第44話 泣けない私と起きない君

 自分の部屋に戻ると、慣れない場所で慣れない空気に触れていた疲れがどっと押し寄せてきた。制服の上に着たコートを脱ぐ気力も起きず、そのままベットに飛び込んだ。

 ベッドの振動に混ざってカチャッと聞きなれない音がしたので、目だけで辺りを見回してみると上着のポケットの中身が飛び出していた。

 そっか、この上着はコンクールで着てたやつだった。人生で最も嬉しい出来事を共にしたコートで、人生で最も悲しい出来事にも参列するなんて皮肉なものだ。いや、人生で最も悲しい出来事だなんて言っちゃいけないのかもしれない。

 私は、山石君の葬儀で一滴も涙を流すことがなかったんだから。


 山石君を見送ってからしばらく彼のそばから動けないでいた。きっとすぐに遺体を移動して安置するなどの仕事があったのだろうけど、多分山石君のご両親が気を遣ってくれて少しの間だけ最期の別れの時間を取ってくれた。

 もう山石君と言葉を交わすことはなかった。泣くことも、むやみに悲しくなることもなかった。ただ静かに、お疲れ様。今までありがとう。この二つだけを心の中で山石君に届けて彼の手を離した。それだけで十分だった。

 正直、山石君がこの世からいなくなってしまった実感が全く湧かなかった。目の前の山石君を見ていると、実は寝たふりしてただけでしたーとか言って起き上がってきそうな気さえした。

 でもそんなこと起こるわけなくて、お医者さんや看護師さんたちがてきぱきと山石君を運んでいくのをただ立ち尽くして呆然と眺めていた。そんな私を現実に引き戻してくれたのは山石君のご両親だった。

 ご両親は悲しみに暮れる暇もなく、私が突っ立ている間も手続きや葬儀の準備に奔走していた。

「つばめちゃん、今日は本当にありがとうね。きっとあなたの言葉は最後まであの子に届いてたと思うわ。あんなに安らかな顔してたんだから。あの子はあなたに出会えて幸せだったわね。」

 本当は一番悲しくて一番ねぎらってもらわなきゃいけないお母さんに逆に気を遣わせてしまい、申し訳なさと情けなさで胸が締めつけられる。

「私、何もできなくて……最後までありがとうございました。」

 これといって上手なことも言えず、ただ感謝の言葉しか出てこなかった自分に呆れてしまう。

「こちらこそ、大変な時もあったのにいつも一緒にいてあげてくれてありがとう。さぁ、ここはバタバタしてしまうから一旦お家に帰りなさい。最後のお別れの日はまた後で連絡させてもらうから。」

 そうやってお父さんに促されるままに、挨拶もそこそこに病院を後にしたのだった。


 翌々日、空は山石君の人柄を表すかのように晴れ渡っており、天気さえも彼を優しく送り出しているかのようだった。

 少し寒さがぶり返して肌寒い風が吹き抜ける中、会場の入り口前でクラスメイトたちを待つ。すると、そこにミャーコがどこからともなくやって来た。普段は絶対に私に触らせてくれず、いつも山石君だけが嬉しそうに撫でていたのに、この日はのそのそと近づいてきて私の足にすり寄ってきたのだった。

「なんだなんだ、どこから来たんだよ。いつも可愛がってくれる人がいなくて寂しいのか?でももう山石君に撫でてもらえることはないんだぞ。残念ながらね。だから私で我慢してるってか。……あぁ、それとも慰めてくれてるのかな?」

 初めて触らせてもらったミャーコは目を細めて少し嫌そうな顔をしている気がしたけど、結局人が来るまでじっとして存分に撫でさせてくれた。彼女なりに何かを察して山石君や私への手向けをしてくれたのだろうか。

 ミャーコと入れ替わるようにぞろぞろとやって来た中に、遠目に見ただけでも号泣しているのが分かる人物が一人だけいるのが分かった。裕子は友達に肩を借りないと歩けないくらい泣き尽くしており、他にも至る所から涙する人の声や鼻をすする音が鳴っていた。

 山石君はクラスでもこんなにたくさんの人に惜しまれるくらい人望があったんだ。きっと山石君は喜んでるだろうな。いや、自分のために泣いてるんだから心配してるか。

「……つばめも、無理し……ないで……いいから、ね。いいんだよ……」

 誰よりも泣きながら私の心配までしてくれるなんて、裕子は本当に優しい。親友として誇らしい。それに対して、私はどうしちゃったんだろう。悲しいはずなんだけど、不思議と涙は出てこなかった。

「裕子がそんなに泣いてくれてるんだし、逆に私は笑って見送ってあげようかな。」

 そう言って笑いかけると、なぜか裕子はさらに泣き崩れてしまった。

 その後、泣き崩れる裕子を引きずるようにして葬儀に参列し、山石君と最後の別れを行った。棺桶の中に花や生前の思い出の品を入れることができたので、悩みに悩んでユカリちゃんの絵を入れさせてもらうことにした。この絵が一番二人の思い出が凝縮しているような気がした。

 花や思い出に囲まれた山石君の顔は、病室で見た時と同じ穏やかな顔だった。お化粧をしてもらっていて本当に眠っているだけのようにも見えた。

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