朝日の国のスパイ

第1話 休暇のはずが

パンゲア暦3560年 6月

@グラム皇国首都グラムイン


 パンゲアと呼ばれる、この惑星唯一の巨大大陸の西方に位置する大国・グラム皇国。興亡激しい大陸の国々の歴史の中で、200年ほど前に興ったその国は魔導機関技術の発達により、大陸西方で最も勢いがあり、次々と周囲の小国を支配下に納め頭角を現した西方一の大国である。


 そんな皇国の首都であるグラムイン。建物の多くが白輝岩と呼ばれ、日光に反応して白く輝く建材により統一された首都の街並みは、グラム皇国の財力と栄華の象徴として大陸に知れ渡っていた。(白輝岩…頑丈で加工しやすく高層ビルから住宅まで利用可能な建材だが、希少性が高く、とても高価。他国において、首相官邸や王城の一部に利用されることはあるが、都市全体を白輝岩で覆えるほどの財力があるのは西方ではグラム皇国だけである)


 そんな栄光のグラムインと呼ばれる首都中心部に建つビル群の一つ。その上層階に位置するグラム皇国司令部のとある一室に、作戦司令部室長:アドラー・シュタイン中将は居た。


「………はぁ〜。仕事の後のこいつは美味い」


 目を細めて味わうように匂いを確かめる。やがて葉巻を咥えると、窓から眼下に広がる白く輝く首都・栄光のグラムインの街並みを見下ろす。


 髪を両サイドを短く刈り上げ、トップはポマードできっちり横に流した白髪の壮年は、グラム皇国侯爵の爵位を持ち、皇帝からの信任も厚く、軍の要職を預かる切れ者。それが、アドラー・シュタイン侯爵中将であった。


 「おや……。ケルツか。例の報告かね? 」


 皇帝陛下へ司令部室長として戦線の定期連絡という仕事を終えて一息ついていたシュタイン。窓辺で黄昏れ、その背は気怠げな雰囲気を醸し出していたが、背後の執務室のドアが開く音を聴くと、シュタインは目線をチラリとそちらに流し、入って来た銀髪の士官に葉巻を咥えた渋い声でそう問いかけたのだった。


「お寛ぎのところ失礼します、閣下。ご指示にあった例の件ですが…。調べたところ、やはり我が軍の情報が外部に漏れていることが判明しました。南東戦線の補給基地打撃作戦は失敗。"連合"に戦線を押し返されています……」

 「やはりそうか……。どの国かはわからんが、スパイは一体いつから活動していたのだろうな……」


 そう短く答え、何かを思案するように視線をまた窓の外に向けたシュタインに対して、司令部配下の皇国諜報部で佐官を務めるケルツ中佐はシュタインの指示を待つかように、無言でそのまま執務室の入口で不動の姿勢をとる。


 窓を眺めるシュタイン中将が咥えた葉巻の煙を眺めながら待機するケルツは、軍の情報が漏れた原因、直属の上官シュタインが見つけたスパイの痕跡について思案するのだった。


 あれは2週間前、たまたまシュタイン閣下とそのご家族の休暇を、俺とその部下達で護衛している時のことだった……。


 パンゲア暦3560年 5月(2週間前)

@グラム皇国東部


 「……各自持ち場に着いたか? 今日の任務を再確認する。アルファ隊はホテル従業員として閣下のご家族の護衛。ベータ隊はこれから先回りして閣下のご友人が乗車予定の魔導列車に不審点がないか確認。シータ隊は街に散開して遊撃隊として臨機応変に対応しろ。俺は閣下の専属ドライバーとしてホテルからファーイースト駅まで同行する。そこで閣下はご友人と会う予定だ。今回、シュタイン閣下は首都から休暇に来た中層階級の商人に扮して休暇を過ごされている。…ないとは思うが、護衛する我々が諜報部の人間だと一般人や周りに気取られるなよ? 」


 俺がそう指示を出すと、耳のインカムから次々と部下達の失笑が漏れ聞こえて来た。


 「ふふふっ、ケルツ中佐ぁ。我々は、皇国諜報部のエージェントですよ? 北の大国が相手ならまだしも、一般人にバレるようなヘマはしませんよ」


 たしかに、大陸でも屈指の実力である皇国諜報部の奴らに「周りに気取られるな」なんて低レベルな指示は必要ない。彼らは他国への潜入、工作だって平然とこなす皇国のエリートなのだから。


