第3話 冒険者としてのはじまり

§




 ばんっ!

 カフェから駆け出したときよりも激しい勢いで、ハンナはアパルトマンの扉を開けた。

 築年数の古さゆえか、きしんだ気がするが考えないことにする。


「ただいまっ」


 テーブルに荒々しくマグカップとハンドクリームを置いて、チェストの前に立つ。


(たしか、一番奥にしまったはず)


 上段左側の引き出しを開ける。

 こまごまとした物が乱雑に入っていた。

 がさごそと物を避けていくと、記憶通り一番奥にグレーの袋が見えた。

 中には、一枚の水晶板。


「……」


 恐る恐る取り出し、ぺたん、と床にへたり込む。


「あった……」


 両手で冒険者証を持ち、掲げる。

 額を当てて、目を閉じた。


 筆記試験は満点で合格した。

 体力がどうしてもついていかなかった。

 それ以上に、ハンナは、臆病だった。


(これが最後のチャンス。無理だと思ったら、冒険者はすっぱりと諦めよう)


 立ち上がって室内を見渡す。

 小さなワンルームだ。

 家具は備えつけだし、生活に必要最低限の物しか揃っていない。

 壁に貼ってあるのは勇者と古代龍の劇のポスター。

 この劇の勇者に憧れて、冒険者を目指すことに決めたのだ。


(ここではないどこかで、わたしではない誰かになりたかった)


 同じ引き出しには、箱にしまったままの新品の短剣も入っていた。


 よし、と小さく呟く。

 それから、できるだけ動きやすい服に着替える。

 ベージュで長袖のハイネック、分厚めの黒い長ズボン、同じ色のブーツ。

 鍾乳洞へ行くのだから、肌は露出させない方がいい。

 短剣は腰にベルトで装着する。


「行ってきます」


 誰もいない部屋に決意表明をして、ハンナはカフェへと戻る道を急いだ。




§




「えええええ!」

「はぁ?」


 鍾乳洞の手前で、抗議の声を上げたのはハンナとリトだ。

 グランツは飄々とした笑みを崩さない。なお、それはハンナの想像であり、グランツは人語を介するとはいえ鷹である。


「だから、鍾乳洞へはふたりで行ってもらいます」

「ふざけるな。俺にガキのお守りをしろってか」

「ガキとはどういうことですか。わたし、これでも21歳の立派な大人です!」


 グランツは鷹であることを利用して迷宮に入るものだとハンナは考えていた。

 実際、リトの反応を見ると、今まではそうだったに違いない。


「気になることがあるので調べてこようと思いまして。鍾乳洞くらいなら、ぱーっと行って、さーっと帰ってこられそうだしいいんじゃないですか?」

「勝手なこと言いやがって」


(グランツさんがいてくれると思ったから提案したのに……いたたまれない……)


 ということで、既にくじけそうになっているハンナである。


「ハンナさん、ハンナさん。安心してください。主は、態度はでかいし口は悪いですが、なんだかんだ優しいですから」


 ばさばさとグランツがハンナの後ろで翼を羽ばたかせる。

 人間ならば、さながらぽんと背中を叩くような仕草だ。


「それでフォローしているつもりなのか?」

「はい。もちろんです」


 ちっ、とリトが舌打ちする。

 恐る恐るハンナは隣に立つリトを見上げた。


 不意に、紅色の瞳と視線が合う。


(静かに燃える、炎……)


「……足手まといになったら容赦なく置いて行くからな」

「はい……」


(やっぱり、ついて行くなんて言うんじゃなかった……いやいや、そんな弱気になってどうするのハンナ。がんばってみるって決めたじゃない)


