行き遅れ令嬢が領地経営に奔走していたら立て直し公に愛されました／

プロローグ

「もう一度みんなに改めて申し上げますね」

　レーグラッド男（だん）爵（しやく）邸（てい）で、長女のフィーナは数少ない使用人を屋（や）敷（しき）のエントランスに集めた。フィーナは胸（むな）元（もと）まで流れる豊かな金（きん）髪（ぱつ）に美しい碧（へき）眼（がん）を持つ、なかなか整った顔立ちの二十歳の令（れい）嬢（じよう）だ。しかし、彼女は残念なことに、未（いま）だに婚（こん）約（やく）者候補すらみつからない身の上だ。

　そんな彼女が当主代理人であるレーグラッド男爵邸に、もうすぐ「立て直し公」がやって来る。彼女は使用人たちに「立て直し公に何かを聞かれたら」と考えて、念には念を入れようとしているところだった。

（この国では、女性が領地経営に携（たずさ）わることはあり得ないんですもの……）

　こほん、と小さくわざとらしく咳（せき）払（ばら）いをするのは、自分でもこれから言う口上が「ちょっとなぁ～」と思う内容だからだ。

「わたしは領民の生活に興味があったので、立て直しのために奔（ほん）走（そう）していたお父様に付いて回っていた、好（こう）奇（き）心（しん）旺（おう）盛（せい）なだけの令嬢です！」

　そうフィーナが言えば、使用人たちは、

「はい！　お嬢（じよう）様（さま）は領民の生活に興味をお持ちで、亡（な）きご主人様と領地をご一（いつ）緒（しよ）に回っていらした、好奇心旺盛な方です！」

　と、教え込まれた文言を復唱する。チームワークは良いが、みな苦々しい表情だ。いや、みなそろって苦々しい表情なら、チームワーク「が」良いので、と言うべきか。

「はい。もうひとつ。わたしが『立て直し公』が立て直した領地を訪問していたとバレたら、それは、領地の惨（さん）状（じよう）に心を患（わずら）ったわたしの治（ち）療（りよう）のために旅行を勧（すす）められていたからです！」

「はい！　領地の惨状にお心を痛めたお嬢様のため、従兄（いとこ）のラウル様が旅行に連れ出してくださったからです！」

　若（じやつ）干（かん）、使用人たちの表情が芳（かんば）しくない。だが、フィーナは見ない振（ふ）りをした。

「はい。最後。お父様がお亡くなりになって一ヶ月、ここまで領地運営がなんとかなったのは、お父様が前もって数ヶ月先までの領地改革計画書を作ってくださったからです！」

「はい！　ご主人様がお亡くなりになってから『領地運営を知らぬお嬢様が代理人』でもなんとかなっていたのは、ご主人様が領地改革計画書をご用意なさっていたからです！」

「完（かん）璧（ぺき）よ、みんな！」

　大（おお）仰（ぎよう）にパンパンと手を叩（たた）くフィーナ。叩きながらも「こんな設定でどうにかなるのかしら……」と思うが、復唱していた使用人たちも、もれなく全員「こんな設定でどうにかなるのかな……」と思っている。

「お嬢様、失礼ながら発言の許可をいただきましても」

「はい、カーク」

「正直にバラしてもいいんじゃないでしょうか。もともと領地運営にお嬢様がだいぶ関（かん）与（よ）なさっていたことを……」

「駄（だ）目（め）よ……ハルミット家は王城近くの名門で、公（こう）爵（しやく）様のお父上は長年この国の重（じゆう）鎮（ちん）として扱（あつか）われ、かつ、先の戦争をずっと止（や）めるように進言なさっていたような方。きっと、この国の伝統やら何やらを重んじていると思うの」

　彼女が言いたいその「何やら」は、貴族女性に求めるものについてのことだ。そんなもの、くそくらえだけど。とフィーナは心の中で呟（つぶや）く。

「だから、わたしが領地運営に首を突（つ）っ込んでいたとバレたら、まず、娘（むすめ）にどういう教育をしていたんだ、って亡きお父様の名（めい）誉（よ）に傷がつくわ。それに、何よりわたしの嫁ぎ先がなくなってしまうのよ……今だってないのに！」

　今だってないのに。言って自分も傷つく言葉だが、使用人もみな「うう」と悲しげだ。彼女はいよいよ相手探しが難しい年（とし）頃（ごろ）になってしまった。そこに、領地運営に口出しをするような令嬢だと噂（うわさ）になれば更（さら）に敬遠されるのはみなもわかっている。彼女が言うように、この国はそういう国だから仕方がない。

