第8話
誰かがニコロの所属する隊の隊長を呼びに行き、しばらくして、第二隊長レヴィオが二人の部下を連れて現れた。
「ニコロの奥方か。これはこれは、遠いところよく…」
「あなたが夫を連れ去った方?」
モニカはレヴィオを見るなり冷たい視線に変わった。女一人で辺境領から訪れ、屈強な騎士団員に囲まれながら、少しも気後れした様子を見せない。モニカを見知っているジャンニでさえ、これほどまでに敵意をむき出しにしたモニカを見たことがなかった。
「連れ去ったなどと人聞きの悪い…。ちゃんと雇用契約を交わし、王都に自ら進んで同行してきたのですよ。あんな田舎暮らしは飽きたと言ってましたしね」
レヴィオが後ろについていた男に合図すると、男は雇用契約書をレヴィオに手渡した。
「この通り、一ヶ月の契約と、その後の契約はまだ決まってませんがね。この状態じゃあ…」
モニカは差し出された契約書を手に取り、内容を確認した。その契約書は正式なもので、ニコロのサインが入っていた。
「夫は王都の魔法騎士団は飯も食わせてくれないケチなところで、以前は雇用切れを理由に死にかけた自分を放置して帰って行ったと言ってました。遠く離れた辺境の地リデトにいればもう関わることもないだろうと安心していたのに…」
周りにいた騎士がざわめきだした。騎士団でそのような待遇を受けるなど聞いたことがない。誰もが憧れる騎士団に関わりたくないと思う人がいようとは。
「どんな脅しを使って連れ出したかは知りませんが、今の夫の状態から一目瞭然。食事もろくに与えることなくこき使う、夫の言っていたことは本当だったのですね」
「本当なのか?」
近くにいた医官も驚きを見せていた。魔法騎士団には充分な予算があり、食事も体力勝負の仕事に見合うようしっかりと支給されている。さらに数少ない魔法騎士は優遇されこそすれ、食事を与えないなどと言うことは通常あり得ない。
医官の疑問に、レヴィオと共に部屋に来た部下の男がしぶしぶ答えた。
「こいつは満腹になると手を抜くんで、戦いの前はちょっと食事を抜くようにはしました」
「ちょっとでここまでやつれると?」
モニカは自分より頭二つは大きな男を見上げ、ひるむことなく睨みつけた。
「こいつは飯で釣らないと魔法を出さないんだよ。食事を抜いた途端、ポンポン魔法を出して、あっという間に敵をなぎ倒した。隊長の言ってた通りだった。あんな力があるのに出し惜しみするような奴、食事を抜かれたって当然だ。こっちは命懸けで戦ってるってのに」
舌打ちしながら忌々し気に話す男。モニカはその男の魔力の気配でわかった。一月前にリデトに来ていた魔法騎士団の隊員の一人だ。
モニカは静かに問いかけた。
「あなたは戦いに出た時、一日何度攻撃をしかけるの?」
「はぁ? 俺が何だって…」
「私は、あなたがリデトで放った魔法を見ていました。あなたは雨の魔法使い。あなたは一日にたった一度魔法を放っただけで、あとはずっと後方にいましたよね。その程度で命がけ?」
ぐっと口をつぐんだ雨の魔法使いダニロから、隣にいるレヴィオに視線を動かした。
「ポンポン魔法を繰り出した? 夫にはそう何度も魔法を発動できるほどの力はありません。どうやって引き出したのでしょう。一日何度の攻撃を命じました? 何日間絶食を? 飲まず食わずでどれほど働かせればこうなると?」
周りにいる他部署の騎士たちもレヴィオの答えに耳をそばだてている。仮雇いの傭兵ごときのためにこんな大騒ぎを起こしたモニカを腹立たしく思い、レヴィオはモニカを睨み返し、低い声で唸るように答えた
「…軍事事項だ。そんなことを平民のあなたに答える義務はない」
「絶食が軍事事項? 笑わせないで。夫がどういう状況で働かされていたかを聞いているの。むやみに力を引き出し、ただやみくもに攻撃させただけ? …あなたの隊長としての素質を疑うわ」
「なにっ?」
「魔法は人それぞれ特性が大きく異なるもの。個人の持つ魔法の特性、一日に発動できる魔法の数、枯渇させないための魔力の限界値、そうしたことを把握し、より有効に攻撃を組み立てるのは魔法騎士団の基本でしょう? 常に最大限の力で戦わせていれば、魔力が枯渇し、命にかかわる。そんなことも考慮せず、ただ魔法を打てと指示を出す程度の者が隊長職を務めていると?」
レヴィオはモニカの問いに口を閉ざした。
モニカの言う通り、戦場では部隊の構成員の魔法の特性や限界を考えたうえで、効率的に攻撃を仕掛けられるよう組み立てるのが基本だ。
レヴィオが受け持つ隊の正騎士は貴族出身の者が多く、気に入らないことがあればすぐにクレームが来て、下手をすれば自分の首が飛ぶ。かといってやりたいことだけをさせていては隊は成り立たない。
足りない力を補うために臨時に傭兵を雇うのはどこの隊でもやっていることだ。一時雇いの者はほとんどが平民。充分な金は与えており、少しきつく言えば文句も言わない。だからこそ雇っている間は最大限の力を使わせる。多少の脅しや罰則も、力を惜しみなく出させるための手段だ。レヴィオにとって、傭兵は初めから消耗品に過ぎなかった。
「私にも聞かせてもらいたいな」
レヴィオの背後から声をかけたのは、魔法騎士団長アロルドだった。
「今回の辺境領への出兵、続く南部の討伐に、おまえの部隊は大いに貢献してくれた。その陰でこうして死にかけている者がいる。戦での負傷は避けられないものだ。…だが、この者は『病』ではなく、食事を抜かれていたのか」
アロルドは横たわるニコロに目を向け、そのやつれた姿に思わず顔をしかめた。報告されていた「病人」とはあまりに違いすぎた。
「今回の両遠征での魔法の指示を報告書にまとめ、日報も提出しろ。その男に提供していた食事の回数についても併せて報告するように」
「…はっ」
レヴィオは小さく一礼し、そのままうつむいていた。
いつもなら傭兵がいなくなろうと誰も気にかけないものだが、よりによって団長の耳に届くとは。各部隊のことは隊長に任せ口出しをしない、やりやすい上司だと思っていたが、なぜ急に関わって来たのか。レヴィオはタイミングの悪さを腹立たしく思いながらも、自分が不利な状況に置かれているのは間違いなかった。今回のこの件は見ようによっては隊でのいじめと受け取られかねない。魔法を引き出すためと言ったところで、傭兵を使い捨てる前提がなければ、やりすぎなのは明白だ。どう転んでも隊長としての管理能力を問われるだろう。
アロルドはモニカに目を向けた。モニカは目を逸らすことなく真っ直ぐアロルドを見ていた。それは団長の指示に安心したのではなく、アロルドを信用できるか見極めているかのようだった。
「奥方には、調査結果を後ほどまとめて報告しよう。今しばらく猶予をもらいたい」
「わかりました。併せて、この雇用契約の解約もご検討ください」
モニカは静かに答え、膝を折って礼をした。
集まった野次馬にも、魔法騎士団長を前にしても少しもひるまず、おびえることもない。ずいぶん肝が据わった女だとアロルドは思った。
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