第3話 怪奇ストーカー男 ーー加害者サイド?ーー

 その日も岸谷五平きしたにごへいは、自室の窓から向かいのアパートの様子をうかがっていた。


ーーそろそろマリアベル様の通学時間だ。いや、今は結衣様と呼ぶべきかな。


 岸谷は転生者だった。クラウス・アルベルトという名を持ち、聖女マリアベルの護衛騎士として行動を共にしていた。


 通勤電車で聖女の紋様を持つ女子大生、清宮結衣を見つけて以来、影ながら彼女のことを見守っているのだ。


 アパートの扉が開き、結衣が姿を現した。


 岸谷も慌てて玄関に向かう。


ーーこのクラウス、今日もあなたの身をお守りしますぞ。


 早朝の住宅街は閑散としていた。


 一定の距離を置いて、岸谷は結衣の後を尾ける。


 うがった見方をすれば、彼のふるまいはストーカーのそれである。しかし、岸谷は自身の行動が純粋な愛情からきているものだと自負していた。


 岸谷にとっての愛情とは、見返りを求めない慈悲の心を捧げることに他ならない。だからこそ、結衣に自分の正体を明かさずにいるのだ。


 酒の席でその旨を後輩に話したところ、「推しには認知されたくない派なんですね、ヤバッ」と返されたのだが、ムキになって反論しなかったのは、やはり彼が慈悲深い人間だからである。


 次の日にその出来事を思い返してムカっ腹が立ち、面倒な書類整理のいっさいを押しつけたことも、教育の上で必要な処置であるし、彼の慈悲深さを否定する材料にはならないだろう。


ーーそれにしてもマリアベル様は、服の数が少ないな。この豊かな時代にあっても慎ましくあられるとは、頭が下がりますぞ。


 岸谷が今のアパートに越してきたのは一年ほど前、ちょうど結衣が二年生に進級した頃だった。


 身辺警護をするなら、護衛対象の近くに住んだほうが合理的だ。


 岸谷はその慈悲深い心を存分に発揮し、駅近好立地の高級マンションをいさぎよく手放したのだ。


 前を歩く結衣が交差点に差しかかった。歩行者用信号が点滅している。


 こういう場合、結衣は次の青信号まで待つのが常だ。


 岸谷は一年間の観察を経て、結衣のクローゼットの中身はもちろんのこと、行動傾向や趣味趣向までをも把握し切っていた。


 無用に立ち止まっては怪しまれかねない。こういうときのために、片方の靴ひもに仕掛けをしてある。


 岸谷は足首のスナップで靴紐を解いた。ほどけた靴ひもを直すフリをして、護衛対象との距離をはかる。


ーーさすがマリアベル様、人っこひとりいないのに、公序良俗を守っておられる。まさかこのクラウスが見守ってるなど、夢にも思わないでしょうな。……なぬっ!?


 岸谷は心の中ですっとんきょうな叫びをあげた。予想に反して、結衣が横断歩道を駆け足で渡ったのだ。


 反射的に立ち上がり後を追おうとする。が、ほどけた靴ひもを踏んでしまい、思いっきり転倒してしまう。


 慣れすぎていた。尾行が日課になっており、不測の事態への対応が遅れてしまったのだ。


 アスファルトに打ちつけた顔面は、火が出そうなほど熱い。痛みのせいではない。己の慢心を、岸谷は腹の底から恥じていたのだ。


ーーなんたる失態、クソっ……冷静になるのだ、クラウス……


 憤死しそうな自身をどうにかしてなだめる。


 前世でもこのような事態はたびたびあった。数多の強敵からマリアベルを守り切れたのは、クラウス・アルベルトが与えられた任務に最善を尽くす男だったからだ。


 自責の念にかられている暇はない。岸谷はハンカチで鼻血をぬぐうと、一目散に駆けだした。


ーーマリアベル様はおそらく、私の存在に気がついてらっしゃる。それ故に、今回のような行動を取られたのだ。だとすれば、いつもの最寄駅に行くとは考えがたい。隣町の駅へ向かったと考えるのが筋だ。