「お嬢様」

「はい、ローラ」

「お嬢様が心を患っていらした設定は、なかなか無理があるように思われますが……」

「そこはわたしが善処します。今日からわたしは繊（せん）細（さい）な令嬢ということで……ええ……」

　言っていて恥（は）ずかしいのか、フィーナは最後に口ごもる。が、使用人たちからブーイングが起こった。

「それは無理だと思いますよ」

「人には内面から滲（にじ）み出るものがあるわけでして……」

　矢（や）継（つ）ぎ早のクレームに、フィーナは頭を抱（かか）えながら、

「だって、募（ぼ）集（しゆう）をしてもこれ以上のシナリオを誰（だれ）も考えつかなかったんですもの、文句は受け付けないわ……！」

　と呻（うめ）く。だが、使用人たちは憮（ぶ）然（ぜん）とした表情だ。うまくいけばいいのだが、お嬢様が尻（しつ）尾（ぽ）を出す気がする……そんな心の声が聞こえたが、フィーナは気付かない振りをした。

「とにかく。午後には立て直し公、違（ちが）った、ハルミット公爵様ご一行が到（とう）着（ちやく）予定だし、設定変（へん）更（こう）はもう間に合わないのよ……既（すで）に領地内に入って迎（むか）えの護衛騎（き）士（し）とも合流しているのだもの」

　そう。彼らにはもう時間がなかった。ハルミット公爵ことレオナールがフィーナに関する会話を護衛騎士としていてもおかしくないからだ。

「わたしが領地運営をしていることがバレて、レーグラッド男爵令嬢はとうが立っている上に変わり者だという心無い噂を立てられることは困るわ。多少はお金に余（よ）裕（ゆう）がある嫁（とつ）ぎ先を見つけたいし、レーグラッド男爵家は女性にも男性のような教育を施（ほどこ）すなんて噂が流れたら、弟のヘンリーに嫁いでくれる令嬢も見つからなくなってしまうわ。色々気にしているのよ、一応、これでも！」

　それは心無い噂ではなくただの真実なのだが……と使用人たちは心の中で突っ込む。だが、そこは黙（もく）し、誰も発言権を求めようとはしなかった。この邸宅の使用人はみな優（やさ）しいのだ。

「お嬢様。正門が開きました。ご到着のようですよ」

　ララミーに呼ばれて部屋を出たフィーナは、廊（ろう）下（か）で一度立ち止まって深呼吸をした。ララミーはフィーナを幼少期から見守ってきた年配の侍（じ）女（じよ）頭（がしら）だ。

「ね、お母様が新しく編んで下さったこのレース襟（えり）、本当にこのドレスに合っている？　大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）？」

「ええ、大丈夫ですよ。よくお似合いです」

「昔からの伝統的な形だし、おかしくないわよね」

　おかしいと言われたとしても、もう着（き）替（が）えている時間がない。フィーナがそういう「言ってもどうしようもないこと」を言うのは、緊（きん）張（ちよう）をしている時だとララミーは知っている。

　確かにフィーナのドレスは上質な生（き）地（じ）で縫（ぬ）われてはいるものの、パターンは昔ながらのもので装（そう）飾（しよく）も少ない。最近王城付近で流行（はや）っている柔（やわ）らかい布を幾（いく）重（え）にも重ねたドレスや、レースやリボンをふんだんに縫い付けているものとはまったく違う。今日の装いは、繊細に編まれたレース襟を、ドレスの色と同じ糸で刺（し）繍（しゆう）を施され一見無地に見えるドレスにかけ、その襟の中央にパールのブローチをあしらっただけというもの。

　もとより派手なドレスは得意ではないが、今日の彼女は「令嬢」として彼らに会うのではなく当主代理人として会うのだ。よって、格にあった品さえ保てば華（か）美（び）である必要はない。髪（かみ）を後ろにひっつめるのは少し気負いすぎだと思い、髪の上側だけすくって後ろにふんわりとまとめ、髪（かみ）飾（かざ）りをつける程度に止（とど）めた。

