第23話 鱗

 故郷に行きたい。

 そう告げるヴィルトの目は真っ直ぐだ。


「故郷、ですか?」


 頷いた彼は海を見つめる。


「ここから近い。それに、おそらく……行くには丁度いい季節だと思う。多分」

「かなり曖昧ですね……ですが、近いというなら行ってみましょうか」

「そうだね。ヴィルトの故郷がどんなところか少し気になるし」

「ありがとう、二人とも」


 ヴィルトは目元を緩めた。

 彼の故郷。たしかにここからそう遠くないとは聞いていた。

 彼をより深く知るいい機会かもしれない。


「明日の昼くらいに出発したい」

「昼からで大丈夫ですか? もう少し早くても構いませんが」


 ヴィルトは緩く首を振る。


「夕方にならないと通れない。早すぎると、待つ時間が長くなる」

「なるほど……? それなら貴方の言う時間で問題ありません」

「よし、決まり。それじゃ戻ろっか」


 三人揃って家へと戻りながら考える。

 夕方にならないと通れない。中々に不思議な場所だ。

 ……そういえば彼は島に住んでいたと言っていたが、船は必要ないのだろうか。


「ちょっと、お兄さん達!」


 家に戻る道中、女に声をかけられる。

 この村に来たばかりの時に話を聞いた、日焼けした若い女だ。


「さっき、すっごい水柱が上がったでしょ。あれ、何か知らない? 祭壇の方に上がってたの、超心配でさ」


 ああ、私が魔力を貰った時のあれか。

 どう説明したものかと考えていると、セキヤは頭を掻きながらしどろもどろに説明を始めた。


「ああ、それね。神官様が……どう言ったらいいかな、跳ねた時の水飛沫というか……」

「神官サマが跳ねた!?」


 女は目を見張った。


「何か問題がありましたか?」

「問題も何も、大大大ニュースよ! 神官サマが跳ねたなんて、それじゃあ……」


 まさか、また厄介なことになるのだろうか。

 もし何か面倒事になったら、ヴィルトの故郷に行く話がなくなるかもしれない。それは避けたい。


「これからめちゃくちゃ魚獲れるってことじゃん! やったー! これで父さんも安心〜!!」

「……はい?」


 予想外の答えに思わず変な調子の声が出た。

 テンションが上がっているらしい女は、私の手を掴んでブンブンと振る。


「あんね、神官サマが跳ねるとめちゃくちゃ魚が獲れるのよ! 結構前に一回あったんだけど、もうね、父さんもおじさん達もニッコニコでね〜! だから最高ってわけ!」

「それはよかったですね……?」

「これはきっと、いや絶対! お兄さん達のおかげに違いないって。ねね、これ持ってってよ! ウチで干した魚! めっちゃ美味しいんだから」


 女は変わらないテンションのまま走っていくと、紐に吊るした干し魚を持って戻ってきた。

 半ば押し付けるかのように魚を渡される。


「あ、まだ仕事残ってるんだった。それじゃあね、お兄さん達〜! ヒマだったら遊びに来てよ、歓迎するから〜!」


 女は手を振りながら跳ねるように去っていった。

 まるで嵐のようだ。


「……何だったんでしょう」

「まあ、今回のお礼ってことでいいんじゃない? 美味しそうだよ」


 三人して干し魚を見つめる。

 たしかに美味しそう……ではあるが。


「干し魚。美味しい食べ方、知ってる。作ろうか?」

「お、じゃあお願い。やっぱり故郷が海近いだけあるね」


 家に戻った後。

 ヴィルトは干し魚で煮込み料理を作ってくれた。

 甘塩っぱい煮汁がよく染みている。


「食べやすいね、これ」


 一口食べたセキヤが頬に手を当てる。

 この食べ方は初めてだが、彼の言う通りとても食べやすい。

 元々食べられるなら何でもいいと思っているが……やはり美味しいに越したことはない。

 彼の料理は食べ馴染みのない味が多いが、どれも美味だ。


「美味しいですね」


 素直にそう言うと、ヴィルトははにかんだ。



 その日の夜。

 寝袋で眠っていた私は、ふと違和感を覚え目を覚ます。

 両腕の皮膚が張るような感覚だ。痒みもある。

 指先で撫でると、でこぼことした感触が伝わった。


(なんだ、この感触……っ!?)


