もある。

 探偵の仕事が事件を解決する事ならば、できれば美月のこの件も解決してあげたい。だが、まずは殺人事件の犯人を探す事が大切だ。

「美月ちゃん。昨日の夕食後から今朝にかけての行動を教えて欲しい」

「はい。昨日は夕食後は自分の部屋に戻って家から持ってきた本を読んでました。読み終わったのは……確か夜の一時前くらいだったかな。そこからシャワーを浴びて寝ました。朝は寅吉叔父さんを探しにきた和真君のノックの音で目が覚めて、寅吉さんが心配になってとにかく扉を叩いて寅吉叔父さんに呼びかけて……」

「そこに俺達が現れたわけか。ところで卯月さんの様子が少しおかしいんだが、心当たりはないか?」

「うーん。ちょっとわからないです」

 その後、寅吉さんを殺害する動機を持つ者に関して尋ねたが、わからないとの事だった。

 

 次は閑奈だった。

 フランス人形を抱えたままなのは昨日と同じだが、昨日と違って顔が俯きがちな事はない。

「閑奈ちゃん。昨日の夕食後から今朝にかけての行動を教えてほしい」

「うん。昨日はご飯を食べ終わった後は、自分の部屋に戻って携帯ゲームをしてたよ。十時くらいになったらお風呂に入って寝て、朝は六時過ぎくらいに起きてゲームの続きをしてたら七崎さんが部屋に来て、七崎さんがいなくなった後もゲームをしてたらドアの外から声が聞こえたから、ドアを開けたらバーリィと亥久雄叔父さんがいて、バーリィさんが一緒に来てくれって言うからついていって……」

 後は我々の知る通りである。

 というかゲームのし過ぎである。寅吉さん達でなくとも、閑奈の将来が心配になる。

「カンナちゃんはゲームをしてばかりデスネ。ゲームは一日一時間にしないといけマセン」

「もう。アリスお姉ちゃんキャシーみたい」

 恐らく昨日はキャシーさんが夕食の片付けで忙しかったので、思う存分ゲームをしていたのだろう。引き篭もりまっしぐらな暮らしぶりである。

「寅吉さんに恨みを持っている人に心当たりはないか?」

 そう聞くと、閑奈は顔を俯ける。

「わかんない。寅吉叔父さんと会うことはあんまりないし、何しているのかもよくわかんないし。でも、キャシーとロックとバーリィは犯人じゃないよ。機巧人形は絶対に生物を傷つける事はできないんだから」

「知ってたのか。一体誰から聞いたんだ?」

「高野さんが、この家に機巧人形のプロトタイプって言って、キャシーを連れてきた時に。人間に手を出す事はない、絶対安心安全だって」

「なるほど。それはいつの事なんだ?」

「うーん。確か二年くらい前かな」

 よくよく考えれば、あいつが龍彦さんの依頼を受けたのが三年前なので、弁一はわずか一年で機巧人形のプロトタイプを完成させたわけである。西園寺家の技術を借りていたとはいえ、あいつの頭脳に感服する。

「寅吉さんの殺害された現場は密室だったんだけれど、この屋敷には隠し通路があったりしないか?」

「ないはずだよ。この家はお父さんが買い取る前は普通の旅館で、廃館になってたところを、機巧人形のテストのために買い取って、引っ越してきたんだもん。隠し通路があるはずないし、後から作ろうとしたら私が気づくはずだよ」

「補足すると、タカノ博士がこの家の3Dマップデータを作る際に超音波検査機を使って邸宅内を細かく調べマシタ。隠し通路があれば気づくはずデス」

「なるほどな」

 密室の謎は深まるばかりである。

 

 海円さんが私とアリスと向かい合って座る。背筋を伸ばして正座した姿は流石に堂に入っている。

「海円さん。先ほどは亥久雄さんを説得していただいてありがとうございました」

「拙僧のような人間でも、この状況での不和が事件の悪化になると察する事ができます。ここは七崎殿に任せるが良いと判断したまでです」

 やはり、このお坊さんは頼りになる。

「それにしても七崎殿が探偵だったとは驚きでしたな。もっとも拙僧は探偵は江戸川写六しか知りませんが」

「江戸川写六……?」

「お前と同じ名前のアニメに登場する探偵だよ。海円さん。昨日の夕方から今朝にかけての行動を教えてください」

「御意に。拙僧は夕餉の後、自室に戻りすぐに床につきました。早朝四時に起きると二時間ほど禅を組んだ後、今日行われる法事の準備を行っておりました所、七崎殿が訪ねてきたわけです」