「大丈夫ですよ。お嬢様はご自分が思っていらっしゃるより、ずっとお美しいですから！」

「お見合いじゃないのよ？」

　少しばかり斜（なな）め上のことを言うララミーに苦笑いを見せ、エントランスに向かうフィーナ。

（お見合いの方が緊張しないかもしれないわ）

　高鳴る鼓（こ）動（どう）にどうにかなりそうだ。フィーナは自分に「落ち着け、落ち着け」と言い聞かせる。なぜならば、彼はフィーナにとって憧（あこが）れの人だからだ。

　小国であるシャーロ王国は、どうしようもない戦争を三年続けて国民を疲（ひ）弊（へい）させた挙句敗戦した。しかし、国としては統合されず単に隷（れい）属（ぞく）扱（あつか）いを受けることになり、援（えん）助（じよ）もないまま放置状態。おかげで、あちこちの領地は財政難で破（は）綻（たん）寸前に追い込まれ、貴族たちですらひいひい声をあげている。

　そんな中で「立て直し公」と呼ばれるハルミット公爵は、国王の命により各地に飛び、領地の立て直しを行っては三ヶ月で次の立て直し先へと移動……を二年半繰（く）り返した。そこにフィーナは目をつけたのだ。

　この二年間、彼女はレーグラッド領を立て直すため「立て直し公は何を見てどう判断したのだろう」と彼の思考の轍（わだち）を追おうと、彼が「立て直し」を行った領地に足を運んだ。

　最初は何がなんだかわからないことだらけだった。無（む）謀（ぼう）とも思えたが、ひとつ、二つ、と回数を重ねるうちに、素人（しろうと）ながらにも「どうやら立て直し公は本物らしい」と気付く。もともとそう噂されていることは知っていたし、何より実績がある。だが、数多い彼の業績全てを追った彼女でなければわからない実感がそこにはあった。

　フィーナが視察で見たものは、彼が立て直し以降見ていない「その後」だ。そこには、彼の正しさを立証するものが息づいていると思えた。領地に生きている人々の生活が彼の偉（い）業（ぎよう）を物語るのだと気付いた時、彼女は得も言われぬ感（かん）銘（めい）を受けた。「凄（すご）い。立て直し公が行っていることが、こんなに素（す）晴（ば）らしいことだなんて！」と、興奮しまくった。

（本当は聞きたいことがありすぎて……コルト伯（はく）爵（しやく）領の立て直し時に導入した畑に水を流す設備のことと、新たに植えた作物の選定はわたしが想像した理由で選ばれたものなのかとか……それから……ああ、駄目よ、良くないわ）

　口を開けたらそれらすべてが駄（だ）々（だ）漏（も）れになりそうなのだ。それはよろしくない、とエントランスに辿（たど）り着いたフィーナはもう一度深呼吸をした。

「お嬢（じよう）様（さま）」

　執（しつ）事（じ）カークの呼びかけに頷（うなず）けば、扉（とびら）が開けられる。最初に騎士団長が入ってきた。既にエントランスに人々がいることを想定していた彼は動じることもなく、左右に並ぶ使用人たちの列の先、中心に立っているフィーナに一礼をした。

「申し上げます。ハルミット公爵以下ご同行者二名をお連れいたしました」

「ご苦労様。すぐに入っていただいて」

「はっ」

　騎士団長が合図を送ると、外で待機をしていた護衛騎士の「どうぞ、お入りください」という声が聞こえる。すぐに、美（び）貌（ぼう）の青年が堂々とした様子で入って来る。

「レオナール・ティッセル・ハルミットと以下二名、国王陛下の命により参った」

　その物言いはいくらか雑だ。正式な名乗りであれば、彼の場合は第八代ハルミット公爵、レオナール・ティッセル・ハルミット。これが正しい。が、こちらは男爵、しかも現在は非公認の代理人であるし「それぐらいは当然だ」と特にフィーナは気にしない。

　使用人たちはほんの一（いつ）瞬（しゆん）だけ彼を見て、一（いつ）斉（せい）にさっと顔を伏（ふ）せる。が、みなの心の声は一（いつ）致（ち）していた。

（（（（顔がいい……！））））

　そこには、とんでもなく顔がいい「立て直し公」が立っていた。誰もが口に出さずとも同じことを脳内で思う。が、更（さら）にフィーナは斜め上のことを考えていた。

（なんてこと……あんなにも仕事が出来るのに、その上お顔もいいなんて、天はわたしに一（いち）物（ぶつ）ぐらい与（あた）えてくださってもいいんじゃないかしら!?　一、は贅（ぜい）沢（たく）でもそのうちの半分、いえ、半分の半分ぐらい！）

　心の中で頭を抱えて「神様は不公平だわ」と呪（のろ）うフィーナ。かくして、彼らは出会ったのだ。