第24話 追憶

 翌日。

 腕の鱗についてはヴィルトにも伝えた。ナイフの件は言っていないが、セキヤも何も言わなかったのでこれでいいのだろう。


(それにしても……やはりこうなると、いざ聞かれた時には蛇の亜人だということにするしかないだろうか)


 目は案外気付かれていないのか、気付いても気にされていなかったのか、今まで触れられたことはない。だが、腕はそうもいかないかもしれない。

 普段は袖に隠れているとはいえ、念のために包帯を巻いておくことにした。


「それじゃあ、案内する」


 昼食を終えた私達は、ついにヴィルトの故郷へ向かうことになった。

 巨大イカと戦った岩山を通り、海岸に沿って歩く。


「ここに来た時、すぐそこだと気づいた」

「西の方だとは聞いていましたが、まさかそんなに近いとは思っていませんでしたよ」

「あの辺りから行く」


 岩山を越えた先、ヴィルトが指差したのは少し海に出っ張った砂浜だ。


「日が傾く頃に、道ができると思う」

「道ができる……ですか。なるほど」

「それで船もいらないってことね」


 ヴィルトはこくりと頷いて座り込む。


「潮が引くまで待つことになる」


 まだ空は明るい。

 ヴィルトはリュックを下ろし、料理の準備を始めた。

 日が暮れてからになるのなら丁度いいか。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 食事も済ませ、後は時が来るのを待つだけになった。

 ゆっくりと沈んでいく太陽と、少しずつ伸びていくように見える砂浜を眺める。


 波の音に耳を傾け、目を瞑る。

 ふと、夢のことを思い出した。


 ――村のみんなが動かなくなっていた。聞こえるのは火の粉が上がる音と、自分のすすり泣く声だけ。

 腹の中身を全て吐き出して、泣いて泣いて泣き続けた俺は、ロウじい様の言葉を思い出した。

 禁断の森。神殿。悪魔。

 願いを叶えてくれる存在。


(悪魔なら、みんなを生き返らせてくれる?)


 一度考え始めると、他のことは何も見えなくなっていた。

 ふらつく体で、禁断の森を目指す。

 お気に入りの川を越えて、木々の隙間を通り抜けて。

 時々、木に体を預けて、ほんの少しだけ休みながら。


 あとどれだけ進めばいいのだろう。段々と顔が下を向く。

 ぼんやりし始めた頭で考えながら、ただ足を動かす。

 そんなものだから、目に見えている飛び出た木の根っこに足をとられ、思い切り転んでしまった。


「痛い……」


 拳を握り締め、立ち上がる。

 みんなを助けるためなんだから、こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。

 木々に引っ掛けた服はボロボロになって、所々に傷ができて。

 それでも俺は歩き続けた。


 そして見えてきた、神殿と呼ばれる場所。

 少し崩れた白い石造りの建物は、村で見るどんな建物とも全然違っていた。


(なんだか、背中がざわざわする……)


 入り口に立ち、深く呼吸する。

 植物が絡み付いた柱の間を通って、中に入った。


 そこにはツタが絡み付いた石像があった。

 片方だけ翼が生えた、長い髪の女の人だ。


「この人が……悪魔?」


 とてもそうは思えない、美しい姿だった。

 石像に近付き、手を伸ばす。

 瞬きをした瞬間、目の前にピンクの瞳があった。


「うわぁっ!?」


 後ろへと体が傾き、尻もちをつく。

 黒い尻尾を生やした、短い金髪の女の人が俺を見下ろしていた。

 ツヤツヤとした見慣れない材質の黒い服を着ている。

 この人が……悪魔?


「やあ、幸運の少年」

「だ、誰? 幸運って、何?」

「私こそが君の幸運と言えよう、幸運の少年。今日を生き延び、私と出会うことができた。これを幸運と呼ばずして何と呼ぶ?」


 石像の台座に腰掛けた彼女は、喉の奥を鳴らすようにくつくつと笑う。

 彼女の姿は、石像のものとは全然違っていた。

 そんな俺の思考を読んだかのように、彼女は石像を撫でる。


「ああ、この像が気になるか? これは私の友を模した物だ。君の願いはあの子よりも私の方が向いているだろうから、私が来た。それだけさ」


 彼女は足を組み、石像にもたれかかる。


「少年。お前は望みがあって来たのだろう? 何を望む」


 そうだ。俺はここに、みんなを助けるために来たんだ。

 目の前の悪魔に、それを願うために。


「みんなを。村のみんなを、助けたい」

「死者を蘇らせたいと?」


 ピンクの目がすっと細められる。

 口の中が渇く。

 心臓の音が、やけに大きく聞こえた。

 震える手を握りしめる。

 口を固く結んだ俺は、強く頷いた。


「そうか、そうか。いいだろう、叶えてやる。だが、相応の代価が必要だ」


 台座から降りた悪魔は、カツリカツリと靴を鳴らしながら俺の目の前に立った。


「覚悟はあるか、少年」


 薄く光る目が俺を見つめる。全てを見透かされているような気分だ。

 悪魔は願いを叶える代わりに魂を喰らう。ロウじい様はそう言っていた。

 たとえ俺の魂を食べられるとしても、それでみんなが助かるのなら。それなら、それ以上に幸せなことはないだろう。

 母さんが、父さんが、みんなが……リッカが、救われるなら。

 俺は悪魔を見つめ返し、頷いた。


「契約成立だ」


 悪魔はニヤリと口の端を上げ、俺の左頬にピンクの爪を沿わせた。爪がなぞったところが熱をもち、じくりと痛む。


「お前はこの世界に属する全てを癒せる。だが、そう簡単に何もかもを掌握しては面白くないだろう? だから制限をつけてやった」

「制限……?」

「三分の二。それだけの肉体が残っていれば、癒せるようにしている。骨だけだの、片腕だけだのは無しだ。そして……癒す対象に応じた代価を追加で支払う。ただそれだけの制限だ」