「ん? 海円さんは禅僧だったんですか?」

「いえ。拙僧は敢えて特定の宗派を持たずに諸寺を巡っております」

「なるほど。蓮光寺にはいつから?」

「蓮光寺は曹洞宗の寺でして、和尚さんにはかれこれ五年ほど世話になっております。蓮光寺の典座は腕がよかったので、居心地が良く結構な長居をしてしまいましたし、そろそろ他の寺に移る頃合いかもしれませんな」

「典座……?」

 聞き慣れない言葉につい反復して聞き返してしまう。

「禅寺には寺内を統率する六つの役割がありまして、そのうちの一つが典座と呼ばれる、言わば食事係です。禅寺に於いては食事も修行の一つ。故に典座も大切な役割になるのです」

「なるほど……」

 五年前に来たいう事は、機巧人形が作られる前なのでまだ龍彦さん達がやってくる前である。龍彦さんを狙って蓮光寺にやってきたわけではなさそうだ。

「ところで蓮光寺にいる間に西園寺家の方々との面識は?」

「拙僧は寺から出ることはあまりなかったので、会うことはありませんでしたな。今日が初対面です」

 

 人間の事情聴取は終わったので、ここからは機巧人形達から話を聞くことになる。

 まずはメイド機巧人形、キャシーさんである。

 和服を着たメイドは海円さんに負けず劣らずの綺麗な姿勢で我々と机を挟んで向かい合う。

「キャシーさん。昨晩の行動を教えて貰えますか?」

「はい。皆さんの食事が終わった後、私は広間の食器を下げて掃除をしました。終わったのは二十三時四十七分十三秒誤差五秒以内です」

「ふと思ったんデスガ、キャシーさんはどうやって時計を合わせているんデスカ?」

「電話回線はきているので、毎朝有線でパソコンに接続して調整しています。ちなみに無線LANがないのは、情報秘匿において危険性があるためです」

「なるほど。それで?」

「その後はこの部屋で充電をしつつ、三十分ごとに廊下を見回りました。午前五時三十四分四十九秒に雪がやんだため、バーリィと共に屋敷周りの雪かきを始め、午前七時八分四十二秒に亥久雄様が……」

「すみません、キャシーさん。正確な時刻を伝えてくれるのはありがたいんですが、ちょっと混乱しそうなので五分単位くらいに刻んでください」

「わかりました。ロックとバーリィにも伝えておきます」

 キャシーさんはしばし口を紡ぐ。他二人に連絡しているのだろう。

「続きを話します。亥久雄様が寅吉様の部屋が開かないと伝えに来たので、バーリィを向かわせました。その五分後、バーリィが私に寅吉様の訃報を伝えたので、電話で警察を呼ぼうとしましたが、電話線が切れているため通話は不可能でした。麓に人を呼ぶために車を出そうにも道が雪に埋もれていたので、とりあえず私たち三人で除雪に必要な時間を演算して広間に戻りました」

「なるほど。夜中の見回りの際の録画映像はありますか?」

「いえ。ビデオカメラを持ち歩きながら見回ったわけではないので」

「そうではなく、録画機能は……」

「ソウジさん。映像を常に記録しておく機能は、探偵助手としてワタシに特別に搭載された機能デス。他の機巧人形にはありマセン」

「なるほど。機械は妹の方が優秀とはよく言ったものだな」

 私の言葉に自尊心を傷つけられたのか、キャシーさんはムッとする。

「そうではなく役割が違うのです。例えば私は家の中の事がなんでもできるように身長が高めに作られています。高い場所の物を取ったり蛍光灯を交換したりできますからね」

 キャシーさんが勝ち誇ったようにそう言うと、身長のコンプレックスを傷つけられたのかアリスが泣きそうな顔をしてこちらを見つめてきた。だが今はそんな事に構っている場合ではない。

「では夜中に何か異常はありませんでしたか? 大きな物音だとか」

「特に何もありませんでした。寅吉様が倒れた時の音程度は廊下に響かないでしょう」

「では、寅吉さんについて知っている事は? 生前の龍彦さんから何か聞いていませんでしたか?」

「私の中のデータでは、寅吉様は龍彦様の弟であり西園寺医院の院長であるという事だけです。私が稼働した後の龍彦様は病院の事を特に口にする事は無く、ご親族の事を語ることも特にありませんでした」

