第26話 帰路

 ヴィルトの舞を見守った後、私達は砂の道が消えてしまうからと急いで村を離れた。

 茂みを通りぬけ、砂浜に出る。

 幸いなことに、まだ道は広かった。早足で砂の道を進み、島を覆う霧の中へ入る。

 道を歩きながら、前を歩くヴィルトの背を見つめた。

 故郷の滅亡。それはどれほどのショックだっただろう。

 私には想像しかできないが、ヴィルトにとっては相当大きな負担がかかったはずだ。


「……本当に、よかったんですか?」


 問いかけに振り向いた紫の目はどこか寂しげだ。

 やはり、今回のことは彼に重たくのしかかったのだろう。

 それでも彼は強く頷いた。


「もう墓は作った。別れも済ませた。あれ以上いても……きっと、悲しくなるだけだから」


 そう言って、彼は前を向いた。

 他ならぬ本人がそう言うのであれば、これ以上言及することもないだろう。


「そうですか」


 その呟きで、会話が途切れる。

 私には簡単な返事しか返せない。

 こんな時、どういった言葉をかけるべきかが分からない。セキヤなら、上手い言葉が思い浮かぶだろうか?

 先頭を歩くセキヤは振り返ることもなく進むだけだ。

 ……その沈黙こそが答えなのだろうか。


「あの村に、俺の居場所はもう無かったんだ」


 ふいにヴィルトが声を上げた。


「俺はあの村の子供じゃなく、外から迷い込んできた子供ということになっていた」

「……なっていた?」


 聞き返すと、彼は頷いた。

 霧の中を歩きながら話を続ける。


「一度、同じように村が滅んだことがあった。俺は運良く生き延びて……悪魔と契約して、村の皆を生き返らせた。その代価として、皆の中から俺の記憶が失われた」

「悪魔と契約? 生き返らせた? 記憶って……ちょっと待ってよ、そんなこと一度も……」


 振り返ったセキヤは全てを言いきる前に口をつぐんだ。

 きっと私と同じことを考えているのだろう。


 ヴィルトの口元から首を通り、左半身を這うツタのような黒い模様。

 故郷に伝わる、陣のようなもの。

 それがあるから治癒の力が使えると彼は言っていた。


「貴方の治癒の力は……悪魔との契約で得たものだったと、そういうことですか?」

「そうだ。そして、その悪魔は……」


 ヴィルトは大きく息を吸い、吐き出した。


「おそらく、ゼロの呪いに関わる悪魔と同一の存在だ」

「私の、呪い……」

「すまない。俺があの悪魔の恩恵に預かっていることを……どうしても言い出せなかった」

「いえ、それは……いいんです。真実を話してくれたこと、嬉しく思いますよ。ただ……」


 止まっていた足を進める。あまりここで立ち止まるべきではない。

 ヴィルトの力、そしてあの模様について。前々から知りたいと思い、一度は納得した……その真実をいざ目の当たりにすると、なんとも言い難い感覚に陥る。

 喉につっかえていたものが取れたような、より深いところで引っかかったような、そんな感覚だ。


「ただ……少し、驚いているだけで」


 そう、驚いているのだ。きっと。

 まさか悪魔が関係しているとは思わなかったから。

 それで驚いている。


「あの神殿が、何か関係しているの?」

「そう。俺はかつて、あの神殿で悪魔と会った」

「……一度は生き返らせたと、言っていましたよね」


 ヴィルトは頷いた。

 生き返らせる。そんな大層なことが本当に出来るのだろうか。

 だとしたら、今回もそうすればよかっただろうに……何かがあったのだろうか。


「体の大半が残っていないと、俺の力は使えない。だから……骨だけになってしまったら、もう」


 それ以上は言わなかった。

 波の音だけが響き、段々と道が狭くなっていく。

 このペースなら、向こう岸までは持ち堪えてくれるだろうか。


「……俺は、この力の制限を解いてもらおうと思った。もう一度会って願えば、叶うかもしれないと思って。背負う代価が増えても構わないと思った。でも、駄目だった」

「それで、あんな顔で出てきたんですね」

「ゼロとセキヤを連れていけば、また会えたかもしれない。でも……それは悪魔に魂を喰わせるということ」


 セキヤが息を呑む。

 悪魔を呼ぶには魂を喰わせる必要がある……ということだろうか? それとも、願いを叶えるために必要なのだろうか。

