第14話

 ニコロが辺境騎士団に入団することになり、ニコロとモニカはロッセリーニ領の中心都市ライエに住まいを移した。


 モニカは王都に行くことになった十一歳までライエに住んでいた。街の中では比較的大きな家で、常に五、六人の使用人を抱えていた。子爵家出身の母には侍女がついていた。母は家事などしたことはなく、自分の身の回りのことも侍女の助けを借りていて、子供の世話も乳母に任せていた。

 伯父が主宰するパーティに呼ばれることがあり、着飾った母と騎士団の正装をして出かける父を見送った。あの時の母はとても嬉しそうだった。母は貴族としての華やかな生活を忘れられなかったのだろう。王都行きが決まった時、一番嬉しそうだったのは母だった。父は王命もあったが、母を喜ばせるためにも王都に行くことを決めたのかもしれない。

「魔力のないあなたが蛮族が襲ってくるような所に戻る必要はないのよ。私の知り合いに素敵な方がいるの。きっとあなたも気にいるはず。あなたは幸せになれるわ」

 母はそう言ってモニカに婚約者をあてがった。父も反対しなかった。

 「魔力のない」ままこの地に戻ることになったが、ライエに滞在したのはごくわずかな期間だった。戦いが終わり、兄と父を見送り、母の仕切った婚約は消え、「魔力のない」自分だけが残った。

 そして自分もまたライエを後にした。


 ここを離れてもうずいぶん経つ。自分の事を覚えている人などいないだろう。覚えていてほしくなかった。何の役にも立たなかった自分の事など。

 街に近づくほどざわざわした気分になり、落ち着かなかったが、街に降り立つと、古い街並みは変わっていなかったのに初めて来たのと変わらないくらい馴染みのない街がそこにあった。

 こんな所だっただろうか。

「行こうか」

 駅馬車を降りて立ちすくむモニカに、ニコロが声をかけた。大きな街に気後れしたと思われたかもしれない。

 モニカが持つ荷物は何もなく、大きな鞄を抱えても歩調の落ちないニコロの後を追った。


 少し裏通りに入ったところのアパートの一部屋を借り、新しい生活が始まった。

「行ってらっしゃい」

 仕事に向かうニコロを見送る日々。

 リデトにいた頃も商人の護衛で長く家を空けることがあったが、少し生活のパターンが違っていた。ニコロは時に遠征で数日家を空け、時に夜勤もある。


 一番違うのは、ニコロがいない間のモニカの生活だった。

 リデトでは店の手伝いをしながら、時に療養所に出向いた。時間を見て小さな畑で作物の世話をしたり、森の恵みを摘みに行ったり、思いつくままに忙しく楽しく暮らしていて、暇を持て余すことはなかった。しかしここライエでは隣家との隙間はなく、共用の階段を降りドアを開けるとすぐに道。畑どころか庭もなかった。せいぜい小さな鉢植えを窓辺において楽しむくらいだ。


 店先に求人を見つけて面接を受け、明日から来るように言われたが、翌日店に行くと遠縁の子を雇うことになったからと断られた。仕方がないと立ち去る背後で、

「どこの誰かも知れない奴を安易に雇うもんじゃない」

と叱る声が聞こえた。誰かの一声で決定は覆り、前日の面接など何の意味もなかった。

 その後もその店には一か月ほど同じ求人が張り続けられていた。


 ライエにも療養所はあったが、昔はともかく、リデトが国境になってからはこの街まで外敵が押し寄せることはない。戦時に兵を受け入れ、リデトで怪我人があふれたときに引き受けるための施設になっていた。リデトほど緊急時に備える意識はなく、職員は皆余裕があり、手伝いを必要とはしていなかった。薬や薬草も商人から買い付けていて、摘みに行くような人手は不要だと言われた。この街の療養所では予算を使い切ることはないようだ。


 気がついたら、昔住んでいた家の前を通っていた。

 辺境伯位を王に返上した時、この屋敷も新しい領主に譲った。戦後の領を立て直すのに少しは足しになるかと思っていたのだが、新たな人が住んでいる気配はなかった。意外と売れにくいものなのかもしれない。管理人がいるのか荒れてはいなかった。

 父を見送る母。庭で素振りをしていた兄。思い浮かぶ家族は皆笑顔を浮かべている。思い出すとうるんでくる目を背け、モニカはその場を離れた。


 時々辺境伯の館の裏手にある墓地に向かい、父、兄、伯父の墓に花を供えた。兄の体は別の地で弔われ、代わりに兄の剣につけていた飾りが眠っている。


 母は死ぬ直前まで王都で暮らすことを望み、「あんな田舎」の領には戻りたくないと言っていた。父は母の願いを叶えることに躊躇せず、母の兄の計らいもあって王都にある母の実家の墓に葬られた。その結果、あれほど仲が良かったにもかかわらず、父と母は同じ墓に入ることはなかった。


 辺境騎士団に接した林の中の道が墓地への近道だった。事件のない日は騎士たちが鍛錬している様子を見ることができた。その中にニコロもいた。護衛ができるだけあって、剣の腕もなかなかのものだ。魔法だけの騎士ではない。

「騎士である以上、魔法はおまけだと思って剣の力を付けなければね」

 そう言って、いつも鍛錬を欠かさなかった兄を思い出した。


 通りすがりに咲いていた花を摘み、持ってきた小さな花束に加えた。記憶の片隅にあった花が幼い頃のまま咲いているのを見て、花は自分の事を覚えているのだろうか、とふと思った。

 帰りは少し遠回りになったが、別の道を散策して帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る