 急いで寝袋から出て、魔導ランタンの明かりをつける。

 痒みはピリピリとした痛みを伴い、前腕を覆っている。

 そして、見てわかるほど……皮膚はキルティング生地のように盛り上がっていた。


「んん……どうしたの?」


 明かりで目を覚ましたのだろう。起き上がったセキヤは何度か瞬きをして私を見た。


「私の、腕が」

「えっ……何があったの!?」


 私の隣に来た彼は、腕を掴んだ。


「おそらく呪いじゃないかと……」

「痛みは?」

「少し」

「そっか……」


 真剣な眼差しで腕を見ていた彼が肌を撫でると、ずるりと何かが滑るような感覚がした。

 剥けた。皮膚が、まるで熟した果物の皮を剥くかのように。


「えっ」


 セキヤが声を上げる。

 不思議と痛みはなかった。ピリピリとした痛みも小さくなり、痒みが強くなるばかりだ。


「これ、鱗……?」


 剥けた皮膚の下には、青緑色の鱗がびっしりと生えていた。

 魚というよりは爬虫類……蛇に近い。変化した瞳孔といい、蛇に関する呪いなのだろうか。

 残りの皮膚も、少し強めに撫でるだけで剥けていく。やはり下には鱗があり、触ってみるとかなり硬い。

 爪で叩くと、コツコツと音がする。叩かれた感覚はあまりない。


(これだけ硬いなら、防御に使えるのでは?)


 ふと、枕元に置いてあるナイフが目に入る。

 握り慣れたそれを手に、鱗に覆われた前腕を見つめる。

 気になる。とても、気になる。


「ゼロ?」


 思い切りナイフを振り下ろす。

 鱗に当たった刃は、ガツンと硬質な音を立てて跳ね返された。


「ちょっ……と、何やってるの!?」


 ナイフを持つ手首を掴まれる。

 彼の眉間には深い皺が寄っていた。


「……どれくらい硬いのかと思いまして」

「あのね。せめて言ってほしいな」

「ほら、目の時も暗視効果があったじゃないですか。これも何かに使えないかと……思ってですね……」


 セキヤの目は鋭いまま、じっと私を見つめている。


「ゼロ」

「……すみません」


 ため息をついた彼は手を離した。

 自分の手にナイフを振り下ろした時よりも、今のセキヤの方がずっと怖かった。胸に手を当て、撫で下ろす。


「ヴィルトがいるから問題ないとでも思ったんでしょ」

「……はい」

「だとしてもだよ。俺もヴィルトも、ゼロが怪我するの嫌だからね」

「すぐ治るじゃないですか」

「うーん、そういうことじゃないんだよね……」


 がっくりと項垂れた彼は、疲れた様子だ。

 怪我する可能性を考えても、今のうちに確かめておいた方がいいと思った。

 とはいえ、別に彼にこんな顔をさせたいわけでもなかった。


「まあ、結果的に何の問題もなかったけどさ。すぐ治るかどうかじゃなくて、傷つくこと自体が嫌なの。心配してるの。分かる?」

「でも、いきなり本番で試すわけにもいかないでしょう……?」

「心の準備くらいさせてほしいってことだよ」

「……はい。すみません」


 セキヤはヴィルトをちらりと見る。

 これだけ騒いでいるから起きてもおかしくないと思ったが、まだ眠っている。


「ヴィルト、起きてたら絶対怒ってたよ。よかったね、ヴィルトが起きるの苦手で」


 黙って右腕をさする。

 何も言わずに行動に移したのは良くなかった。ただ気になって仕方がなかったとはいえ。


「ゼロだってさ、心配させたいわけじゃないでしょう?」


 心配。そうか、心配されているのか。私は。

 改めて認識すると、どうにも言い難い感情が満ちる。


「……ええ、まあ」

「ちょっと、その間は何?」

「いえ、何と言いますか……」


 口籠る。これは言うべきではないような気がする。

 ただ、きっと言わなければセキヤは退かないだろう。今も私をじっと見つめて言葉を待っている。


「……ただ、心配されているのだなと思うと少し嬉しく思ってしまっただけで」


 彼の間の抜けた顔から目を逸らす。

 少し言い方が悪かった気がする。悪い気はしない、で止めておくべきだっただろうか。

 いやしかし、実際に嬉しく思ってしまったのだから仕方がない。そういうことにしておいてほしい。


 ……冷静に考えると、かなり気恥ずかしいことを言ってしまった。


「なんというか……うん、何も言えないや」


 両手で顔を覆ったセキヤは、深い……とても深いため息をついた。


「とにかく心配だから……そう、心配だからさ。気をつけてよね」

「わかりました」

「なら良し。朝までまだ時間あるし、寝よっか」


 セキヤはもぞもぞと寝袋に入っていった。

 その耳が赤くなっていたのは、ランタンのせいだろうか?

 ……まあ、違うのだろう。

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