 どちらにせよ不穏だ。


「俺は二人を犠牲にしてまで、叶えようとは思わなかった。それに、もう俺達は呪いを解く鍵を見つけているから……無理に会うこともない」


 たしかに、私達は呪いを解くための旅をしている最中だ。

 わざわざ元凶に会いに行く必要はないのかもしれない。

 ヴィルトはぎゅっと拳を握ると、ゆるく首を振った。


「すまない、正直に言う。あの時の俺は、そこまで考えられていなかった。自分のことで頭がいっぱいで……すまない」


 セキヤがふっと息を吐き出した。


「律儀だなあ、ヴィルトは。仕方ないよ、あんなことがあったんだから」

「そうですよ。それに、私も同じ考えです。直接会ったところで事態が好転するとも限りませんから」


 霧を抜ける。

 セキヤは人差し指を立てて、くるりと回した。


「旅が終わって、それでも駄目だったらもう一度来よう。それでいいんじゃないかなって、俺は思うけど……二人はどう思う?」

「それでいいと思います。ヴィルトはどうですか?」


 ヴィルトはマフラーを軽く掴み、頷いた。


「わかった。その時は案内する。ありがとう、二人とも」


 セキヤが笑うと同時に、私も少し口角が上がる。


「俺さ、ヴィルトのそういうところ好きだよ」

「私もです」

「……俺は、二人のそういうところが嬉しい」


 ヴィルトの呟きが波の音に溶けていく。

 向こう岸が見えた。

 ただ友人の故郷を訪ねる……そのつもりだったが、思いもよらない結果になった。

 彼にとっては不幸そのものだっただろう。彼が悲しんでいることは、私も悲しく思う。ただ……ただ、何だ?

 私は今、何を思ったのだろうか。何かが引っ掛かるような気がする。

 自分の感情に耳を傾けようとしたところで、セキヤの声に引き戻された。


「よし、到着。どうする? ここで一回休んでから戻る?」

「村に戻ってからでいいのでは?」

「じゃあそうしよっか。あ、ヴィルトは大丈夫?」

「まだ歩ける。大丈夫」


 ヴィルトはぐっと拳を握った。

 ただでさえ砂に足をとられて、あんなこともあって、いつもよりずっと疲れているだろうに。

 私達が思っているよりも彼は強いのかもしれない。

 そう思いながら、村への道を進む。


「そういえば、代価って言ってたよね。もしかしてだけど……ヴィルトの力って、使う度に記憶が削れて……」


 セキヤの問いかけにヴィルトは目を逸らす。

 たしかに、代価が増えても……と彼は言っていた。

 思えば、今まで彼は力を使った後疲労していたように見える。

 あれはただ魔力を多く使っていたからだけではないのだろうか。


「癒す度合いに応じて少し痛かったり、苦しくなったり……それくらいだ。記憶がなくなったのは、村の皆を生き返らせた時だけ……」

「……なのに、あんなに積極的に使ってたの? 俺達もよくお願いしちゃってたけどさ、それ以外でもどんどん使ってたよね?」

「か、擦り傷くらいなら、少しピリっとするくらいだから……」


 ヴィルトは顔ごと逸らし、セキヤがため息をつく。


「これからは必要最低限にしよっか」

「でも」

「でもじゃないよ。負担があるって知ってて、気にせず使えるわけないでしょ?」


 ヴィルトはマフラーを深く引き上げた。

 セキヤが言う通り、負担があると知っていて多く使おうとは思えない。

 ……鱗の耐久性を試そうとしたとき、何事もなくて良かった。


 岩山の側を通る時、コツコツと何かが跳ねる音がした。

 足元に小さな石が転がってくると同時に、じとりと……首に何かがまとわりつくような気配がする。

 バッと岩山を見上げると、何者かの影が見えた。

 一人……いや、近くにもう二人隠れている。


「やっと追いついた」


 岩山に腰掛けていた彼は、軽やかな動きで滑り降りてくる。

 その髪色、瞳、見間違えるわけがない。


「貴方、は」


 肩にかからないくらいの銀髪。一房ずつ両端に見える水色の毛束。

 赤い瞳が、私を射た。


「久しぶりだな、ゼロ」

「兄様……?」


 記憶の中よりも成長した兄様……ソラン・ヴェノーチェカの姿がそこにあった。

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