「なるほど。龍彦さんは西園寺医院に訪れる事はなかったんですか?」

「私の知る限りはありませんでした。龍彦様の外出先は主にここから少し離れた場所にある研究所です。そこでお一人で医療機器の研究をしていたそうです。ちなみにバーリィもそこで生まれました」

 

 次の相手、ロックさんが来るまでの間に、私はふと気になった事をアリスに尋ねた。

「そういえば機巧人形は嘘をつけるのか?」

「可能デス。ワタシ達は看護用に作られマシタ。助かる見込みのない患者相手に「あなたは助かりません」と正直に伝えると問題があるので、嘘をつけるようになっていマス」

「そういえば鉄腕アトムにそんな話があったなあ」

 扉がノックされ、割烹着を纏った青年が姿を現した。私が着席を促すと「失礼します」と言って着席する。

「今朝は慌ただしくて挨拶する暇がなくて申し訳ありません。改めて自己紹介します。料理人機巧人形ロックと申します」

「探偵の七崎です」

「探偵助手のアリスと申しマス」

 恭しく頭を下げる青年に、我々も自己紹介をする。

「ロックさん。昨晩からの行動を聞かせて貰っていいですか?」

「はい。自分は昨晩は厨房で夕食に使われた食器の洗い物をし、翌日の朝食の仕込みをしていました。人数だけに量が量ですから、全て終わったのは夜中の一時半頃です。それ以降は厨房の片隅で充電をし、朝五時になったら朝食の準備を始めました。六時過ぎに卯月さんがやってきて珈琲が欲しいと仰ったので淹れてさしあげ、六時四十分くらいに停電が起きたのでブレーカーを調べに行き、電線が切れたようなので発電機を起動しました。その後、七時十五分ほどにバーリィさんからの無線で呼ばれ、広間にやって来ました」

「そうですか……」

 正直、目新しい情報はなかった。

 何か聞くべきことはないかと思ってロックさんを眺めていると、薄手のゴム手袋に包まれた手を見て、ふと疑問が湧き上がった。

「そういえば、機巧人形はみんな顔に人間の肌を模したゴムを貼り付けていますよね。なのにどうして手足は球体関節のままなんですか?」

「それは、そもそもこのゴムを人間の体に成形する事が難しいからです。今は機密なので関節を隠していますが、実装されれば完全公開となって医療の現場に配属されるので、そもそも関節を隠すために全身を覆う必要が無いのです。しかし顔が人形めいたまま看護すると患者様は安心できないでしょう。だから顔は最低限人間らしく作られているのです」

「なるほど。じゃあそのうちアリスもわざわざ関節を隠す必要が無くなるんですね」

 かといって球体関節の助手に慣れる日は想像し難いが。

 

 次いでバーリィさんを呼ぶ。

「俺はひたすら雪かきだ。流石に深夜は充電のために広間に行ったけど、朝はまたキャシーの姐さんと一緒に雪掻きだ。その後はお前さん方も知っての通り。亥久雄の坊ちゃんに呼ばれて扉をぶち開けた」

 ロックさんと同じく、目新しい情報はなかった。

 私はふと思いついて隣に座る助手に顔を向けた。

「アリス。同じ機巧人形としてバーリィさんに聞きたいことはないか?」

 助手は顎に手を当て、顔を上げた。

「バーリィさんはタカノ博士の研究所ではなくて、タツヒコさんの研究所で作られたんデスヨネ。そこにいた人や、サイオンジ家の中に研究所を訪れた人がいないか教えて貰えマセンカ?」

 いい質問である。私は機巧人形の生まれた場所まで考慮していなかったので、助手の着眼点に感心する。

「そうだな……龍彦の旦那の研究所は、旦那一人で切り盛りしていた。俺は知らないが、高野博士は一人でキャシーの姐さんを生み出して、研究助手やロックの兄ちゃんを生み出したんだろ? 龍彦の旦那も一人で研究開発は可能だったわけだ。もっとも、研究機材は高野博士の研究所と同じ物を用意していたがな。あと、俺の知る限り西園寺家の人間がきた事はない。もっとも、生まれてから調整が済む一ヶ月の間だけながな」

