第25話 弔い

 故郷に想いを馳せているのか、目を閉じているヴィルトを遠くから見ていた。


「戻りたいと、そう思うものなのでしょうか」

「多分ね」


 波の音がどこまでも続く。

 セキヤを横目に見る。彼は穏やかな目でヴィルトを見つめていた。


「セキヤも戻りたいと思いますか?」

「うーん……俺はいいかな。家のことは兄さん達が上手くやってくれるだろうし」

「そうですか」


 故郷に戻ろうとは思わない。

 ただ、きっと行くことになるのだろうとは思っている。

 唯一残存する国だと自称するあの場所は、やはりそれだけの規模がある。それほどの場所に神官がいないとは思えなかった。

 今、あの屋敷はどうなっているのだろう。完全に取り壊されているのだろうか。それとも残されているのだろうか。

 そんなことを考えていると、ヴィルトが立ち上がった。


「行こう」


 紫色の目は、海を貫く砂の道を見つめていた。

 ヴィルトの後ろに続いて、砂の上を歩く。


「この道が貴方の故郷まで続いているんですね」

「そう。あの霧の向こう」

「霧の……」


 少し遠くに、不自然な霧が立ち込めている。

 道さえも見えなくなるほど濃い霧だ。

 霧に包まれた島。そんな話を、聞いた覚えがある。


「待ってください。まさかとは思いましたが、貴方の故郷ってまさか伝説の……?」

「伝説?」


 首を傾げるヴィルトに、セキヤが笑いかける。


「あー、ヴィルトは知らないか。霧に包まれた神秘の国っていうのが伝説……というより、御伽話であるんだよね」

「そうだったのか……」


 御伽話……そう、御伽話だ。

 伝説というほどのものではない。

 少しテンションが上がってしまった。軽く咳払いをする。


「……偶然の可能性も十二分にありますね。海の向こうなんて、誰も見たことがありませんから」

「まあ、どの町にもありそうな話ではあるよね」

「少し気になる」


 ヴィルトがそう言うなら、読み聞かせてあげるのもいいだろう。

 幸い、あの物語は頭に全て入っている。

 それにしても……この島のモデルがあるのなら、鬼人が住む島とやらもあるのだろうか?


「では、着くまでの間に話してあげますよ。全て覚えていますから」


 ヴィルトは分かりやすく目を輝かせた。

 口が隠れているというのに、彼はこんなにも表情に出やすい。


「聞いてみたい」

「これは世界を巡った旅人が、最後に訪れた島の話です――」


 幼い頃に繰り返し読んでいた絵本。

 それを思い出しながら話してみれば、あの頃の記憶も共に甦る。

 あの頃の私は、外に絵本と同じ景色があると信じて疑わなかった。

 絵本にあった鉱山の町も、海の村も、こうして実際に見てみれば間違っていなかったことが分かる。ただ、思い浮かべていた光景よりも色褪せて見えるだけだ。

 ヴィルトは時々頷きながら、私の話を聞いていた。

 話終える頃、霧の中に足を踏み入れた。


「うわ、思ったより濃いね」

「少しゆっくり進みましょうか」


 足元は充分に見えるが、五歩先くらいになると薄っすらとしか見えない。

 本当に絵本にある通りの不思議な霧だ。


「これでも、昔よりは薄くなったと聞いた」

「これで、ですか」


 頷いたヴィルトは、思い出そうとしているのか少し空を見上げる。


「俺が生まれたばかりの頃は、伸ばした手の先も見えなかったらしい」

「それは……いくらなんでも濃すぎない?」

「ここ、水の魔力が少し多いけど……昔は魔力濃度も高かったのかな?」


 ヴィルトは再び頷く。

 それは……絵本の主人公も船で渡れないわけだ。

 おそらく、これさえもヴィルトが着ている魔道具じみた衣がある前提の通り道だったのだろう。

 霧と魔力が薄まった今だからこそ、こうして私達も通れるようになったわけだ。


「もう少し歩く」


 私達もヴィルトという案内人がいなければ、多少不安になっていたかもしれない。

 何せ、海の真ん中だ。いつまで続くかも分からない中、時間に限りがある道を進み続けるのは中々に勇気がいるだろう。

 砂の道が段々と広がっていく。

 この霧とも、そろそろお別れだろうか。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 歩き続けていると、段々と島が見えてきた。

 白い砂浜の向こうで緑が生い茂っている。

 ああ、懐かしい景色だ。一度、リッカと共に村の外へ遊びに行って怒られたことがあった。

 父さんに手を引かれて帰った時も、村から離れる時も……この景色を見ていた。

 茂りに茂った木々が、細い道を塞いでいる。ふと、疑問に思った。

 もうこの道を整備しなくなったのだろうか。


「この道を、このまま真っ直ぐ進む」

「道と呼べるのでしょうか、これは」

「あ、でも薄っすら道だよ」


 草を踏みしめながら歩いていく。

 あまりにも子供が遊びに出るから、塞ぐようになったのだろうか?

