にゃいんよ永遠に

 翌日。

 俺は、三毛の様子を見に再び実家に向かった。


 母親が言うには、朝は自分で歩いてトイレに行くなど、比較的元気だったのだという。


 だが、俺が向かった昼にはもう、三毛はただ死体の様に転がって、ぜひぜひと息を荒げているだけだった。


 昨日の時点で、俺の頭には安楽死と、天寿の全うがぐるぐると回っていた。

 母親もそうだったらしく、獣医にそう頼んだらしい。

 だが結局断られ、自宅で看取ってあげてほしいと言われたそうだ。


 今日の時点では、自分の手で楽にしてやろうと思ったほどだった。

 だが、どうやって三毛を楽に逝かせてやれるかを考えても、あまりいい方法が思い付かなかった。


「ぜひー、ぜひー」


「うわぁああああ」


 掠れた呼吸を繰り返す三毛、凄まじい声で鳴いた。

 先日の脳梗塞によって、神経系が麻痺し、内臓が壊死しているのだろうか。

 三毛の周りからは、いわゆる死臭。腐敗した様な臭いがした。


 黒が死んだ時もそうだった、この臭いがした。さぞ苦しいのだろう。


「ううぅわああああ」


「どうした、三毛」


 直後、三毛が小便を漏らした。

 成猫になってからは手を煩わせたことはほとんどない猫だっただけに、恐らくプライドに障ったのだろう。

 俺は何でもないように、速やかに三毛が漏らした小便をふき取り、股間辺りを濡れティッシュで拭った。


 それから俺は努めて冷静に、瀕死の三毛に水を飲ませ、身体に付いた吐瀉物や涎をふき取った。


 動物病院 安楽死

 ペット 安楽死


 俺はそんなことばかりGoogleで検索しては、三毛の様子を見に行った。

 動物病院の午後営業の時間まで、それを繰り返した。何かしようとしていたが、何も手に付かなかった。


 検索して、直感的に安楽死をさせてくれそうな病院を見つけ、電話を掛けた。


「すみません、猫が脳梗塞で」


「死にかかっています、呼吸困難で苦しそうで」


「飼い主として考えたんですが、このまま苦しませるだけだったら……」


 自分の意志に反して、言葉が詰まった。

 代わりに涙が零れ落ちた。

 俺は何度も、その結論を導き出した筈なのに。


「安楽死を……させて欲しいんです」


「とりあえず、病院に連れてきてください」


「分かりました、失礼します」


 俺は母親と共に三毛を箱に入れて向かった。やけに長く感じた。


 道中、母親は何も言わなかった。

 俺も何も言わなかった。

 ただ、そうする事しか出来なくて、三毛を撫でていた。


 箱に入れて連れて行く途中、三毛は、ぜひー、ぜひーとは言わなくなっていた。

 狭い箱に入れると落ち着くのだろう、と母親は言った。

 俺はどうもそうは思えなかったが、その時はそう思いたかったのだろう。

 てっきりまだ助かるかも、なんて思ったほどだ。


 病院まであと5分ほど、と言ったところで、三毛が茶色い液体を嘔吐した。

 俺はしばらくして、それを血の塊だと思い当たった。


「三毛が吐いた、ティッシュくれ!」


 母親が車に載せているウェットティッシュを寄越す。

 信号待ち、やけに長く感じた。


「三毛!」


「うわああぁぁぁ、ごぼっげぼっ」


 俺は三毛が吐瀉物に塗れて逝くのが我慢ならないと思い、とにかくティッシュで三毛の顔を覆った。

 それから、祈る様な気持ちで車の中で三毛の背中を擦っていた。


 病院までもってくれ。


 安楽死させてもらう為に病院に連れて行く最中だというのに、病院まで生きていて欲しいなんて馬鹿げている。だが、三毛の苦しみ方は尋常ではなかった。


「うわあああああっ……」


 そして三毛が激しく痙攣した。

 それから、俺は次に呼吸が止まっている事を目で確認した。


「息してねえわ」


「死んだかもしれねえ」


「ええ、そんな」


 運転中の母親は生返事だ。


「三毛、三毛」


 俺は馬鹿みたいに呼び掛けていた。三毛が死ぬのは、分かっていた。

 だがあの上品に生きて来た三毛が、こんな風に死んだことを受け入れたくなかったのだ。


*


 結局、三毛は病院に連れて行く途中で死んだ。

 病院で、主に吐瀉物などを綺麗にしてもらい、血の混じった吐瀉物塗れの段ボールを変えて貰った。3850円。母親はその値段が気に入らなかったようだ。

 まあそれもそうだ。


