第9話

 騒ぎに集まっていた騎士達は、それぞれの持ち場に戻っていった。

 しばらくしてニコロは目を覚ますと、目の前にモニカがいるのを見て、弱々しい声で

「とうとう、天国に、来て…しまったか」

とつぶやいた。これだけの状況にありながら相変わらずのとぼけた言葉に、モニカは笑顔を見せたが、それがすぐに泣き顔に変わり、寝ているニコロにしがみついた。

 目の前にいるのが本物のモニカだとわかったニコロは、手をゆっくりと伸ばし、モニカを腕の中に包み込んだ。モニカの背中に回った腕の力は弱かった。

 だけど暖かく、まだ生きている。


 モニカはニコロはきっと元気になると信じ、そのまま救護室に泊まり込んで看病することにした。まずは水を、そして持参していたタンポポコーヒーを確信をもって口に含ませた。

 翌日、ニコロは自力で上半身を起こせるようになり、モニカは牛乳で柔らかくゆがいてつぶしたじゃがいもを口に含ませると、スプーンに三杯ほどながらも飲み込むことができた。晩には数種類の具をわからないほどに潰したスープを時間をかけて食べさせた。調理場を借りて作った療養食は特別なものではなかったが、豆や麦、葉野菜を多く使った食事を口にするうちに少しづつではあったが回復の兆しが見え、ニコロは笑顔を見せるようになった。しかし、消えかけていた魔力はほとんど戻らないままだった。


 四日後、ニコロが少しなら歩けるほど回復したのを確認し、モニカは王都にあるロッセリーニ辺境伯邸に連絡を取った。その日のうちに辺境伯邸から馬車の迎えが来て、ニコロとモニカは辺境伯の館に移った。

 モニカは事前に自分達の領主に当たる辺境伯に手紙を書き、夫の身に何かあれば王都の館に逃げ込んでもいいか打診していた。リデトを守る魔法使いニコロのことは辺境伯も把握しており、二つ返事で承諾してくれた。


 領主夫妻は領に戻っていて不在だったが、館の執事が二人を出迎えた。

主人あるじは今は領地に戻っておりますが、お二人のご要望にお応えするよう申しつかっております。何なりと遠慮なくお申し付けください。警備も主人がいる時と変わらぬ体制で、ぬかりはございません。安心してお過ごしくださいますよう」

「お心遣いに感謝します。…あの、わがまな申し出で恐縮ですが、ニコロの食事は私が作ってもいいでしょうか」

 モニカは自分の申し出が立派なシェフがいる館で失礼に当たるのではないかと思っていたが、執事は

「承知しました。厨房をお使いいただけるよう手配いたします。安心してゆっくり養生ください」

と何の問題もなく段取りを組み、食材の手配にも気を配ってくれた。


 二人には日常では住むことのないような豪華で広々とした客室があてがわれた。

 王都に来てからモニカは六人部屋の救護室で付き添い、落ち着いて眠ることもできなかったが、辺境伯邸に移ってからは自分の眠るベッドもあり、時折侍女が付き添いを代わってくれた。館の主治医に定期的にニコロの具合を見てもらえ、ニコロの食事を作る時はシェフに相談でき、選んだ食材からメニューのアイデアを出してもらうこともあり、料理のレパートリーが増えていった。

 ずっと気を張り詰めていたモニカがふと笑顔を見せるようになり、ニコロは安心すると同時にずいぶんと心配をかけてしまったことをすまなく思った。遠く離れた王都まで駆けつけ、こうして世話をしてくれるモニカに報いるためにも、何が何でも元気にならなければいけないと強く思った。



 一週間後、モニカはアロルドに呼ばれ、魔法騎士団長室を訪れた。部屋にはアロイドとその補佐官がいた。

「夫君はだいぶ回復に向かっていると聞いたが」

 アロイドの言葉にモニカはうなずきはしたが、にこりともしなかった。

 アロイドはこの一か月間だけでなく、五年前のニコロの処遇についても調査し、その結果をモニカに伝えた。

「満腹になると魔力が落ちる。これはどうやら事実だったようだ。発端は皆で打ち上げをした翌日、思ったように魔法が使えなくなり、逆に時間がなくてきちんと食事を取れなかった時にはいつも以上に高い力が出た。それに気が付いたレヴィオ隊長が、どこまで力が高められるか試しに数回食事を抜き、効果的に魔法を使わせるには日に一度の食事でいいと判断した。しかしその頃には隊の中でニコロの食事抜きは全力を尽くさない「罰」だと認識されるようになっていた。自分より力のある平民へのやっかみも重なり、日に一度の食事さえ抜かれることもあったようだ。野営の時には道中の草や木の実で飢えを凌ぎ、何とか食いつないでいたらしい」

「それを、あなたは団長でありながら把握していなかったのですか?」

 魔法騎士団長を前にしても怯むことなく、怒りを抑えながら冷静に語るモニカに、同席していた補佐官は眉をひそめた。モニカの態度は平民の女が王城の魔法騎士団長に取るべきものではなかった。しかし団長は

「…面目ない」

と言って躊躇することなく頭を下げた。

「逃げないように首輪をつけられていたと聞いたことがあります」

「…そのような事実もあった。…今回も、言うことを聞かなければ首輪で首を締め付けられていたと、同じ隊の者が証言した」

「五年前と同じことが繰り返されていたことにも気が付かなかったのですか?」

「五年前はまだ団長ではなかったと言えば、言い訳になってしまうだろうが。…あの頃も今も、各隊で雇った傭兵の管理は隊長に一任されている。魔法使いは他からの干渉を嫌がるものでね、余計把握しにくくはあった…」

「そうですか」


 報告された内容は概ねわかっていた話だった。しかし、問題を認識してもらえただけでも成果はあった。魔法騎士団が変われるかどうかはこの後の対応次第であり、それはもうモニカの範疇ではない。

 モニカは、今日の一番重要な案件に移った。

「魔力のなくなった夫にはもはや用はないでしょう。…雇用契約の解除をお願いします」

 事前に解約の意向を聞いていたアロイドは、用意していた解約の書類をモニカに渡した。

 モニカはその文面に「今後ニコロを王立魔法騎士団に雇用することはない」と言う一文が入っていることを確認し、ニコロに代わりサインした。書かれた文字は手慣れていて美しかった。


 退室のため立ち上がったモニカは、ドアの前で振り返った。

「宰相閣下の命がなくても、一介の傭兵にここまでしていただけました?」

 言いよどんだアロイドに、モニカは一礼して部屋を出た。

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