第19話 王子さまが去っていく

「ふえぐ、えぐぅぅぅ。お父様大嫌い」


 アルベリヒによって強制的に手を洗われた希が全力で涙を流していた。しばらく洗われた右手と桶の水を呆然と眺めていたが、何かを考えついたのか目を輝かせ始めた。


「そうですわ! レオン様エキスが満ち溢れているこの水を保管すれば、眺めるもよし! 嗅ぐのもよし! となりますわ。私って天才じゃ?」


 周囲の目が気にならない希がブツブツと呟いていると、レオンハルトが苦笑を浮かべ希に近づくと耳元でささやく。


「ユーファ。桶の水なんて保管しなくても連絡をくれればいつでも2人きりになれるよ」


 レオンハルトの声に希がバッと顔を上げる。


「レオン様と2人きり? い、いつでも?」


「ああ、ユーファさえ望めばね」


「望みます! なんて素敵な特典。そんなコンテンツならすぐダウンロードいたしま――」


「ユーファ。学院を卒業するまで殿下と2人きりはダメだ。学生の本分は勉強だぞ。いいかセバスチャン。お前も学院に着いて行って殿下とユーファを監視するんだ。決して2人きりにならないようにな」


 ギュンダーが猛烈な勢いで希とレオンハルトの間に割って入り、一気呵成にまくしたてる。兄のシスコンが激しくなっており、ギュンダーも変わったわねー。程度に思っていた希だが徐々に辟易へきえきしていた。


「お兄様が面倒臭い父親ですわ」


「兄としての気遣いなだよ! いいか。3メートルは離れるようにしろよ」


「3メートル!?」


「え? 面倒臭い父親って私? ユーファネート。お父様の事大嫌いって嘘だよね?」


 面白くないと顔を背ける希にギュンダーが様々な制限をかけてきている。 娘に大嫌いと言われたアルベリヒはオロオロとしながら希に話しかけていたが無視されていた。


「お父様も言ってください! ユーファにはまだ早いって!」


「まあ、ギュンダーの言う通りだね。3メートルはやりすぎだが、適切な距離は必要だ」


「そんな事を言うお父様大嫌い!」


「ユーファネートに嫌われたら侯爵家は終わりだ……」


 希の言葉に打ちひしがれたアルベリヒが崩れ落ちると、涙を流し絶望の表情を浮かべる。突然始まったコントにレオンハルトは笑いをこらえており、マルグレートは呆れた表情を浮かべていた。


「急にどうしたのよ。あなたが今回の話をまとめたんでしょ」


「だって! 娘が見違えるように変わったんだよ。領地発展まで考えてくれてさ。『大好きなお父様。落花生を育てる土地が欲しいわ。お父様大好き!』と抱きついて頬にキスまでしてくれたんだ!」


「娘に土地をむしり取られてるじゃない。いつのまに渡していたの? 後で話を聞かせてもらうわよ」


 娘の可愛さアピールを力説するアルベリヒに、マルグレートが盛大なため息を漏らす。実はかなりの土地を希に渡しており、レオンハルトが帰った後、がっつりアルベリヒは怒られることになる。


 場が混沌としている中、レオンハルトはギュンダーに何やら耳打ちをしていた。最初は嫌そうにしていたギュンダーだが表情を一変させる。


「本当か!? なら俺はレオンとユーファの応援をするよ。絶対に約束を破るなよ!」


「もちろんさ。王族の威信にかけて約束は守るさ」


 レオンハルトはギュンターの言葉に頷くと右手を差し出す。ギュンターは先ほどまでの態度が嘘のように握り返していた。アルベリヒからすがられるのを適当に流していた希だったが、レオンハルトとギュンダーが熱く手を握り合っているのを見て、静かに興奮していた。


「男同士の友情。なんて尊い。薄い本のタイトルが生まれそうだわ。それにしても微笑むレオン様最高」


 そんな事を考えている希だが、レオンハルトが話しかけてきた。


「ユーファ。僕の心を君に捧げる。どんな時であっても、例え君にどのような苦難が訪れたとしても、僕が側に居て支える。僕の心を受け取ってくれるだろうか?」


 君☆シリーズ「君に心を届ける☆ 心を捧げるのは誰だ!?」の最高シーンと呼ばれるセリフ。レオンハルトが主人公ヒロインに伝えたセリフが自分に向けられている。希のテンションが完全に振り切った。3秒ほど意識を飛ばした希だったが顔を真っ赤にさせると何度も頷いた。


「喜んで! 私の心もレオン様に捧げ――」


「だらっしゃぁぁぁ! させんぞ! そんな言葉は言わせんぞ。ユーファネートはパパが守る! 殿下! まだ早いとあれほど言ったではありませんか」


 完全に二人の世界に入ろうとしていたのをアルベリヒが必死に割って入る。


「なにやってるのよアル」


「流石にちょっと引きます。お父様」


「最高シーンがスキップされた! お父様なんて顔も見たくないですわ!」


 呆れる愛称で思わず呼んでしまうマルグレート。ドン引きするギュンダー。希に顔も見たくないと言われ泣き崩れるアルベリヒ。


 地獄絵図になったので、レオンハルトとギュンダーはマルグレートによって客室に戻され、アルベリヒも自室に戻るように命令される。静かになった応接間に残る希とマルグレート。


「あなたの気持ちは分りました。殿下と共に歩く覚悟を決めたのなら、これからの教育は厳しいものになります。その覚悟はしっかりと持っておきなさい」


「はい! レオン様に心を捧げられるよう。このユーファネート頑張ります!」


 決意新たに拳を作る娘に、マルグレートは満足げに頷いていた。


◇□◇□◇□

「ユーファ」

「レオン様」


 完全に2人の世界を作る希とレオンハルト。それをアルベリヒがハンカチを噛みしめ眺めている。なにも語らず見つめ合う2人だが、御者が気まずそうに咳払いをする。そろそろ出発しないと王都への帰還が間に合わない。


「分っているよ。ユーファそろそろ行くよ」


「お手紙送りますね」


「ああ。必ず返事をするよ」


 奇跡が起こした夢。神の采配があった奇跡。そんなレオンハルトがしばらく見れなくなる。そう思うと希の心が曇っていく。


 馬車に乗り込み窓から顔を覗かせているレオンハルトも憂いを帯びた顔をしており、希と目線が合うと嬉しそうな顔をする。


「ユーファネート様。そろそろお屋敷に入らないと。お身体が冷えてしまいます」


 希にとってはかけがえのない最推しとの時間が終わった。馬車が見えなくなるまで見送った希に、セバスチャンが遠慮がちに声を掛けた。


「……」


 反応をしないユーファネートに、セバスチャンは少し考えると耳元で小さく呟いた。


「お風邪を召されると、殿下が哀しまれますよ」


「確かにそうね! ここでセンチメンタルな気分になっても仕方ないものね。ありがとう。本当にセバスチャンは優秀な執事だわ」


 希は大きく頷き、セバスチャンを軽く抱きしめ、愛らしい推しを満喫すると令嬢らしからぬ速度で館へ向かって全力で走った。

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