「ふと思ったんですけど、バーリィさんはロックさんを複製して生まれたんですよね。身長の違いはともかくとしても、性格が違いすぎませんか?」

「その質問にはワタシが答えマス。ワタシ達のAIは初期設定で性格のパラメータを調整できマス。キャシーさんやロックさんの性格は、タツヒコさんとカンナちゃんが相談して決めたとデータにありマス。なのでAIのプログラムをコピーして生み出したとしても、性格設定は好きにいじる事ができるんデス」

 なぜ弁一はこの助手の設定を私にやらせてもらえなかったのだろうか。


 全員分の事情聴取を終え、私は漸く肩の力を抜いた。

 ポケットから煙草を取り出して咥える。ライターを取り出す気力もないので、アリスが指先で火をつけてくれる事が地味にありがたい。

「ミナサンの情報を元に時系列を纏めマシタケド、結局は皆んなアリバイが無いし、周知の事を再確認しただけデスネ」

「そんなもんだ。大体が犯人が犯行するのは真夜中。みんなにアリバイがない状況だ。不可能犯罪が起きてトリックを見破る事で犯人がわかるなんて、そうそうあるもんじゃない」

「密室は不可能犯罪じゃないんデスカ?」

 何も言い返せない。

 私は煙草を灰皿で揉み消し、広間に戻る。

 扉を開けると、そこにいたのは閑奈と海円さんだけだった。

「みんなはどうしたんだ?」

「キャシーとロックとバーリィは雪掻きの続き。卯月叔母さんは体調が悪いって部屋に戻って美月ちゃんが心配だって行ってついていって、亥久雄叔父さんと和真君は自分の部屋に戻っていったよ」

「集団で行動するのが安全なんだがなあ……」

 犯人がいるかもしれない状況で自分の部屋に籠るのは死亡フラグだとよく言われるが、実際問題犯人の可能性がある人達と顔を突き合わせるよりも、部屋で籠城したほうが安心できるという気持ちはわからなくもない。ただどうしても切羽詰まった状況になったら、無理矢理にでも引っ張り出して相互監視の状況にするつもりである。

「それで、何かわかった事はありますかな?」

「残念ながらあまり芳しくないですね」

 手掛かりがあまりにも少なすぎる。真夜中で情報はあまりにも少なく、現場に遺留品は無し。それだけに密室の謎が際立っていると言えるが、方法も理由も不明ならばそのとっかかりもない。

「次はどうしマスカ?」

「そうだな……もう一つの異常事態、停電の方を調べてみるか」

 自然に起きたものである可能性は高いが、仮に人為的に起こされたものである場合、それが手掛かりになる可能性が高い。

「空中からの映像を調査したい。閑奈ちゃん、ドローンはないか? カメラがついていなくても構わない」

 カメラ付きドローンでなくても、アリスの眼を括りつければカメラ代わりになる。

 閑奈は可愛らしく小首を傾げた。

「空から調べたいって、アリスお姉ちゃんは空は飛べないの?」

「……は?」

「もちろん、飛べマス」

「……は?」

 

       ◯ 

       

「あの松の木が良さげデスネ」

 外。アリスは中庭の大きな松の木を見上げると、口を大きく開けた。そして、口の中から砲塔のようなものが飛び出し、パシュッという鋭い音と共にワイヤーが射出され、松の木の上部に絡みつく。アリスはワイヤーを引っ張って外れない事を確かめると、モーター音と共にワイヤーを巻き取り、松の木に向かって飛んでいった。

「なるほど。空を飛ぶというのでアトムみたいなジェットエンジンを搭載していると思いましたが、スカイイーグルスーパーカスタマブルが空を走ると表現するようなものでしたか」

