第41話 這い寄る悪夢

 ネクロノミコン、その書物が初めて世に出たのはいつのことか。

 はっきりとした年代は不明だが、三百年前にはすでにその存在が書物に記載されている。

 大魔導師アブドゥルが書いたとされるそれは数多くの禁忌に触れているとされる。

 

・拷問にかけて流れ出た処女の血を使って書かれた。


・本のカバーは非業の死を遂げた死者の皮を何枚も継ぎ合わせて作られた。


・この世の深淵に触れており、手に取る者を発狂させる。


・本自体にアブドゥルの魂と特大の呪いが込められている。


・異次元の神々について書かれており、その召喚術や由来がわかる。


・死者に偽りの魂を与え、死者を操り、死者の魂を束縛し、深きもの闇に蠢くもの古きものどもを憑依させる。


 などなど、ネクロノミコンに伝わる伝承は百以上を超えているが、ネクロノミコンに関わって生きていたという者が存在しないためにその真意は解明されていないままだ。


 ある者は発狂し、ある者は村人全員を斬殺した後に自殺し、ある者は人格が分かれ、ある者は無差別殺人に走り、ある者は全身を掻き毟って死に、ある者は悪夢のような幻覚に苛まれる。


 そして全ての人が怪死し、その魂はネクロノミコンに取り込まれ、未来永劫悪夢と狂気の中に縛りつけられる。

 恐ろしいという言葉を通り越し、異常な狂気そのもの。


 だがしかし悲しいかな、その狂気や深淵に惹かれる者は少なくない。

 金持ちや貴族、王族、冒険者、ありとあらゆる立場の人間が追い求め、そして身を滅ぼしていく。


 そんなネクロノミコンに取り憑かれたプロヴィデンス卿もまた、怪死を遂げ、その遺体はこの世から消え失せた。

 消えた遺体がどこに行ったのかは誰も知る術はないが、その魂は確実にネクロノミコンに囚われてしまっているのだろう。


 〇


「いいいやああああああ! たああぁああすけてええええ!」


 私は心の中から絶叫を絞り出し、全速力で屋敷を駆け回っていた。

 階段を駆け上り、一階へと辿り着いた私を出迎えてくれたのは、無数の異形のモノ達。

 一体どこに隠されていたのだと、感心しそうなくらいの数が蠢いていた。


 聖なる雷に守られている私に物理的被害は無いが、居並ぶ面々を目の当たりにした私のメンタル被害は尋常じゃ無いことになっていた。

 怖いとか恐ろしいとか、そういうものじゃない。


 勇気とか根性とか愛とか、そういうもので対抗出来るようなものじゃない。

 なんて言えばいいのだろう。


 簡単に言えば生理的に無理?

 ほら例えばあのデブ皇太子ヌフフみたいな。


 見ただけで怖気が走り、恐怖とかそういう感情じゃない別の悪寒が直接脊髄を撫でつけてくるような感じ。


 底冷えする冷たさと狂気が内混ぜになって、絶望と嫌悪感と醜悪さをトッピング。

 そこに愛しさと切なさと心強さをプラスして愛しさと心強さを取り出して……って何わけ分からない事を考えているんだ私は。


 気をしっかり持たないと、思考が滅茶苦茶になっていく。

 幸いな事に、バルト達はしっかり玄関の扉を閉めていてくれたようで異形のモノ達が外に出る危険性は薄れた。


 今は私という獲物を追うのに必死になっているようだ。

 一階に躍り出た私とこんにちわした異形は、聖なる雷に撃ち抜かれてこんがり。


 けどこんがりした矢先、別の異形が私を掴もうと手を伸ばしてきた。

 ぞろぞろとひしめく異形の中を突破し、一階の隅から隅まで駆け回る。

 そして私は見た。


 異形のモノが鏡の中からにゅるりと這い出てきて、奇妙な産声を上げているのをこの目で見た。

 むしろ目が合った。


 どうやらこの異形を生み出しているのは鏡と見て間違いなさそうだけど、悲しい事にこの屋敷には至る所に大小様々な鏡が取り付けてある。


 もし仮に、鏡の中から産まれる異形が無尽蔵だとするなら……この屋敷は異形で溢れかえり、パンクしたあかつきには外に漏れ出していくだろう。


「こなくそ!」


 私は咄嗟に近くにあった椅子を手に取り、思い切り鏡に叩きつける。

 パリィンという音が鳴り、鏡は粉々に割れたのだけど--。


「ひぇっ!? まだダメなのぉ!?」


 大きめの破片からただれた三本の指がにょきりと突き出て、腕、肩と徐々にこちら側へ這い出そうとしている。

 ただ割っただけではこいつらの侵入を防ぐことは出来ない。

 

「このっこのっ!」


 私は全力で破片を踏みつけ、粉々にしていく。

 爛れた腕は破片が粉々になると同時に黒い煙になってかき消えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る