第43話 君の静かな一日

 4月、山石君は息を引き取った。眠るような最期だった。


 病院に向かう道では桜の花がつぼみの中から顔を出し始めており、新たな命が芽吹いている、そんな印象が残っている日だった。始まりがあれば終わりがある、新しい命がさんさんと芽吹く裏で、ひっそりと最期を迎える命があった。


 いつものように病室に向かう途中、慌ただしく追い抜かしていく看護師さんたちの姿を見て悪寒が走った。一方でこの日がやって来たのかという覚悟のような気持ちも胸の中にはあった。病室に近づくにつれて激しくなる動悸と浅い呼吸の音は、病室内の人の声にかき消された。ドアは開けっぱなしにしてあり、山石君の周りを大勢の白衣を着た人が取り囲んでいるのが廊下からも見えた。よく分からない言葉を怒鳴り合いながら管や機械を操作している人、山石君に触れて何かを確かめている人、何かを指示されてせわしなく出入りする人。そんな中で目を瞑って横になっている山石君の顔はいつもと同じようにとても穏やかで、周囲の慌ただしい様子とまるで無関係のようだった。入り口で呆然として立ち尽くしていた私に気がついた看護師さんの1人が外で待つように促してきた。けど、山石君のお母さんが引き止め、中へ案内してくれた。

「もう……最期……かもしれないから、一緒にいてあげて。いつも通り……いつものように……して欲しいの。」

 お母さんはすがるような祈るような声を出して、人を避けていつもの特等席をいつもの場所に用意してくれた。いつものようにそこに腰かけ、いつものように山石君の手を握って話しかける。

「……やっほ、山石君。今日ね……」

 いつも通り今日の出来事を話してあげようとするも、喉に何かがつかえて声が出てこない。いつも通り笑顔を作って、いつも通り楽しく話そうとしても、どうしても涙が我慢できない。山石君は変わらず穏やかな表情で目を瞑っている。

「今日は……ゆっことね……バレーしたの。ゆっこ……っ全く手加減しないんだよ……笑っちゃう……」

 些細な日常のくだらない話をしても、溢れる涙は止まるどころかますますこぼれ落ちてくる。

「……山石君、ありがとう。ありがと……出会ってくれて……合唱も、音楽室も、デートも、全部全部……宝物。山石君に、もらったもの……いっぱい……山石君……山石君……」

 そこからは言葉にならなかった。山石君の名前を呼ぶことしかできない私の横で、唯一山石君が生きていることを伝える機械の音が少しずつ小さくなっていく。周囲の大人たちの動きがいっそう慌ただしくなる。山石君のご両親も泣き崩れている。ただ山石君だけがぽっかりと浮かび上がるように静かだった。

 

 そのまま、ゆっくりと静かに山石君はその16年の生涯の幕を下ろした。最期の瞬間に何か劇的な、握った手を握り返したり、いきなり目を覚まして言葉を残したりといったこともなく、眠るように、どこか山石君らしい静かな最期を迎えたのだった。

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