 いつもなら海円さんの言葉を聞き返す少女は松の木の上でワイヤーを回収している。

「閑奈ちゃんはアリスのこの機能を知っていたのか?」

「うん。キャシーやバーリィがよくこれで屋根の上に登って雪掻きしてるんだよ」

 つまりは機巧人形に標準搭載という事か。ナースコールが鳴ったらこれで外から階上に駆けつけるのだろうか。

 スマホが鳴った。アリスからの通信である。

「あれ、電話通じるの?」

「いや、アリスが直接通信を送ってきた」

 スマホを開いて例のアプリを開くと、アリスの視界の映像が広がっている。

『ソウジさん、見えマスカ?』

「ああ。地上でキャシーさん達が雪掻きしている姿が映ってる」

 松の木から見下ろす地上は完全に白銀の世界である。キャシーさんは明日の昼には車が通れるようになると言っていたが、本当なのか心配になる。

「これ、アリスお姉ちゃんの見てる景色なの?」 

 閑奈が目を輝かせながら私のスマホを見つめている。

「ああ。ほら、目の端に俺たちが映ってるだろう?」

『ちなみにズームもできマス』

 アリスがこちらを見て拡大する。閑奈がアリスに向かって手を振ると、画面に映る閑奈も手を振った。なぜ人はカメラに向かって手を振りたくなるのだろうか。

「アリス。電線を追ってどこで切断されたか確認してくれ」

『ワカリマシタ』

 画面が西園寺邸から伸びる電線を追っていく。カメラの映像は林の中に入って行き、途中で倒木が見つかった。アリスがそこをズームすると、確かに倒木によって電線が切断されていた。

「ふむ。どうやら人為的なものではなさそうですな」

 海円さんの言葉に私は頷く。木の断面を見ても明らかに自然に倒れたものだった。

「雪はもちろんの事、倒木も自然現象だったという事は、犯人はここを外部と断ち切るつもりはなかったというわけか」

 念の為、付近の雪を確認するも、何者かが近づいた形跡もない。

「よし、アリス、調査はお終りだ」

「ところで、アリス殿はどうやってあそこから降りるのですか?」

 言われて初めてその問題に思い当たる。私が頭上を見上げると、アリスは問題ないと言わんばかりに手のひらを向ける。口を開けると涎のようにワイヤーを長々と垂らし、先端を我々の元に送り届ける。

『そのワイヤーを握っていてクダサイ』

 言われた通りにワイヤーを握ると、アリスはワイヤーを枝に引っ掛けて枝から降りる。体重が20キロしかないのでさほど重くはない。そして手でワイヤーを口から送り出しながら降りてきた。控えめに言って、非常に間抜けな光景である。

 無事、アリスは地上に降り立った。

「まるでカメレオンツイストですな」

「カメレオンツイスト……?」

 まさしくカメレオンの如くワイヤーを口の中に回収する。

「それはもうカメレオンでいいんじゃないですか?」

「私、あのゲーム大好きだよ」

 令和の時代に64のゲームを知ってる小学生がいるとは意外であった。

 雪がちらほらと降ってきたので、調査を終えた我々は、屋内に戻った。

 

       ◯

       

「ついでだから他の部屋も調べてみるか」

 玄関近くの倉庫の扉を開く。掃除道具や工具、庭の手入れに使うであろう道具、発電機、燃料等が置かれ、棚には例によって例の如く日本人形が置かれている。

 棚には開いたままの工具箱が置かれていた。

「ソウジさん、これ……」

「ああ」

 工具箱の中を覗くと、工具の代表格ことハンマーがなかった。恐らく寅吉さんは事前にここから調達したのだろう。

「なになに、二人で内緒話?」

 てくてくと近づいてくる閑奈に私は何でもないと返す。実の叔父に命を狙われていたなどとは伝えない方がいいだろう。

 床には跳ね上げ板のようなものが見つかった。そこからは発電機の音が聞こえてくる。開けて中を確かめるが、発電機以外のものは見つからなかった。 

「閑奈ちゃん。龍彦さんの部屋も調べていいか?」

「うん。いいよ」

 倉庫を出た我々は龍彦さんの部屋の扉に向かう。扉に鍵はかかっていない。

 部屋の中はかつて探偵の仕事で訪れた大学教授の部屋にそっくりだった。机の上に置かれた大きなパソコンと、その横に乱雑に積まれた資料。本棚に押し込まれた医学、工学の本。義肢の模型のようなものまである。

 本棚をざっと眺め、引き出しの中を調べる。

「何をしてるの?」

「日記みたいなものがあれば、何か今回の事件の動機の手掛かりにならないかと思ってな」

 しかしそれらしきものは見当たらない。

 パソコンに手を伸ばそうとした時、閑奈から「ちょっと待って!」と制止の声がかかる。

「パソコンの中には大事な情報が沢山入ってるから、絶対触っちゃいけないってお父さんに言われてたの」

「けど、今は状況が状況で……」

「七崎殿。故人の秘密は墓の下に持っていくもの。それを暴くことは墓荒らしに他なりません。安らかに眠らせてあげましょう」

 海円さんにまで諭されてしまえば私は何も言い返す事ができない。

 私は後ろ髪をひかれながらも龍彦さんの部屋を出た。

 

