第46話

 ニコロが辺境騎士団に入団してから一年が過ぎ、ニコロは勤務地の意向を聞かれ、リデト常駐勤務を希望した。リデトに行きたがる者は少なく、希望はすぐに認められ、モニカと共にリデトに戻ることになった。



 リデトに戻る前にモニカはガスペリに呼ばれ、辺境伯の屋敷に向かった。ニコロとは都合が合わず一人で向かったが、ガスペリはニコロ抜きで話をしたかったらしく、あえてそう仕組まれていたようだ。


 応接室には、ガスペリとその妻が同席していた。領主とはいえ男女一対一での面談を避けたガスペリの配慮だろう。

「実は、君から預かっているものを返すタイミングを逸していてね。この機会に戻しておこうと思って呼んだんだ」

 そう言ってガスペリが差し出してきたのは、数枚の権利書だった。

「リデトの壁の修繕、食料の確保、武器の補修。かつて君から提案された通り幾分か使わせてもらったが、その後領の収益やオークレーからの賠償金なども入ってね、預けられた動産、不動産の全てを使う必要はなかった」

 モニカは、出された権利書を見た。その中にはここライエでモニカの家族が住んでいた家も含まれていた。売れていないのではなかった。売りに出されていなかったのだ。

「リデトの分家が所有していた不動産は思いの外すぐに買い手がついたが、現金が残っている。これも君が受け取ってしかるべきものだろう」

「いえ、お金も家もこのまま領のものとしてください。わたしはリデトに戻りますし、あの家は…、私が住むことは、ありませんから」

 モニカはガスペリと視線を合わせず、少しうつむいて答えた。

「君は辺境伯家の縁者ではなくなった。だが、このロッセリーニ領の名家ロッセリーニ家の一員でなくなった訳じゃない。爵位をなくしても、平民になろうと君の名はモニカ・ロッセリーニだ」

 ガスペリの言葉に、モニカはうつむきを増し、小さく首を振った。

「私が領を手放した時、誰もが喜んでいました。あれが全てです。私は…、兄のような才能もなく、父にも見限られてましたから」

「それは違うな。…もう君は子供ではない。知っておいても、いや、知っておいた方がいいだろう。これからする話は、噂話で把握したことも含まれてはいるが、概ね誤りではないことを確認してある」


 ガスペリはモニカの父から停戦前日に聞いた話を話した。

 その中にはモニカには伏せられていた家の事情も含まれていた。



 レオンツィオ・ロッセリーニと妻、それに娘のモニカは、ロッセリーニ領を離れ、王都で暮らすことになった。

 領では子供に関心を持たなかった妻が、王都に行ってからは魔法のない娘を争いの多い辺境地から離そうと妙に張り切り、妻の友人である伯爵家の嫡男と縁を持った。

 娘モニカは領では比較的自由に暮らしていたが、母の言うことを聞き、学校に通いながら伯爵家の妻としてふさわしい教育を受けるようになった。妻からは娘の教育に口を出さないよう言われ、レオンツィオはかつてのように娘と話す機会は減ったが、それも一つの生き方だと思っていた。


 ある日、銀行から照会があった。大金の払出を求められたが、小切手のサインがレオンツィオのものと明らかに異なるため、支払いを保留しているという。相手は不動産業者で、その金は王都にある古い一軒家の購入代金だった。

 レオンツィオに心当たりはなかったが、金庫にあった小切手が一枚切り取られていた。不動産業者の元に向かい話を聞くと、小切手を切ったのは妻だった。妻は悪びれもせず、自分で金額を書き、夫の名前でサインしたと言った。どうして支払いができなかったのか不思議そうな顔をしていた。

 どうして家を買おうとしたのか聞くと、娘が嫁いだ後、自分が王都に住むための家が欲しかったと言った。家の古さから見れば相場よりかなり高額だった。売り手の不動産業者はモニカの婚約者の親戚で、どうも友人である伯爵夫人も裏でからんでいるようだった。

 ロッセリーニ領に戻りたくない。ずっと王都で暮らしたい。

 妻のささやかな愚痴に、それなら王都に家を持ち、夫婦別に暮らせばいい。王都と領で分かれて暮らしている夫婦などどこにでもいる。離婚することになっても財産を分けてもらえばなんとかなる。そんな言葉を真に受け、来たる日の準備として古びた家を買い取らされそうになっていた。家を買ったところで家の修繕や維持費、税の支払い、メイドや料理人を雇うのにも金がかかる。そんなことにも気付かない、世間知らずの妻はまさにカモだった。

