第10話 眩しい背中

 昇太の時間が一瞬止まった。


 直前まで静とエッチしていたのだ。


 互いの肌と肌をべったりと触れ合わせ、混じり合った汗を塗りつけ、擦り込み合うような濃厚なエッチだ。


 汗だけじゃない。


 上から下から、文字通りの体液交換ゴム有だよを行った。


 そもそも静は言っていたじゃないか。


 私という概念を昇太君の相棒に宿らせなきゃ! と。


 そりゃ、昇太の身体から静の匂いがするのも当然である。


 昇太は気づいていなかったが、部活の助っ人帰りのアゲハなんか問題にならないくらい、彼の身体からは静とエッチしたとしか思えないエッロエロな匂いがしていた。


 今更気付いても後の祭りだが。


「………………してないよ」


 ともかく昇太は誤魔化した。


 その顔は哀れな程に引き攣り、涙に濡れた瞳はアゲハの追及を恐れるようにして斜め下に逃げ出した。


 そんな昇太をアゲハは疑わし気なジト目で見つめる。


「本当に?」

「………………ほ……んとだけど……」


 ゆっくりと、心臓にナイフを捩じり込むような一言。


 昇太は蚊の鳴くような声で答えた。


 アゲハは見え見えの嘘にムッとするように頬を膨らませた。


 そして昇太の小さな頭を両手で押さえつけ、無理やり正面を向かせる。


「あーしの目を見て、もう一度答えて」


 一オクターブ下がった声でアゲハが尋ねる。


 先程までのニコニコ顔はどこへやら。


 冷酷な尋問官めいた表情が昇太を見つめた。


 昇太の顔が熱くなった。


 パニックで頭に血が上り、血の気の引いた手足が冷たく痺れる。


 恐怖で膝が震え、眩暈で頭がくらくらした。


 先程まであれ程猛っていた相棒はしゅんとして垂れ下がり、今にもおしっこをチビりそうだ。


 実際、昇太の涙腺は失禁したようにじわじわと涙を漏らしている。


 この反応が無言の自白になっている事は昇太も分かっていた。


 これ以上無駄な抵抗をしてもアゲハの心証を損ね、事態を悪化させるだけである。


 それでも昇太は本当の事を言えなかった。


 言えば自分だけでなく、静までもが窮地に立たされる。


 お互いに自業自得とは言え、一応エッチをした仲である。


 それに、歪んではいるが、アゲハに対する静の想いは全く理解出来ないわけでもない。


 だからなんとか誤魔化したい。


 それが無理なら、せめて静の被害を抑えたい。


 そう思っても、上手い言い訳なんか一つも思いつかなかったが。


「………………う、うぅ、ほ、本当です……」


 昇太に出来る事は、泣きながら見え見えの嘘を貫く事だけだ。


 残念ながら、アゲハに泣き落としは通じなかった。


 冷めた目で昇太を見つめたまま、右手でギュッと恐怖に縮こまったタマタマを鷲掴みにする。


「ほ、ん、と、う、に?」

「嘘ですごめんなさい僕はアゲハさんに内緒で静さんとエッチしましたぁ!?」


 昇太はゲロった。


 だって金玉を握られているのだ。


 なんなら掌でタマをコリっとされている。


 静には悪いが、背に玉は代えられない。


「昇太君の反応でバレバレだったけど。てか、なんで隠すわけ?」

「それは……その……」


 この期に及んで昇太は悪足掻きした。


 一応、昇太は静に脅されてエッチをしている。


 そういう意味では、昇太は被害者である。


 だが、仕方なくだったかと言えばそんな事はない。


 昇太だって静とのエッチはめちゃくちゃ楽しんでいた。


 それなのにここで静に責任を押し付けて被害者ぶるのは卑怯な気がする。


 大体、隣では静が全部聞いているのだ。


 そんな状況で静を売ったら後が怖い。


「なに? この期に及んでまだ誤魔化すわけ?」

「ひぎぃ!? ご、ごめんなさい! 全部僕が悪いんです!?」


 タマタマの擦れ合う鈍い痛みに悲鳴を上げる。


 それでも昇太は静を庇った。


 まぁ、あと何回かコリコリされたら吐いてしまうだろうが。


「誰が悪いとかじゃなくて。あーしはなんで隠してるのかって聞いてんだけど」


 アゲハは溜息と共に昇太のタマタマを解放した。


「はぁ。もういいよ。昇太君が教えてくれないなら静に聞くし」


 コンコンと、アゲハが隣の壁をノックする。


「静。いるんでしょ」

「い、いないよ!? いるわけないでしょ!?」

「それ、めっちゃいる反応だから。てか、入った時からなんか変だと思ってたし。このトイレ、めっちゃエロい匂いしてるもん。それで故障中の貼り紙とか怪しすぎでしょ。このトイレ、出来たばっかりなんだよ」


 淡々と言うと、アゲハは隣の個室に向かった。


 慌てて昇太は後を追う。


「あ、怪しくないよ!? 本当に故障してるんだ! その、ぼ、僕のウンチが大きすぎて詰まっちゃって!? エッチな匂いはアレだよ!? 我慢できなくてさっきまで一人でチンチンシュッシュしてたの!?」


 アゲハを引き留めようとしてくびれた腰を掴む。


「じゃあなんで昇太君から静の匂いがするわけ」


 振り向きもせず、ずるずると昇太を引きずりながらアゲハが言う。


「そ、それは……その……」


 昇太は必死に考えた。


 その間に、アゲハはドンドンと隣の個室をノックする。


「静。いるんでしょ。隠れてないで出て来なよ」


 返事はないが、昇太には中で震える静の姿が容易に想像出来た。


 それでふと思いつく。


「静さんの体操服を着てオカズにしてたんだよ! ね? これなら僕から静さんの匂いがしてもおかしくないでしょ!?」

「じゃあその体操服はどこにあんの」


 白け切った顔のアゲハが振り返る。


「えーと………………トイレに流しちゃった、とか……」

「あーね」


 欠片も信じていない顔で呟くと。


「昇太君がそう言うんならそれでもいいけど。静はそれでいいわけ?」


 故障中の貼り紙に向かって冷たく尋ねる。


 最後通牒。


 そう表すしかない声音である。


 張り詰めた静寂の中で、昇太は静の声なき悲鳴を聞いた気がした。


 それを打ち消すように、必死に言う。


「だからいないってば!? ここにいるのは僕とアゲハさんだけ! 罰なら僕が受けるから! と、取り合えず一回出よう? ね! ね!?」

「……もういいのよ」


 静が言った。


 死刑が確定した罪人のような声だった。


 カチリと鍵が開き、ゆっくりと扉が開く。


「……ごめんなさいアゲハちゃん。全部私が悪いの……」


 見えたのは綺麗な旋毛と眩しい程に白い背中だ。


「……私が昇太君を脅して、無理やりセックスさせたの」


 静はカエルみたいに男子トイレの床に這いつくばっていた。


 土下座である。

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