 獣医からは死因の予想を色々と聞かされたが、そんなものは耳に入らなかった。

 血液検査の結果も特に異状はなく、右背中の良性腫瘍以外にこれといって持病は無かった。


 病院から帰って、俺は庭に穴を掘った。

 父親に電話すると、お前の部屋の近くに黒を埋めていると聞いた。

 部屋の角側だと聞いて、そこを避ける様に庭を掘り返した。


 黒と三毛は、まあ、それなりに仲は良かった。隣に葬ってやろうと思ったのだが、これが失敗だった。

 水道管やコンクリートや石を避けている内に、俺は罰当たりな事にやけに大柄な猫の骨を発掘してしまった。


「す、すまん、黒」


「……」


 生前、黒は寛大なボス猫だった、猫生で一度しか俺に怒らなかったほどだ。

 ほぼ野良猫の様な猫だったが、そこらの野良猫が喧嘩していると割って入って止めていたのが印象に残っている。他の猫に怒っているのも、あまり見たことがない。


 雨の日に溝を歩いて泥まみれで帰った黒を風呂に入れた時、俺をざっくりとやったのは不可抗力として。


 俺は誤って掘り返してしまった黒を葬り、黒の墓を整備した。


 黒は、俺が自衛隊に勤務している時に死んだ。

 死に目には会えなかった。墓はてっきり、白の隣だと思っていた。


 考えた末、黒の墓の真向かいに三毛を葬る事にした。


 俺はひたすらにスコップ、日本語で言うと鋤簾で穴を掘った。

 蚊に刺されながら、ひたすら土を掘り返した。

 脳梗塞、恐らくは内臓の壊死、そして呼吸困難に苦しみ、血の混じった胃液を吐いて死んだ三毛の苦しみに比べれば、屁でもないだろう。


 ただし、病院で買った棺ごと埋めるのは止めにした。


 棺の中に空間があると、庭から腐敗臭がしそうだったからだ。

 腐敗臭がするのは構わない、よしんば近所迷惑だったとしても。

 ただ、つい一昨日まで元気に走り回っていた三毛が腐敗した臭いを嗅ぎたくなかったのだ。


 土に埋めてしまえば、地中で死体は分解される。

 俺も、俺の葬り方に拘らない。

 ただ一つだけ思う、俺も死ねば、先に逝った猫達に会えるだろうか。

 

 俺はもう動かなくなった三毛を撫でて、最後の別れを告げた。

 苦しんで死んだ三毛だが、毛並みは生前と何一つ変わらない艶やかで絹の様な手触りだった。


 抱き上げた三毛の死体は、病院で、薬品か何かで固められていたのか標本の様になっていた。知っていれば、こんな事をしてもらう必要はなかったのに。


 思えば、にゃいんにゃいんと鳴きわめくのは構ってほしいのではなく、体調不良を訴えていたのではないか。

 内臓疾患や血圧に異状があったのではないか。

 ただ後悔ばかりが募った。


 俺は、1mほど堀った穴の底に三毛を置いて、土を掛けた。

 ただ悲しかった。だが、何も感じないように心を凍て付かせるのは得意だった。


 三毛の墓は、庭に転がっていた形のいい石を洗って墓石にし、庭石で円を作った。

 うちで死んだ猫の墓は代々、こうだ。ペットの葬り方は諸説あるだろうが、うちではコストを掛けない方針で一致している。代わりに、餌や飼育環境へそれなりに投資されている。


 白を葬った時は、俺はまだガキだったから悲しみながら穴を掘る事しか出来なかった。

 親父が黒を葬った時は、俺はそこには居なかった。

 今の俺はせめて忘れないように、それなりにちゃんと墓を作ってやろうと思っただけだ。


 俺は、俺が思っている程器用でも利口でもない。

 ただ、学ぼうと思っていなければ失敗した経験から学ぶことさえできやしないのだ。


 三毛の墓には、花を植えた。

 花はナデシコ。白と赤だ。

 黒と白の墓も、そうしようと思った。


*


「にゃいんって知ってるかな?」


 俺はいつもの調子で、そう言った。

 先程、自分の手で三毛を埋葬したばかりだ。


「もう居ないよ」


 弟が、静かにそう言った。


「にゃいんって知ってるかな?」


「……にゃいんは何処かな?」


「もう居ないでしょ」


 母親が静かにそう言った。

 三毛が死んで泣くのが嫌だったので、俺は笑おうとした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

にゃいんって知ってるかな? うゆちゃん @uyuchan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