 すぐに契約を解消したが、手付金は諦めることになった。それは手付金といいながらかなりの額で、妻に与えていた裁量の金額を超えており、不足分はモニカの結婚の持参金として貯めていた金から出されていた。レオンツィオは即刻執事と妻の侍女を首にし、妻には家の金を一切使わせないようにした。

 その業者は他にも詐欺まがいの不動産売買であちこちから訴えられていた。モニカの婚約を破棄するとレオンツィオは言ったが、妻は断固反対し、醜聞を恐れた伯爵家からも思い留まるよう説得を受けた。伯爵は誠意を持って対応し、モニカのことを第一に考慮すると言った。レオンツィオは諾とは答えなかった。


 離縁を恐れた妻は、どこかで手に入れた毒を使った。昼間、侍女の目の前で毒を飲み、すぐに医者が呼ばれた。毒は致死量の半分ほどで死ぬことはなかったが、後遺症が残り、ベッドから起き上がれなくなった。子供達には病気と伝えられた。

 何度も謝り、離婚を恐れる妻に、レオンツィオは一度は許そうと思っていた。しかし見舞いに来た実の兄に「辺境地には戻りたくない、このまま死ぬなら王都の墓に入れてほしい」と願うのを聞き、レオンツィオは妻への愛情を失った。

 好きにするがいい。その言葉に妻は許されたと思い、妻の兄は妹の愚言にひたすら頭を下げるしかなかった。


 それからさほど日にちが経たないうちに妻は亡くなった。葬儀を済ませると、妻の願い通り遺体は妻の実家が引き取り、実家の墓に埋葬された。墓には家名は書かれず、以後墓参りに行くこともなかった。それは死後まで引き延ばされただけで、離縁だった。


 仕事を理由に家を避けるようになり、それに慣れた頃、突然兄の訃報が届いた。

 急ぎ領に戻り、兄の後を継いだ。娘はまもなく卒業し、婚約者もいる。娘のことは王都の屋敷の者に任せておけばいい。そう思っていた。しかし娘は学校をやめ、自分を追って領に戻って来ていた。しかしこのときのレオンツィオは領のことで頭がいっぱいで、娘がどこにいるかも把握せず、戻っていてもライエの屋敷なら安全だろうと屋敷の家令たちに任せた。


 息子が出征先から戻り、久々に会った兄妹の笑顔を見て、かつてロッセリーニにいた時を思い出した。もう一度あの頃のように、母はいなくとも家族そろって暮らそう。そう思っていた。しかし再び出陣した息子の訃報にそんな夢も砕けた。ロッセリーニ領を継ぐ魔法騎士の死に、リデトだけでなくロッセリーニ領が沈んでいった。


 勝たなければならない。何が何でも。王都からようやく来てくれた援軍。形勢は逆転し、敵は徐々に撤退していった。


 戦地で焚き火を前にして、レオンツィオは元部下で援軍の隊長ルチアーノ・ガスペリに娘のことを語った。

 娘は時折リデトに来ていたようだ。領のあちこちから不足する物品を調達して運び込み、渋る者には父の名を使って脅しをかけていると聞いた。それを悪く言う者もいたが、さすが我が娘モニカだ。非常時には使える伝手、コネ、脅しは躊躇なく使えと教えたものだ。

 伯爵家との婚約を続けたいのか、モニカにこそ聞かなければ。王都に行く前、ここに残りたいと言った娘の言葉を妻に塞がれたままだった。領を継ぐ気があるならモニカに継がせてもいい。嫌なら伯爵家でも他でも好きなところに嫁がせてやろう。どうしたいのか聞いてやらなければ。

 もし娘が領を継がないなら、この領を頼めるか。

 レオンツィオの問いに、ガスペリはそのまま答えることなく

「もうすぐこの戦いは終わります。まず娘さんと話をしてからです」

と言うと、レオンツィオは黙ってうなずいた。

 

 その翌日、レオンツィオは敵の矢に倒れ、意識を取り戻すことなくこの世を去った。娘に声をかけることも、撫でてやることさえできずに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る