 ガサガサと草をかき分けて進む。足元で小さなトカゲが逃げ惑った。


 俺が島を離れてから十年以上が経った。

 村はどうなっているのだろう。

 母さんと父さんは元気にしているだろうか。

 もしかしたら、俺の弟か妹が生まれているかもしれない。

 もしそうなら……俺は兄として接することはできないが、遊んでやれたらと思う。

 ロウじい様は風邪を引いていないだろうか? 腰を痛めていないといい。

 リッカは……どうなったのだろう。俺とばかり遊んでいたから、新しい友達ができているといい……と、思う。


 やがて村が見えてくる。

 村を囲む柵のいくつかは倒れ、ばらけていた。


「……え?」


 見えてきた景色は、夢で見たものによく似ている。

 暗くなりつつある赤い空の下、黒く焼け焦げて崩れた家々。


(おかしい。あれからずっと経っているのに、どうして)


 一歩村に踏み入れた時、異様な静けさに包まれた。

 目の前の景色に不相応な、穏やかな風が髪を揺らす。


「ここがヴィルトの故郷……?」

「……人の気配がありませんね」


 ゼロの声が耳を通り抜ける。

 人の気配がない? そんなはずはない。

 俺の足は、自然と走り出していた。


 あの日見た、悪夢のような光景。似ているようで、でも、何かが違う。

 前は空き地だったはずのところに、新しく建った家がいくつかある。なのに、その新しい家さえも崩れていたり、焦げていたりしている。

 何があった? 一体、何が。


 俺の足が向かった先は、かつての我が家だった。

 その家は、記憶の中のそれよりも酷く壊れていて。


「……お邪魔します」


 誰も聞いていないだろう言葉を呟いて、崩れかけた玄関をくぐる。

 居間には、あの日と同じように母さんが倒れていた。

 いや、違う。もしかしたら、母さんじゃないかもしれない。

 だって、だって……倒れているのは、骨だ。


 マフラーを握りしめる。

 どくどくと、心臓の音がうるさい。

 もし……もし、この骨が母さんだというのなら。

 父さんはきっと、外に落ちていた内のどれかなのだろう。

 視界に確かに映っていた、でも見ないふりをしていた、骨の数々。

 父さんはあの日のように、懸命に抗ったのだろうか。


 ああ、まるで現実じゃないみたいだ。俺は夢の続きを見ているのかもしれない。

 浮かび上がっていた答えに気づかないふりをして、家を出る。

 そのまま、隣の家を見上げた。まだ、半分ほど形を保っている。


 リッカ。リッカは、どうなったのだろうか。

 俺の、一番の親友だった君は。

 何度も遊びに行った、彼女の部屋へ向かう。

 歪んだ扉を開ければ白い骨が出迎えた。

 部屋の壁にもたれかかって、そのまま倒れたように横たわる、変わり果てた姿。

 記憶の中の彼女よりも大きくなった骨。

 その首には、ヒスイの首飾りが下がっていた。


 ああ。認める時が来た。

 記憶の中との差異。時の流れ。

 再来したんだ。あの日の、悪夢が。


 震える手をかざして念じる。

 ああ、どうか。どうか蘇らせてくれ。

 しかし、俺の願いは届かなかったらしい。手を包んだ光は行き場を失い、霧散する。


 ――骨だけだの、片腕だけだのは無しだ。

 記憶の中の悪魔が囁いた。


 がくんと体の力が抜ける。座り込んだ俺は、痛む頭を押さえた。

 ああ、目の奥が痛い。泣いたところでどうにもならないなんて、俺が一番分かっているのに。


(無力だ)


 俺の力では、どうしようもできない。

 この制限さえなければ……そうすれば、救えるかもしれないのに。

 この制限さえ、なければ。


(もう一度、願えば)


 ふと、そんな考えが浮かんだ。

 そうだ。もう一度願えばいい。

 俺の魂なんてどうだっていい。もう一度、もう一度だけ奇跡がほしい。


 ふらふらと、ぐらつく体を起こす。

 もう一度行かなければ。あの神殿へ。

 考えるよりも先に足は動き始めていた。



 神殿までの道は、あの日よりもずっと短く感じた。

 木々の間を通り抜けて、休憩する間も惜しんで、ただひたすらに進む。


 辿り着いた神殿は記憶の中の姿よりも植物に侵されていた。

 柱の間を通れば、あの石像が変わらない美しさで佇んでいる。

 石像の前に跪き、両手を胸の前で組んで目を閉じる。


(どうか……どうか、もう一度だけ願いを叶えてください)


 祈る。ただひたすらに、祈る。

 悪魔でも何でもいい。もしも見ているのなら応えてほしい。

 そのためなら、俺の魂でも何でも捧げよう。

 痛みさえ感じるほど、組んだ手に力がこもる。


 しかし、いくら祈っても応える声はなかった。

 目を開ける。依然として佇む石像があるだけだ。


(どうして……どうして、応えてくれない? 何が足りないんだ)


 あの日のことを思い出す。

 この神殿に来た俺は、石像に近づいて、そして。

 そうだ。あの日の俺は石像に触れようとして悪魔と出会った。

 立ち上がった俺は、石像に手を伸ばす。

 ただ冷たい石に手のひらが触れる。それだけだった。


(どうして? 俺がもう契約しているから? 俺の魂が……もう、喰われているから?)


