　さて、話は遡（さかのぼ）ること一週間前。

「ようやく領地改革計画書が形になったっていうのに、このタイミングでお亡（な）くなりになるなんて……うう、お父様、酷（ひど）いです……」

　この恨（うら）み言を口にするのはこれで五回目ぐらいだ。どうしても、たまに口から出てしまう。父親である故（こ）レーグラッド男爵だって死にたくて死んだわけではないのだから、言っても仕方がない恨み言は五回までにしようとフィーナは思う。多分、これで五回目。いや、四回目ということにすれば、次に口にした時に許される。うん、四回目だ。次回の自分は自分を許してあげてくれ……そんなろくでもないことを思いながら執（しつ）務（む）机に突（つ）っ伏（ぷ）す。

　彼女の父レーグラッド男爵が事故で亡くなったのは、ひと月前のことだった。馬車の車輪の老（ろう）朽（きゆう）化（か）か、山道で運悪く車輪が破損したのがきっかけになり、馬もろとも崖（がけ）から落ちた。岩にぶつかった衝（しよう）撃（げき）と破損でボックスの扉が開き、フィーナの横に座っていた弟ヘンリーが投げ出され、それを助けようとしたレーグラッド男爵も後を追うように転落した。

　馬に乗った護衛騎（き）士（し）が二人付き添（そ）っていたが、一人は馬車の落下に巻き込まれて死亡。なんとか無傷だったもう一人のおかげで、フィーナとヘンリーは救助されたのだ。

　ヘンリーは一命をとりとめたが、悲しいことにレーグラッド男（だん）爵（しやく）は助からなかった。馬車の手入れをしていた者が御（ぎよ）者（しや）を務めており、彼もまた帰らぬ人となったので、事故の原因は最（も）早（はや）誰（だれ）にもわからない。

　男爵夫人であるアデレードは夫を亡くしたことをなかなか受け入れられず、葬（そう）式（しき）に参列すら出来なかった。そして、今は重傷で動けないヘンリーの傍（そば）から離（はな）れない。要するに心の病に冒（おか）されて、彼女も今は休んでいる状態だ。

　そのせいで、フィーナは

「それどころじゃないのよ……泣いて暮らしていられるほど、うちの領地は裕（ゆう）福（ふく）じゃないんだから！」

　と二人をそっとしておいて、自分は父親が使っていた執務室で、今日も頭を抱（かか）えているというわけだ。

　戦争で敗北をしたシャーロ王国。あちこちの領地は財政難で破綻寸前に追い込まれ、貴族たちですらひいひい声をあげている。レーグラッド男爵領は王城から遠いが、戦時中に王城から不当な要求をいくつか受けて──それについてはのちに語るが──領地運営が傾（かたむ）きに傾いていた。

　フィーナがどこかに嫁（とつ）いで、嫁ぎ先から資金援助を受けることが近道なのだが、現在国内でそれほどの余力がある貴族は少ない。結果、彼女は行き遅（おく）れ状態でここにいるのだが、それが功を奏したようなものだ。

「でも……いくら、わたしが立て直し公の立て直した領地を見て来たと言っても……」

　過去、彼女は「お父様お一人では大変過ぎます！　わたしが立て直し公の立て直した領地を見て、勉強して来ます！」と言ってレーグラッド男爵領を出た。

　だが、シャーロ王国は、貴族の女性が領地経営に口を挟（はさ）むことが許されない。いや、出来ないように、そういった教育は男性だけのものとなっている。フィーナは訳があっていくらか男性と同じ教育を受けていたが、それを好ましく思う貴族はほぼいない。訪問をしようと、領主である貴族に手紙を書いて出しても最初は返事が戻（もど）って来なかった。「貴族令（れい）嬢（じよう）が領地経営なんて……見なかったことにしよう」という配（はい）慮（りよ）なのか何なのか。そこで彼女は従兄（いとこ）のラウルに頭を下げて、彼の書記として「立て直し公が立て直した」領地を共に訪問した。そして、訪問先であれこれを学び、レーグラッド男爵領に戻っては生かせることを父と話し合い、それから再度立て直しを行った領地に行き……と、繰り返した二年間。それを終わらせたのが、レーグラッド男爵の死になるとは、誰も思っていなかっただろう。

「うう……ここから先のことを考えると頭が……あら？」

　あわただしい足音が聞こえる。それから、聞き慣れたノックの音。「はぁい」と返せば、滅（めつ）多（た）にない剣（けん）幕（まく）でドアがバン、と開いた。

「お嬢様！　失礼いたします！」

　ドアを開け放したまま飛び込んで来る執事カークは齢（よわい）五十を超（こ）え、執事歴二十六年の猛（も）者（さ）だ。そんな彼がこのように慌（あわ）てることはあまりにも珍（めずら）しい。何が起きたのかとフィーナは立ち上がる。

「どうしたの」

「王城からの手紙でございます……！」

「は？」

　こんな田舎（いなか）に、王城から。過去に王城からやってきた知らせはすべてよろしくないものばかりだった。フィーナは眉（み）間（けん）に皺（しわ）を寄せながら手紙を受け取る。

（確かに封（ふう）蝋（ろう）は王城のものだわ。戦争が終わって二年半。その間、王城からは新国王陛下ご即（そく）位（い）の事後報告、それぞれの領地でどうにかしろ声明、公共事業への図（ずう）々（ずう）しい招（しよう）集（しゆう）打（だ）診（しん）など、ひどい知らせしか来ていないのに……）

