⑧それからのこと

 2人は暫く静かに泣いて、冷静になるとやっと言葉を話す。


「俺は、みのりに何をした? 酷いことをしたのはわかるのに、何も覚えていないんだ」


 海斗は悲しそうに、悔しそうに歯を噛み締めて、そう聞いた。それに対し、みのりは無言でふるふると首を横に振る。


「知らなくていいの。あの時の海斗は海斗じゃなかったんだもの」

「でも……」

「お願い。聞かないで」


 みのりはそう言うと、泣いた後の、海斗の腫れた顔にそっと触れる。


「私の大好きな海斗が帰ってきてくれて、嬉しい」

「みのり……」


 ふんわりと、心底安心したような、泣きそうな笑みを浮かべてそう言ったみのりの頬に、海斗も優しく触れた。


「俺も……。みのりの元に帰ってこられて良かったと思う。みのりの事が大好きだよ」

「えへへ。うん!」


 また泣きそうに、しかし幸せそうな表情で、2人は笑い合う。


 その時だった。


バンッ


 と大きな音がして、振り返ると教室のドア付近に、息を切らせながらこちらを睨む氷愛の姿があった。


「おいっ! 待てって言ってんだろ!」


 それを追いかけてきた松恵が、氷愛の腕を掴みあげる。


「松恵ちゃん!」


 必死に抵抗する氷愛の手には、紫色の大きな宝石がついたコンパクトが握られていた。


「そうだった。その変な鏡。その中身の変な粉を吹きかけられて、俺は自分の考えてることが霧がかかるみたいに真っ白になって、何もかも分からなくなったんだ」


 それが彼女の施した『おまじない』と言うやつなのだろう。みのりは海斗を庇うように前に出ると、両手を広げて氷愛を睨む。


「もう、海斗をどこにも連れていかせないから!」

「うるさいっ! うるさいっ! なんでこんなブスなのよ! 私の方が可愛いっ! 全部私のモノなの!!」


 必死の形相で叫ぶ彼女は、お世辞にも可愛いとは思えなかった。


 みのりに庇われていた海斗が、氷愛の前に一歩近づく。


「か、海斗……?」

「前にも断ったけど、俺はみのりの事が好きだから。白石さんと付き合う気は無いよ」

「なんでよっ!」

「それに、白石さんの醜い嫉妬や偽物の愛より、みのりの俺を想ってくれた気持ちの方が強かった。それのおまじないが切れたってことは、そういう事だろ?」


 海斗はそう言うと、見せつけるかの如くみのりを強く抱き締めた。


「俺だってもう、みのりへの気持ちでお前のおまじないになんか負けたりしない!」

「そうさ。みのりの真っ直ぐな気持ちは誰にも負けない! 騎本に何回酷いことをされても、諦めない根性も、勇気もある奴なんだよ! まじないなんかに頼るお前が勝てるわけないだろ。ばーか!」


 松恵もそう言って、ついには氷愛の手からコンパクトを奪った。氷愛はその場で泣き崩れる。


。。。


 あの後、氷愛の泣き喚く声を聞いて先生達が集まり、氷愛と松恵を連れていった。


 みのりと海斗は、松恵の説明により氷愛とは離され、別の教室で簡単な説明だけをする。


 みのりと海斗も泣いた後で、かなり顔がボロボロの状態だったためか、「詳しい話は後日聞く」と言われて、今日は解放されたのだ。


 帰り道、ほとんど無言で手を繋ぎながら、2人はゆっくりと歩いていた。


「ねえ、公園に寄り道しない?」


 みのりがそう言った。海斗も、今日はもう少しみのりのそばにいたい気分だったので、即了承する。


 公園のベンチに2人並んで座ると、海斗がポツリと独り言のように呟いた。


「俺、みのりにたくさん酷いことをしたんだよな」

「もう。知らなくていいって言ったでしょ? あれは海斗じゃなくて、白石さんの悪意だったんだよ」

「でも、ごめんな。俺、今後はずっとみのりを大事にするから」


 今までも充分優しかった。みのりはそう思ったが、真剣な海斗を見ていたら、何も言えなくなってしまった。


「みのり。さっきも言ったけど、俺はみのりの事が好きだから……俺と結婚して欲しい!」

「うん………………え? ええっ!?」


 てっきり、「付き合って」と言われると思っていたみのりは、驚いて仰け反る。危うくベンチから落っこちてしまうところだった。


「付き合う…じゃなくて?」

「うん。結婚。本当は、18歳になったら言うつもりだったんだけど……。今回のこともあったし、もう我慢できない」

「だ、だって。私達、付き合ってた期間もないのに? いきなり結婚?」

「でも、ずっと一緒って言った」

「そうだけど」

「みのりだって、俺のこと好きでしょ? 俺、ずっと前からそのつもりでいたんだけど」


 そんなのは初耳だ。友達としてずっと一緒にいよう。と言うニュアンスで捉えていたのに。


 それがいつしか恋に変わったから、みのりは色々と悩んでいたと言うのに……。


 そんなにあっさりと愛を囁かれるだなんて、思ってもいなかった。


「嫌?」


 海斗にそう迫られて、みのりは顔を真っ赤にする。それと同時に、察した。


 これは、わかっている時の海斗の顔だ。少しだけ意地悪な、海斗の困り顔。


「嫌じゃないよ」

「そうだよね? 良かった」


 海斗はそう言うと、みのりの唇を奪った。


「えええぇぇぇっ!!!?」


 いきなり過ぎて思考が追いつかなかったみのりは、今度そこベンチから落っこちそうになってしまい、海斗に支えられる。


「これからも、ずっと一緒にいような」

「はぅ……はい……」


 2人の白い息は、今日も空中に溶けるようにして混ざり合い、霧散する。

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