       ◯

   

 広間には私とアリス、海円さんと閑奈が揃っている。閑奈とアリスと海円さんはボードゲームに興じており、私はテーブルの上に手帳を広げて事件の概要を纏めていた。

「アリス。死体発見時の動画を見せてもらっていいか?」

「ワカリマシタ」

 人差し指を振ると、私のスマホに動画が送られてくる。

 私とバーリィさんが扉を無理やり開けた姿を後ろから見ている。アリスの前には閑奈と和真が立っており、部屋を覗き込もうとした二人を、私が止めている。

 私はため息をついてスマホをしまった。

 推理をするには手掛かりが少なすぎる。ならば動機面で推測するしかない。

 無論、個人的動機など知らない。だから私が推理する内容は殺人を行う際の行動理由である。

 寅吉さんが何かしらの犯罪に及ぼうとしていた事は確かだろう。閑奈殺害の可能性が非常に高い。というかほぼ間違いないと思われる。

 では犯人が寅吉さんを殺害したのは、寅吉さんの犯罪を防ぐためなのか、それとも元々寅吉さんを殺害するつもりで、それが偶然寅吉さんの犯罪準備のタイミングとかち合っただけなのか。

 今のところはどちらとも言えないが、前者の場合には大きな問題が立ち塞がる。それはどうやって寅吉さんが犯罪を行おうとしている事を察知できたのか。という事である。

 カメラで監視していたというのが現実的だろうが、犯人が我々の犯罪行為を警戒していたのならば寅吉さんだけ監視するのは考えづらい。全部屋に監視カメラが設置されていたのだろう。だがそれを監視するには、全部屋の映像を映す大きなモニターが必要になる。無論、邸宅内にそんなものは見当たらない。なので全部屋監視されていたという考えは非現実的だろう。

