第5話


 佳乃は、ともかく千鶴と仲直りをしようと奮闘した。授業間の小休憩。休み時間。使える限りの時間を使って千鶴を探して回り、謝って、裏垢なんて見ない事を約束しようと思っていた。たしかに女性の裏の写真というのは魅力的だけれども、その山に埋もれてみたいという欲望はあるけれど、それで千鶴との縁が切れるのは耐えがたい苦しみだった。


 千鶴とは同じクラスであり、その気になればいつでも声をかけることができる。


 なんて声をかけようか。どう話しかけたら自然に謝ることができるか。初めはそう楽観的に考えていた佳乃も、昼休みになっても千鶴を見つけられない状況に焦りを覚え、足音にフラストレーションをあらわにしながら、ついには同じ廊下を行ったり来たりして学校中に不穏な空気をまき散らした。


「避けられている……なぜだ。1限目の後はトイレに行っていて2限目のあとは図書室へ。3限目のあとは体育だから更衣室だったし……まずいぞ。この調子だと6限目の選択科目でも逃げられてしまって放課後なんかむろん捕まらないだろう。僕が何をしたって言うんだ!」


 授業はきちんと受けていた。まっすぐに黒板を見つめて、いつもよりぴんと背筋を張って授業を受ける姿はまさに生徒のかがみ。しかし授業が終わった瞬間に姿を消してしまうのである。


 今朝の事が尾を引いているのは間違いないとして、しかし、なぜ千鶴に避けられなければならないのかが佳乃には理解できなかった。


 それはもちろん幼馴染の乙女心にしてみれば当然の事なのだが、自分の恥ずかしい姿を、幼い頃から知っている男子に(しかも自分が見せたはずがないのに)見られているのである。怖い、不安、近寄りたくない。そんな気持ちが起こるのは至極当然であろう。


 佳乃にしてみれば偽千鶴と本物の千鶴は別の存在として認識しているのだから、恥ずかしい姿を重ね合わせて接するような事はありえないのだけれど、本物の千鶴が視線でレイプされるように感じるのは、致し方ないことだ。


 そしてまた、佳乃が幼馴染の心を理解できぬのも仕方のないことなのだろう。


 昼休みが終わりに近づき、佳乃は中庭にいた。


 結局千鶴は見つからなかった。今日中にせめて仲直りをしなければ、この掛け違いがやがて大きな亀裂となって2人を分断するだろう。日が経つ事に話題に出しづらくなり、その腫れ物に触るような空気が2人の間を漂う霧のように越えがたい壁となり、やがては話しかける事さえはばかられるのである。しかし、教室に帰ればいるのだろう。散々逃げ回って、何食わぬ顔をして授業を受けて、またいなくなる。


 今日。できればいま、千鶴との復縁を果たすべきなのは明白なのだ。


 しかし千鶴は佳乃が怖いのか、それとも忌避すべき存在と認定してしまったのか、姿を隠してしまっている。


 目撃情報を頼りにここまで来たはいいが、物憂げに大時計を見上げる生徒の中にも、校舎に戻る生徒の中にも千鶴は発見できなかった。


 佳乃は忌々しげにぶつぶつ呟きながら、教室へと向かっていた。


「くそ、またダメか。送ったラインに既読も付かないとなればあとは自力で見つけるしかないが……それができれば苦労はしない! なんで避けるんだ? もう僕の事を嫌いになってしまったのか? 嘘だろ?」


「歪んでいるね。君は相変わらず歪んでいる」


「あん?」


 ポケットに手を突っ込んで足早に廊下を歩く佳乃に声をかけたのは、祢亜ねあ弥勒みろくだった。


 千鶴の事で手一杯なのに面倒なやつに声をかけられた。


 祢亜は佳乃の同級生で唯一の友達だけれど、仲はあまりよくない。あっちから一方的に話しかけてくるだけだ。背は佳乃と同じくらい。手足は針のように細く、反対に白髪のボサボサ頭は綿をのっけているかのようにモッサリしていた。


 彼は廊下の1年教室側立っていて、佳乃が教室へ入るためにはその横を通過する必要がある。うすら寒い笑みを浮かべて佳乃を待ち構えているようだ。


 これで女子に人気があるのだから、理解ができない。


 邪魔だなぁと思いながら、しかし無視することも出来ず「なんか用か」と訊きながら横を通り抜けると、案の定ついてきた。


「別に用なんてないさ。俺に用が無くても君が引き寄せるんだよ。だって歪んでいるんだから。ブラックホールの中心にある超質量の星のように君が俺を引き寄せるのさ。君がどこにいようと君が世界の中心なのだからね。ただの構造体に過ぎない俺が吸い寄せられるのは当然だろう?」


「そういうの、もう卒業した方がいいぞ。来年は高2なんだから」


「嘘の中にも真ありなんて言葉もあるがね。まあ、この世界を創った神でさえ宇宙のすべてを把握してはいないだろうし、佳乃に理解されないのも無理はない」


「世迷言のどこに真実があるというのか……」


 祢亜はいつもこの調子だ。浮世離れしている言動は常人には理解しがたく、物理学と妄想を混ぜ合わせたような彼の言葉に辟易する生徒も数多い。ほとんどの人間は軽く聞き流すか話を聞くふりをしてあしらうのだが、祢亜がそれを苦にしている様子がまるでないのが不思議だ。


 あたかも真理に辿り着いた狂人がごとき振る舞い。


 それがなんで佳乃に付きまとうのか。


 勘弁してくれと言いたい気分だった。


「ところで、織姫千鶴の事で困ったことはないかい?」と祢亜が言った。


「わざとらしい言い方をする。僕が困っているのは今日一日を見ればよく分かるだろう。明らかに避けられているのに、仲直りの機会すらもらえずうんざりしてたんだ。分かっているなら放っておいてくれ」


 佳乃が吐き捨てるように言う。


「へえ、避けられていたのか。それは知らなんだ」


「馬鹿にしているのか。どう見たって避けられているだろう。他の生徒とは話すのに僕が視界に写った瞬間顔を背けるんだぜ? 完全に嫌われてるよ」


「ふぅん。あっ、そう」


 祢亜は興味が無さそうだった。


 自分から聞いておいてあくびまでしている。


 なんて態度なんだと思ったけれど、深入りしてこないならこのままの方が余計なことを言わなくて良いと思った佳乃はこのまま沈黙が訪れるのを待った。


「…………」


 しかし、佳乃が教室のドアに手をかけた時だった。


 祢亜がぽつりと「俺はのことを言ったんだけどな」と口にした。


「え?」


「……まぁ、佳乃がそのままでいいというのなら、俺は何も言わないが」


「待てお前、なんでそれを知っている!」


 佳乃は思わず声を荒げた。


「そうさなぁ、清楚な方に嫌われていると思うなら偽物と仲良くしてみるのはどうだ? 望むことをしてやればあるいは、何かが変わるかもな」


「祢亜!」


 しかし祢亜は独り言のように呟いただけで佳乃の問いには答えず、席についた。


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

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