 もし。もしも、そうなのだとしたら。

 二人の顔が浮かぶ。ゼロかセキヤ……どちらかを、ここへ連れてくれば。

 そうすれば、もしかしたら――


 バチン。

 ビリビリと、手と頬が痛んだ。


(俺は今……何を考えた?)


 それは、してはならないことだ。

 俺の友人を、悪魔に捧げるだなんて。

 彼らは役立たずの俺にさえ、あんなにも優しくしてくれる。俺が気に病まないようにと、無理して褒めてくれることさえあった。

 だというのに。

 そんな恩を仇で返すようなことを、していいはずがない。


 受け入れるしかないのだろうか。

 この村の滅亡を。彼らの死を。

 覆すことはできないのだろうか。


(分かっている。もう、できないんだ)


 深く、深く、息をする。

 あれほど重たかった体が、まるで羽のようだ。

 何もかもが体から抜けていったかのように。

 吹けば飛ぶ、役立たずの羽。


 これ以上ここにいても、どうにもならないのだろう。

 神殿を後にした俺は、森を戻ろうとして……入り口で待つ二人の姿を見た。


「ヴィルト、その……大丈夫か?」


 セキヤはいつもの笑顔を静めて、気遣うような視線を向けた。

 隣に立つゼロも、いつもより沈んだ顔で俺を見ている。


「……墓を、立てませんか。私も手伝いますよ」


 止まっていた涙が、再び溢れ出した。

 突然泣き出したせいで、二人はオロオロしながら俺の肩に手を置く。


(俺は、本当に……なんてことを)


 この二人を犠牲にすれば。一度でも、そんな考えを抱いてしまった自分が嫌になる。

 二人の背に手を回した俺は、何度も何度も謝った。

 声にならない言葉で、何度も。

 何度も。



 ……二人の協力もあって、夜が明ける前に墓作りが終わっていた。

 立ち並ぶ墓の前でしゃがみ、目を閉じて祈る。


(間に合わなくて、すまない。どうか安らかに眠ってくれ)


 穏やかな風が流れる。

 立ち上がって振り返ると、二人も同じように目を閉じて祈ってくれていた。


(本当に優しいな、二人は)


 二人がいくつもの命を奪ってきたことは知っている。

 目の前で見たことだって、何度もある。

 それでも俺は二人についてきた。友人として、傍にいることを選んだのは俺だ。


 ここの墓地は湖の近くにある。

 誰かが亡くなると……大人達は、この湖で舞を捧げていた。

 俺が見たのは一度きりだったけれど……朧げながら、覚えてはいる。

 俺が湖に入ると、二人は目を丸くしたが……何も言わず、ただ見守ってくれた。


 ゆっくりと、手を動かす。

 記憶の中をなぞるように。

 口を動かす。

 記憶の中の子守唄を、音にならない声で紡ぐ。

 きっとこの唄は、首の魔道具に頼らない方がいい。

 そんな直感にも似た何かがあった。


 きちんとした舞でもなければ、唄も響かず、本来手に持つべき薄布もないが。

 それでも、皆の魂を無事に送り届けられたらと思う。


 ゆっくりと、天へと腕を伸ばす。

 どうか、安らかに。

 願わくば、来世で幸せになれますよう。


 伸ばした腕を下ろす。

 ゆっくりと頭を下げ、背筋を伸ばした。


 湖から上がった俺を見つめる二人に、微笑む。

 墓を見つめる。

 そろそろ現実に目を向けるべきなのだろう。

 二人と共にいる。きっと、そう決めた時点で俺は血に染まった道の上に立っているんだ。

 これ以上、大切なものを喪いたくないのなら。

 俺自身も手を汚さなければならない時が必ず来る。


 生きてさえいれば。生きてさえいれば、きっとどうにかなる。

 ずっとそう思って、今日まで生きてきた。

 なのに、救おうと思えば救えた命を見殺しにして……そして今、ここにいる。

 俺は手を下していないからと、ずっと目を背けてきたけれど。

 それももう、終わりにしなければいけないのだろう。


 森の奥から眩い光が昇る。

 きっと今日なんだ。

 あの日、一度自分を失ったように。

 今日、俺は生まれ変わる。

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