 つまり、犯人は何らかの理由で寅吉さんだけを監視していたか、寅吉さんの行動に関わらず殺害したのかのどちらかだと考えられる。

 そこまで考えた時、広間の扉が開かれロックさんが現れた。

「皆さん。簡単にですが昼食を作りました。よければ食べてください」

 そう言っておにぎりの乗った大皿を机の上に置く。

 事件の捜査に夢中で忘れていたが、朝から何も食べてなかった。今更空腹に気がつく。

「ありがとうございます。他の人たちも呼んできますね」

 私は立ち上がり、アリスと一緒に各部屋を回る。

 みんな部屋に篭るつもりだと思っていたが、空腹には勝てないのだろう。意外にも全員が広間に揃った。

「それでは、自分は雪かきの続きをしてきます」

 麦茶のボトルと全員分のグラスを並べ、ロックさんは退出する。

 場の空気は重い。亥久雄さんは難しい顔で何かを考え込んでおり、卯月さんは相変わらず顔色が悪い。

 そんな沈鬱な空気を変えようとしたのか、美月が閑奈の使っているグラスを指差した。

「閑奈ちゃん、そのグラス可愛いね」

「うん。お父さんがイギリスにお仕事に行った時に買ってきてくれた、お気に入りのグラスなの」

 掲げるグラスには、シルエットだけでもわかる鳥打ち帽とインバネスコート、そしてパイプの三点セットの有名人、シャーロックホームズがプリントアウトされていた。

「閑奈ちゃんはシャーロック・ホームズが好きなの?」

「うん。書斎に置いてあるものを読んでるんだけど、大好き。どんな事件でもすぐに解決するスーパーマンみたいでかっこいいよね」

「ははは、七崎君。君はシャーロック・ホームズみたいなスーパーマンになれそうかい?」

 急に上機嫌になった亥久雄さんに対して「鋭意捜査中です」と苦い顔で返答するしかなかった。

「私もイギリスに行きたいなー。ロンドン、ベイカー街の221のB。そこにホームズ博物館があるんだって」

「ほんとう⁉︎」

「うん。閑奈ちゃんも行ってみたい?」

 美月の言葉に、閑奈が首を縦に振る。

「うん、行きたい!」

「それじゃあ、まずは英語の勉強しないとね」

 意地悪そうに笑う美月に、閑奈が泣きそうな顔をした。

 私は探偵小説は好きだが、どうしても好きになれない展開がある。

 それは、子供が被害者になる場合である。

 子を失った親の悲壮は、フィクションだと分かっていても読んでいて辛くなる。純真な子供が命を奪われる理不尽さに胸が張り裂けそうになる。

 創作だけでもこれだけ辛いのだから、現実では決して容認できない。

 目の前のこの光景が崩れ去ることがないように、私は事件を解決の決意を改めて固めた。


       ◯


 犯人を突き止める事ができないまま夜になった。今晩は各自部屋に戻って自衛しする事になり、キャシーさん達機巧人形三人は夜を徹して雪かきをしている。

「さて、今晩はどうしマスカ?」

「今晩はこれ以上の捜査は無理だ。みんなが寝静まっている間に新たな殺人事件が起きないよう警戒しておくしかない」

 とはいえ、犯人はキャシーさんに気づかれないよう音もなく寅吉さんの部屋に侵入し、犯行を終えたのだ。警戒していても防ぐことは難しいかもしれない。

 だが私は探偵。事件を解決する事が役割。事件の悪化を防ぐために労力は惜しまない。

 私はアプリを起動して館の見取り図を表示する。

「俺はこの端、海円さんの部屋の前に居座ってここの廊下を見張る」

 この位置に陣取れば海円さん、美月、卯月さん、和真、そして今は亡き寅吉さんの部屋を見張る事ができる。

 館が「コ」の字型をしているだけに一人で全ての廊下を見張ることはできないが、こちらには助手がいる。アリスは右目を外す事でカメラのように設置する事ができるので、アリスと右目で残りの廊下を全て見張ることができる。だが。

「俺たちの目的は閑奈ちゃんの身の安全だ。アリス、今晩は閑奈ちゃんの部屋に泊まって、彼女を守ってあげてくれないか?」

「ワカリマシタ。目はどうしマスカ?」

 これが悩みどころである。昨日と同じように玄関から見張るか、あるいは龍彦さんの部屋の前か寅吉さんの部屋の前に置いて中庭に面する廊下を見張るか、二拓である。

 つまり、閑奈の部屋を見張るか、亥久雄さんの部屋を見張るか。

 いや、それだけでは不十分なのかもしれない。

 寅吉さんの手にはハンマーがあった。おそらくあれは、窓ガラスを割るためのものだろう。つまり、もし彼が閑奈の殺害を計画していたのならば外から侵入するつもりだったのだ。廊下を見張るだけでは寅吉さんの侵入を許してしまい、危うく閑奈の身を守る事ができなかった。故に今日はアリスには閑奈の部屋で過ごしてもらう事にしたのだ。

 外もまた選択肢に加わってしまうともう手に負えなくなってしまう。

「一応聞くけれど、トランクの中に目が沢山あったりしないか?」

「そんな猟奇的な機能はありマセン」

 どの口が言うか。

「それに目がたくさんあったとしても、機巧人形は沢山の視覚映像を見てデータ処理する事は不可能デス。最新型のワタシですら二つが限界デス」

「まあ、無いものねだりしても仕方ないか」

 私は考えた末、結論を出した。

「昨日と同じように閑奈の部屋の前を見張っておこう」

「わかりマシタ」

 アリスが部屋から出て行く。私は探偵業を始めて以来ずっと愛用しているボロボロのコートを着込み、廊下で張り込みの準備をした。

 廊下は暖房が効いているが、部屋に比べると寒い。こんな時のためにカイロでも用意してくればよかった。

 探偵助手機巧人形であるアリスは、冬の張り込みのためにカイロになる機能を持っていないだろうかと思ったが、少女を抱きしめて暖をとっていれば間違いなく通報案件である。

 さて、その助手はどうしているかと思ってスマホを起動し、相変わらず不気味なアイコンのアプリを起動すると、カメラに楽しそうな閑奈の顔が映った。お気に入りのフランス人形はベッド横に置かれたフリル付きの人形用の椅子に置かれている。

 探偵の仕事は大変な時もある。

 そんな時は、自分は何の為に頑張っているのかを思い返せばいい。

 私は、この少女の笑顔を守る事が仕事なのだ。

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