 「もちろん最後の部分は冗談だ。今週の閣下の休暇が終われば、休暇中の諜報部の別班と任務交代でお前達にも休暇が与えられるぞ」


「ひゃほーっ! 俺は南海岸でバケーションだ」

「俺はグラムインでカジノ三昧だぜっ! 」

「私はフィアンセと魔導飛行船旅だわ」


 皇国エリートとはいえ、様々な重圧に耐えなければいけない仕事柄、隊員達に掛かるストレスはとてつもない。たまにはそれを発散させる機会を用意する必要がある。


 「よし。全員、気合いが入ったところで今日もよろしく頼むぞ」

 「「イエス、サー! 」」


 グラム皇国諜報部で実働部隊を率いる俺は、部員の士気を高めつつ、彼らの言動、言葉遣い、呼吸音からそれぞれのモチベーションや組織への忠誠心を確認した。諜報部で隊をまとめる俺は、あらゆる事態に意識を向けなければいけない。…たとえそれが、身内の者達であっても…。


 高級魔導車のドライバー席に座る俺は、部下達のモチベーションが高く、裏切りなどもない事を確認し終えた。そんなタイミングで、ちょうどホテルロビーから閣下が現れたのが、車のミラー越しに確認できた。


 「おはよう御座います、アラスター様」


 俺は後部座席のドアを開けると、首都:グラムインからやって来た中堅商人:アラスターに扮するシュタイン閣下を車にエスコートして迎えた。


 「おはよう、ジョン。駅まで頼むよ」

 「かしこまりました。ご友人は10時頃にファーイースト駅にご到着の予定でございます」

 「わかった。時間には余裕がある。私は新聞を読むから少しゆっくり向かうとしよう」


 ジョンという名前は今回の俺の偽名だ。商人:アラスターの専属ドライバーという事で今回の旅に同行している。


 「そういえば……今日も街は、かね? 」


 車を発進させてしばらく。後部座席で寛ぎながら、手元の新聞を眺めるシュタイン閣下が、俺にそう問いかけた。


 「はい。街の隅々までようです」

 「それは結構。なようだし、ジョンの仕事には大変満足しているよ」

 「……ありがとうございます」


 何気ない主人とドライバーの会話だが、これには裏の意味がある。シュタイン閣下の仰った『街が綺麗』とは、なにか問題が発生していないかという意味だし、俺の答えた『清掃が行き届いている』とは、スパイや不審人物がいないということ。『車の中が綺麗』とは、諜報部に裏切り者がいないという意味の隠語だ。


 「アラスター様…もうすぐ駅に着くところなのですが、どうやら渋滞のようです」


 順調に思えたドライブだったが、あと少しでファーイースト駅というところで魔導車の渋滞にはまってしまった。


 「よし、少し顔を出して前を見てみるか……」

 「危ないですよ! アラスター様」

 「ジョンは心配性だな。国境近くとはいえ、皇国内なら車から顔を出すくらい大丈夫だ。どれどれ……、どうやら前方で事故でもあったようだね」


 護衛対象だというのに後部座席から身を乗り出して前を確認しているシュタイン閣下は、何かを見つけたようだった。


 「あれは……。おい、ケルツ。この街道を逸れて、横の魔導列車の線路沿いを走れるか? 」


 この休暇中はジョンという偽名でしか俺を呼ばないはずのシュタイン閣下が、本名で俺を呼ぶからには何か問題が起きたのだろう……


 「はい、可能ですが。もう休暇護衛任務は良いのですか? 」


 このせっかくの高級車がガタガタになっても構わないなら、オフロードの線路沿いを走る事ぐらいは可能だが……。


 そんな事を考えながら、ドライバー席からは渋滞で連なる前の魔導車のテールランプしか見えない俺は、何が起こっているのかもわからず、閣下にそう問いかけた。


 「どうやらファーイースト駅近くで魔導列車の大規模事故のようだ。地元警察が集まっているのが見えたが、この渋滞から考えると指揮系統がめちゃくちゃで、まともに交通整備もできないようだな」

 「そのようですが……。閣下はこのまま現場に乗り付け、皇国中将として混乱する事故現場の指揮を取られるおつもりでしょうか……」

 「その通りだ。ケルツ中佐、今より儂の護衛任務を解き、列車事故の陣頭指揮の副官に任ずる。同時にベータ、シータ部隊には地元警官に扮して市民の避難誘導を手助けさせよ」


 さすがは皇帝陛下からの信任も厚いシュタイン閣下だ。迷わず自らの大切な休暇と護衛を国民の救護に向けられるとは……。


 いくら指示系統に乱れがあるとしても皇国侯爵の爵位を持つシュタイン閣下に従わない者はいないし、いつもは軍部や憲兵との管轄に五月蝿い地元警察も指示に従うしかあるまい。


 「イエス、サーッ! 」


 さて、この車を貸し出してくれた軍令部には悪いが、オフロードを全開で現場に向かうとしますか。


 俺はインカムで部下に指示を出しつつ、駅まで続く長い渋滞車列を抜けると、荒野オフロードに似つかわしくない高級魔導車で白煙が昇る事故現場へ急行するのだった。


 

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