 目指すは大通り。タクシーを拾い、早口で目的地を指示する。


「お客さん、ずいぶん急いでらっしゃいますね」


 運転手の問いかけに、岸谷は神妙な面持ちで答える。


「すまないな。だが、人命に関わる事態なのだ」

「それを聞いてしまっては、私も協力しない訳にはいきませんね。……シートベルト、キツめにお願いします」


 タクシーが急加速する。左右に車線変更を繰り返し、通勤する車の群れを追い越していく。


「ドライバーどの、この先はたしか道路工事で車線規制をしているのではなかったか」

「その通りでございます。しかし右を選べば、開かずの踏切がある」

「ならば、左は?」

「そちらは生活道路を通ることになるので、プロとしての矜持に反しますな」

「ぬう、手詰まりか」

「早合点してはいけませんよ」


歯噛みする岸谷に、運転手がバックミラー越しに意味深な視線を送る。


「……このまま真っ直ぐいけば高速道路の入り口がありますよね?」

「ああ。しかし、次の出口まではかなりの距離が」


 かえって遠回りになるのでは? 言外に含ませた疑問に、運転手が返す。


「その途中にサービスエリアがありますよね。降りられるんですよ、一般道に」

「そうか、スマートIC……!」


 岸谷は指を打ち鳴らした。


 たしかに、その方法ならば、結衣が隣駅に到着するよりも早いかもしれない。


「お客さん、高速に乗ってもよろしいですか……?」


 岸谷は深く首肯した。


 当初予定していたよりも、かなり早く隣駅に着いた。この時間なら、仮に結衣が最寄駅に向かっていたとしても、同じ電車に乗りこめる。


 岸谷はホームのベンチに腰かけてスマートホンを手にした。不審に思われないように気を配りながら、あたりをうかがう。


 そろそろいい時間なのだが、などと思っていると、当の結衣が階段を降りてきた。


 岸谷は発車標を気にするフリをして、結衣の様子を盗み見る。


 彼女が電車に乗りこんだのを確認し、閉まりかけたドアに体を滑りこませた。


ーーマリアベル様、あなたの騎士たるクラウスが戻ってきましたぞ。


 結衣は座席のあいだにある通路に立っていた。心なしか、いつもよりも清々しい表情だ。


 岸谷は車両内をくまなく観察する。怪しい人物は見当たらないが、警戒は緩めない。


ーーそれにしても、あいかわらず不用心なお方だ。リュックの口は開けっぱなしだし、定期入れをぶら下げたままじゃないか。このままでは、不届きな輩に名前を知られてしまうぞ。


 結衣のリュックには、レザー製の定期入れがぶら下がっていた。透明なビニールの窓からは、近づいて目を凝らせば名前が確認できる。


 岸谷もそれを見て、清宮結衣という氏名を知ったのだから、危ないと考えるのは当然である。


ーースペースは十分にある。これならいける。


 岸谷は、愛用のビニール傘を逆さにして持ち、抜刀術を放った。


 本来の持ち手部分が、定期入れを正確にとらえる。レザー製のヒモがけん玉のような動きを作り出し、定期入れはリュックの中にすっぽりと納まった。


ーー返す動きで、もうひとつ。


 岸谷の目論見はまだ終わらない。


 傘を戻す際に、その持ち手を、リュックのファスナーに引っかけたのである。


通常であれば、傘の持ち手がファスナーをつかむことはない。持ち手を覆うビリビリのフィルムをあえて残したことで摩擦力が生まれ、この芸当は実現したのだ。


 抜き放たれた傘が腰にもどった。


 なんと、この間、0コンマ1秒。


 当然ながら、周囲の乗客は何が起きたかに気づいていない。


ーー少し腕が鈍ったな。明日からのトレーニングメニューを見直さねば。


 目的の駅までは何事もなくたどり着いた。


 駅前のロータリーに出た瞬間、岸谷の表情がグッと引き締まる。


ーーあの男、性懲りもなく……!


 小太りの青年がベンチに腰かけていた。きょろきょろと辺りを見回しており、いかにも挙動不審だ。


 青年は、結衣を見つけると、一メートルほどの距離をあけて後を尾け始めた。


 岸谷が結衣を見つけた時には、すでにこの青年によるストーカー行為が始まっていた。何度か結衣を盗撮するような素振りも確認しており、駅員に突きだしたこともある。


 そのさいに分かったことだが、ストーカー青年は結衣と同じ、白馬学園の生徒らしい。


ーー構内まで見張る訳にはいかないからな。


 白馬学園の正門が見えてきたところで、急に結衣が振り返った。青年と話しているようだが、様子がおかしい。


 結衣が腕を掴まれた瞬間、岸谷は脇目も降らずに走りだしていた。

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転生聖女と五人の変質者 本田翼太郎 @1905771

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