 悪魔は人差し指を立てると、ゆるりと揺らした。


「単純明快。実に簡単だろう?」


 俺の言葉を待つこともなく、彼女は背を向けると後ろで手を組んだ。


「説明は終わりだ。私はもう行くぞ」


 現れた時と同じように、瞬きをした一瞬で悪魔は姿を消した。

 頭の中に声が響く。


「既に代価は支払われた。せいぜい活用するがいい」


 それから俺は森を出た。

 村に帰ってくるまでのことはあまり覚えていない。

 非現実的な光景と、悪魔と契約したという重たい現実だけが背にのしかかっていた。


 ――そう。そうだ。俺はあの悪魔と契約した。

 ゼロが呪われた原因になった、あの女性と関わった存在。金髪にピンクの目をもつ、悪魔。それはきっと彼女のことだ。

 思えば、俺は確かに幸運だったのかもしれない。

 悪魔の言う通り、俺は多くを癒せる力を手に入れた。

 きっと、もうその時には俺は声を失っていたのだろう。

 ただ、目の前のことしか見えていなかった俺は村に帰った時まで気づかずにいたが。


 何度試そうとも、一向に空気が抜ける音だけ。

 それが悪魔の言う代価なのだと、どこか他人事のように思いながら両腕をだらんと下げた。

 きっと俺は、覚悟をしておきながら具体的に何が起こるかまでは考えていなかったのだろう。


 首を振った俺は、当初の目的を果たすべく、村の中心で願いを込めた。


(どうか……どうか、村のみんなを助けてください)


 俺を包んだ青い光は、みるみるうちに広がって。

 やがて、村全体を包み込んだ。

 焼けた家が崩れ落ちた景色はそのままに、村のみんなだけはまるで何もなかったかのように起き上がったのだ。


(ああ、これで良かったんだ)


 飛び起きたみんなが、不思議そうに自分の体を眺めている。

 その光景を見て、俺は枯れたと思っていた涙が一滴、また一滴と頬を伝うのを感じた。


(良かった。本当に……良かった)


 声は出なくなったけれど、それでもみんなが助かった。

 俺の願いは叶ったんだ。

 だから、それ以上を望むべきではなかったのだろう。


「貴方、どこの子?」


 母さんの口から、信じられない言葉を聞くまでは。

 俺はずっと、当たり前のように思っていた。

 今までの生活が、この先にも続いているんだと。

 何も疑わずに、信じていたんだ。


「見たことのない顔じゃな」


 母さんに連れて行かれた先で、ロウじい様は髭を触りながらそう言った。

 結局、俺は何がどうなっているのかを理解する前に……一部の人から、奇跡の子だと崇められるようになった。

 俺が現れたおかげで死なずに済んだのだと。

 そして、一部からは……悪魔の子だと、睨まれることになった。

 そもそもの原因が俺にあるのではないかと。

 三日間。村の再建を手伝っている間に大人達が話しているのを聞いた限りでは、そういうことらしい。


「本当に、ここを出ていくのね」


 心配が混じった二対の目が俺を見つめる。

 母さんと父さんは、俺のことを忘れても二人のままだった。

 幼い俺だって分かっていた。きっと、このまま村に残り続けることはできないと。

 それでも二人は、どうにか俺がこの村で過ごせる方法を考えてくれようとしていた。

 もし俺が望むなら、この家に居てくれていいと。


 でも、それで母さんと父さんが悲しい目に遭って欲しくない。

 二人のことを、悪魔を擁護する異端者なのではないかと怪しむ人の声を聞いた時……俺は、村を出ると決意した。


「この衣はね。子供が生まれた時から作り始めて、十歳になったら贈るものなの。練習のために作っていたものがあったから、貴方にあげるわ」

「他の人がなんと言おうと、俺達は君が英雄だと信じている。どうか君の行く先に幸せが待っていますように」


 きっと俺のために作られていた青い衣。

 もう家族として一緒に過ごすことはできないんだと、言われているような気がした。

 それでも。それでも、こうしてみんなが救われたんだ。

 これ以上を望むべきじゃない。そう何度も何度も自分に言い聞かせながら、着方が分からないんだと震える声で言った。

 

 余りに余った長い裾を、母さんに軽く縫い付けてもらって。

 長い袖を、父さんに紫の飾り紐で留めてもらった。


 それを、俺は母さんと父さんからの最後の贈り物として受け取ることにした。

 勿論、二人にはそんなこと言わないけれど。



 ――俺はこの日、声と存在を失った。

 あの村で生きた日々は、築いてきた思い出は、俺だけが知るものとなった。


 目を開ける。

あの日見た空と同じ赤色に、砂の道が続いていた。

 道を覆う霧の向こう、そこに俺の故郷がある。


 きっと、皆は俺を歓迎してくれるだろう。

 かつての英雄として。

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