第45話

「ねえ、ニコロ。まだ魔法、使える?」

 ニコロに向き直ったモニカは、少し企んだような笑みを見せた。

「ああ、全然大丈夫だ」

「私ね、聞きたいの。レンニの妹の答え」

「レンニの…」

 レンニはモニカに懸想した男だ。モニカが会いたがるのは面白くなかったが、モニカに兄失格の烙印を押されたレンニが実際には妹からどう思われているのか、知りたいと思う気持ちもわからないではなかった。

 モニカの願いは何でも叶えるという約束だ。

「よし、行ってみるか」

 ニコロの口笛でこの前の大きな鷹が現れた。ニコロと手をつなぎ、今度は怖がることなく砦から一緒に飛び降りて鷹の背に乗ると、そのまま一直線に三の星の集落に向かった。


 三の星の集落はモニカが訪れた時と何も変わっていなかった。

「あの奥にレンニの家があるの」

 モニカが指さすと、鷹は屋敷のすぐそばにある木に近づき、二人が枝に乗り移るとどこかに飛んで行った。


 レンニの家は以前より人が増え、人の出入りも多くなっていた。窓から覘くとたくさんの書類が積んであり、レンニは一つ一つ丁寧に読んで処理していた。

 レンニは以前もリデトに偵察に出かけたり、迫害されていたエル・ミーン族を三の星に連れ帰ったりしていた。エル・ミーンのことを思う気持ちに偽りはないだろう。タラントで子供達を引き取った時も子供達はなついていて、レンニのことを信頼しているのが感じられた。


 徐々に日が暮れていき、部屋に明かりが灯ると、レンニの部屋に女が入って来た。どことなくレンニに似ているが、筋肉質だが痩せ気味のレンニとは逆にふっくらとしている。

「レンニ、夕食ですって」

 同じ部屋の中にいるかのように声がはっきりと聞こえた。さすが何でもありの夢の中だ。

「…また豆の煮たのかしら。こんなお菓子も出ないような貧相な村にいても、面白くもなんともないわ」

 そう言って女はレンニを睨みつけた。

「面白くなくてもここがおまえの故郷だ。これでも昔よりはずっとよくなっている」

 レンニは少し困り顔だが、扱いには慣れているようだ。

「まだ次の夫は見つからないの? ライエの話、どうなったの? 辺境騎士団員だったかしら?」

 その話に、ニコロとモニカは目を合わせた。どうやらこれがあのレンニの妹「シーラ様」だ。

「騎士団員なら夫が留守の時間が多くて気楽でいいわ。きっとお給料もいいでしょ? でも、召使いを雇うのは難しいかしら」

「残念だが、ライエでは断られたよ。おまえも、…俺も」

「もう、レンニがうまくやらないからよ」

 シーラは拗ねた顔をして見せたが、レンニは関心を見せず、軽く溜息をついただけだった。

「このままここにいるなら、おまえにも働いてもらわないとな」

「私はこれまでずっと人質扱いで部屋に閉じ込められていたのよ。可哀想な妹が戻って来たんだもの。お世話するのは家族の務めでしょ?」

「働かざる者、食うべからずだ。ここでは部屋にいれば食べさせてもらえるようなお嬢さんではいられない。おまえに甘かったアルヴィンももういないんだ」

 アルヴィンを思い出し、レンニの顔が曇ったが、シーラは気づいていないようだった。

「アルヴィンったら一人でライエに残るなんて。もう、役に立たないんだから。…いっそ、私もライエに連れて行ってくれればいいのに」

 シーラには本当のことは話していないようだ。アルヴィンがシーラのために他国で人を殺そうとして捕らえらえたことなど話せないのだろう。もはやアルヴィンが三の星に戻ることはないのだから。

「おまえはアルヴィンが、…好きだったのか?」

 レンニの問いに対し、シーラの答えは自分勝手な夢だけだった。

「アルヴィンとライエに住んだら、ずっと家にいて何もしなくていいって言ってくれるわ。でもアルヴィンの稼ぎじゃ、ライエでは食べていくので精一杯ね。…でもエギルみたいに部屋に閉じ込めるだけでほったらかしにはしないわ。五人も妻がいても、あの人が本当に妻だと思っていたのは第一夫人のアイラ様だけ。他はただの見せしめ。…ただ他の部族を脅すために妻にしただけだもの…」

 シーラは少し寂しげな表情を見せた。それを見てレンニは

「エギルのことは、大変だったな…。気の毒に思う」

と同情を寄せたが、シーラは思いっきり眉をひそめた。

「はぁ? こっちにどう伝わってるか知らないけど、上から石が落ちて来たのは天罰に違いないわ。よりにもよって神殿の中で浮気するなんて。逃げ遅れて両足を挟まれて、それも脱ぎかけのズボンが足に引っかかったせい、助け出された時には下半身丸出しって、恥ずかしいったらないわ」