　今度は一体なんだ、とフィーナは封を切った。下がるように言われていないカークもまた、手紙の中身が気になるようで彼女の様子を窺（うかが）っている。レーグラッド家は使用人も家族の一員のように近しいため、それを咎（とが）めるフィーナではない。

「……つ……」

「つ？」

「ついに……！　ついに、夢にまで見た知らせが来たわ！　っていうか、これ夢じゃないわよね!?」

　手紙から顔をあげたフィーナは頬（ほお）を紅潮させて叫（さけ）ぶ。彼女の飛びあがりそうな勢いに、カークはぎょっとした。

「カーク！　ついに！　ついにその時が来たのよ！」

「一体……？」

「ついに、このレーグラッド領の立て直しのために『立て直し公』が派（は）遣（けん）されることが決まったんですって！　やったわ！　この領地再建に力を貸して下さるんですって！」

　フィーナの宣言に目を見開くカーク。

「そ、それは本当ですか……あの、ひとつの領地につき、たった三ヶ月程度滞（たい）在（ざい）すれば、領地再建の目（め）途（ど）をつけてしまうという、あの……」

「そうよ！　ついに助けに来て下さるんだわ……！　ああ、良かった……ここまで耐（た）えて来た甲（か）斐（い）があったというものだわ……」

　そう言いながら、フィーナの両目からはぼろりと涙（なみだ）が零（こぼ）れた。父を失った後も、一人で日々気（き）丈（じよう）に振（ふ）る舞（ま）って来たのだ。今日ぐらいは許されたい。彼女が生まれた頃（ころ）から見守って来たカークもまた、その様子にほろりと来たのか目の端（はし）に涙を浮（う）かべる。

「よかったです……これで、お嬢（じよう）様（さま）が行き遅れてでもこのレーグラッド領のために力を尽（つ）くしてくださったことが無（む）駄（だ）にならず……」

「ちょっと！　行き遅れの話は余計よ！」

　などと言いつつ、なんだかよくわからないが二人は抱（だ）き合って泣き出した。緊（きん）張（ちよう）の糸が切れたようなものらしい。

　不運にもそこを一人の侍（じ）女（じよ）が通りかかり「ドア開けっ放しなのに、突（とつ）然（ぜん）年の差ロマンスが生まれたのかと……」と言われることになるのだが、それはのちの余談だ。

　そんなわけで、フィーナは興奮冷めやらぬまますっかり「立て直し公にお熱」状態で夜を過ごしていた。

「ああ……こうやって改めて見直すと、本当にすごいわ。一体こういうことは、どういう学びによって身につくものなのかしら。わたしももっと早いうちに教育というものを受けられればよかったのだけど……そうすれば、もう少し立て直し公、あっ、駄（だ）目（め）駄目。癖（くせ）になっちゃうから……えっと、ハルミット公（こう）爵（しやく）様がなさったことをもう少しは理解出来るように……うう、ご本人を前に『立て直し公』って言っちゃいそう……」

　フィーナはいつもは執務机に保管している数冊のノートを寝（しん）室（しつ）に持ち込み、眠（ねむ）る前にぺらぺらとめくっている。

「これは、サンイーツ子（し）爵（しやく）領の立て直しについて。これは、コルト伯（はく）爵（しやく）領の立て直しについて。本当は公爵様がいらしたら、たくさん質問したいことがあるけれど……女の身で口を出すことはよく思われないだろうし……でも、どの領地の立て直しも最初は視察からだから、せめてそれはご一（いつ）緒（しよ）したい……」

　そのノートは、ここ二年ほどの彼女の宝物、かつ、彼女の努力の証（あかし）だ。

　フィーナの耳に立て直し公の噂（うわさ）が届いたのは、彼女が「このままお父様一人に任せておくわけにはいかない」と意を決した頃だった。立て直し公の偉（い）業（ぎよう）からヒントを得られるかもしれない、と調べようとした。しかし、そういった資料は領地の外では王城にしか残されないものだ。

　よって、フィーナは従兄ラウルと共に視察に赴（おもむ）き、開示できる範（はん）囲（い）でサンイーツ子爵から情報を提供してもらった。勿（もち）論（ろん）、ラウルが聞いている体（てい）にして、あくまでもフィーナは「ラウルの書記」という扱（あつか）いで。おかげで、思うことがあっても質問出来ず、気になったままの事（こと）柄（がら）は今でもメモで残されている。

　その後も、立て直し公の軌（き）跡（せき）をラウルと共に追い、領地に戻るたびレーグラッド領に対して何か応用が出来ないか父親と話し合い、手（て）探（さぐ）りで彼らはこの二年領地運営をしてきたのだ。

「せめて、ラウル従兄（にい）様がまだいてくれたら……これとこれを公爵様にお聞きして、って言えたのに……」

　婿（むこ）入（い）りを引き延ばしていたラウルだったが、これ以上はさすがに無理だと数ヶ月前に結（けつ）婚（こん）をしてレーグラッド領から離（はな）れた。おかげで一時的に金銭援（えん）助（じよ）をしてもらえることになったので、それまで保留にしていた「調査に金がかかる」だろう場所を視察しようとフィーナたちは動き出した。そして、その視察帰りに例の事故が起きたというわけだ。