 恐らく外部には隠していただろう四の星の長の失態が赤裸々に暴かれ、レンニも聞いていた事故との差にどう反応すればいいのか迷った。しかし四の星の長が事故に巻き込まれて体の自由が効かなくなり、長が代わることになったという事実に変わりはなかった。

「その三日後には竜巻で屋敷も畑も何もかも壊されて。みんな竜巻を見てすぐに逃げたけど、エギルは寝たきりで逃げられず、家ごと竜巻に巻き上げられたのよ。神殿のすぐ近くで見つかったけど、傷だらけになってブルブル震えていて。よっぽど怖かったんでしょうね」

 竜巻。…それは、ニコロの魔法ではない、と言い切れるだろうか。

「屋敷もなくなり、もう養えないから離縁だって。あっけないものだったわ。ま、私は戻る所があっただけましよね。集落の畑も被害を受けたし、集落を守る柵もなくなって野生のイノシシやシカが畑を食い荒らしてたわ。竜巻に巻き上げられて武器も農機具もみんな使い物にならなくなっちゃったし、復興には時間がかかるんじゃない? エギルもアイラ様の家に身を寄せてたけど、見捨てられないかびくびくしてたわ」

 ニコロの竜巻の魔法だ。モニカはそう確信しながらも不思議と罪悪感は沸かなかった。

 あの竜巻の夢の世界とこの三の星の世界はつながっている。

 あくまで夢の中。自分の望んだことが形になっているだけかもしれない。それでももし今見ている三の星の世界が幾分かでも現実だったとしたら、エギルは天からだろうと人からだろうと「罰」を受けたとしか思えない。


「ママぁ…」

 レンニの部屋に幼い子供が入って来た。その子は顔はレンニに似て、髪色はエギルに似ていた。

「おなかすいたぁ」

「あらあら、アルヴィンがいてくれたらご飯くらい食べさせておいてくれたのに。…ほんと、この屋敷の召使いは気が利かないわね」

 シーラは不平を漏らしながらも子供には笑みを見せ、子供を連れて部屋を出ようとした。そこへ

「シーラ」

 レンニが声をかけると、シーラは振り返った。

「おまえは、…俺が、好きか?」

「急に何?」

 その問いかけに気持ち悪いとでも言いたげに顔をしかめたシーラだったが、

「…まあ、嫌いというほどでもないけど、好きと思えるほど一緒に暮らしてないでしょ? さ、ご飯をいただきましょう」

 レンニは妹が子供の手を引き食堂に向う姿を目で追いながら、

「まあ、嫌われてはなかったか」

と、苦笑いに近い笑みを見せた後、ふっと溜め息をついた。そして仕事の手を止めて、妹と甥と共に食事を取るため部屋を出て行った。



 再び鷹が現れ、モニカとニコロは枝から飛び降りて鷹の背に乗り移った。今度はモニカがニコロの前に座り、そっと首元の柔らかな羽根をつかむと、鷹は大きく羽ばたき、速度を上げた。


「なかなかすごい妹を押し付けられそうだったんだな…」

 青ざめるニコロと対照的に、モニカは笑いを抑えきれなかった。

「シーラ様、たくましかったわね」

「アルヴィンの話で想像してたのと全然違った。子供のオプション付きなんて一言も言わなかったぞ。怖ええっ」

「尽くしたいアルヴィンと、尽くされたいシーラ。いい組み合わせだったでしょうに…」

 今のモニカには、アルヴィンは父の敵というより、囚われの姫に幻想を抱いた哀れな男に思えた。ニコロに矢を向けなければ、後は三の星に戻り、姫に尽くせる生活が待っていたというのに。


 一番星が光り、夜が近づいている。闇に消えかけた眼下の景色に気がついたモニカは振り返り、ニコロに問いかけた。

「ニコロ、花びら出せる?」

 ニコロは返事に代えてモニカの前に腕を差し出すと、掌から色とりどりの花びらを湧き出させた。

 モニカはそれを両手でつかむとふわりと放り投げた。花弁は風に飛ばされ、闇の中、かすかに浮かぶ世界に舞い落ちていった。その先はモニカの兄セルジョと隊員のロメオ、そしてモニカが命を落とした場所だった。

「さよなら、兄様…」

 掌の花がなくなると、ニコロはそのままモニカを腕に包み込んだ。ニコロは元の、大人のニコロに戻っていた。子供のままのモニカは大きなニコロに包まれて、伯父や父に抱かれていた時のような安心感を覚えながらも、首筋にかかるニコロの吐息に、鼓動を取り戻した時のように熱を帯びた血潮が体を廻っていくのを感じていた。


 砦が見えてくると、鷹は急旋回して二人を振り落とし、そのまま飛び立って行った。

 砦に足が着くことはなく、暗闇にニコロにしっかりとしがみついて落ちていく。不思議と怖いと思わなかった。ニコロの腕の中でモニカもまた大人のモニカに戻り、ニコロと目が合うとモニカから唇を重ねた。目覚めるまでの引き込まれるような落下感の中、二人は離れないようしっかりと互いを抱き締め、目覚めてもなお離れることなく互いを求め合った。

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