 めまぐるしく後悔と決意を反復して、ハンナは覚悟を決めた。


 鍾乳洞の入口には冒険者ギルドが設置した受付がある。

 冒険者証を提示してから中に入るシステムだ。


 山の中にある珍しい鍾乳洞だとハンナは研修時に習った。

 二層構造となっていて、低層は緩やかな登り坂。スライムや、幻覚魔法を発する魔コウモリなどがいる。

 一方で、奥に進めば進むほど急勾配になっていたり道が狭くなっていたりするらしい。

 難易度が低いと言われているのは、実は低層のみ。

 最奥にはボスと呼ばれるゴーレムが待ち構えている。

 倒せば鍾乳洞でもっとも希少価値の高い財宝の在処が判明するそうだが、未だかつて踏破した者はいない。

 これも、ハンナが研修で聞いた話である。


 ハンナも無理やり奥までついて行こうとは考えていない。

 低層の終わりには出口があるので、そこから外へ出ることができるのだ。

 その出口でリトとは別れればいい。


 そう説明したとき、リトは「なら、いい。勝手にしろ」という反応を見せていた。


「ゴーレムは見なくていいんですか?」

「大丈夫です。そこまでは望んでいません」


 提案するグランツに対して、ハンナは首を横に振った。


(まずは、迷宮の中へ入る練習なんだから)


「よろしくお願いします、リトさん!」


 急に名前を呼ばれて面食らったのか、リトは顔を引きつらせた。


「ふん」

「ご武運を」

「おぅ」


 リトが軽く右手を挙げた。グランツの翼が軽く触れる。

 なんだかんだ言って、リトとグランツの関係はきちんとしたものらしい。


「行ってらっしゃい。初迷宮、楽しんできてくださいね」

「ありがとうございます。がんばります」


「行くぞ」

「ま、待ってください」


 小走りでハンナはリトについて行く。

 振り返ると、グランツが手を振るように翼を広げていた。それだけで、ハンナは少し安心できた。


 ハンナは受付の前に立った。

 研修で内側に座ったことはあるが、外側からやり取りをするのは初めてだ。


「冒険者証の提示をお願いします」


(来た……!)


 それだけのこと。

 だけど、それだけのことでも、緊張する。

 震える手でハンナは水晶板を取り出した。


「ご武運を」


 ハンナの緊張など知らない受付係はあっさりとふたりを通した。


(通れた……!)


「顔がにやけてるぞ。低層とはいえ迷宮だ。気を抜くな」

「はいっ」


 慌ててハンナは両頬を手で叩いた。

 受付を抜けると低くて短い吊り橋を渡る。足元には川が流れている。

 鍾乳洞の入り口からは冷風が吹いてきていた。

 冬の風とは違う冷たさがある。


(ほんとうにわたし、これから迷宮に入るんだ……!)


 リトには注意されたが、嬉しさのような昂揚感はとめどなく溢れてくる。

 ひとりでは入口に向かうのも恐ろしかった迷宮だというのに、出会ったばかりの冒険者と一緒だというだけで怖くない。


 当然のように薄暗いが頭上には照明が等間隔で設置されている。

 仄かに照らされた内部は艶々とした乳白色。天井からは石のつららがいくつも下がっていた。

 右側には深い青色の池が広がっている。その奥には恐らく人間では踏み入ることのできない空洞が続いている。


 じめじめとしているかと思ったが、風が吹いているからか、湿度は人間にとってちょうどいいものになっているようだ。

 水のにおい。苔むしたようなにおい。

 何もかもが、ハンナにとっては新鮮だった。


「すごい! 迷宮!」


 ハンナが叫ぶと、ぶっとリトが吹き出した。


「見たままの感想だな」

「だって、初めての迷宮なんです……」


 ハンナの頬を一筋の涙が伝った。


「す、すみません」

「そんな泣いてまで喜ぶことかよ」


 はぁ、とリトが溜め息を吐き出す。


「新しい風、か。確かにグランツの言う通りだな。あいつの薄っぺらい態度は常々気持ち悪いと思っていたが、ガキのお守りをすることで、あいつのありがたみが分かるかもしれない」

「ちょっと。思ってること、全部口に出てませんか?」

「わざとだ」


 ハンナは膨れてみせるも、リトはこういう性格なのだろうとなんとなく推し量る。

 優しくされたい訳ではないので、それ以上文句を言うのはやめた。


「すごい……」


 池には事典でしか見たことのないような魚がゆらゆらと泳いでいた。

 鍾乳洞固有のモンスターだが、人間に危害は加えてこないと習った。


 ちらほらと他の冒険者たちの姿も見える。


 池の脇をふたりは縦に並んで歩いて行く。

 会話は、ない。

 リトは長い白髪を首の後ろでひとつに束ねていた。歩く度にわずかに揺れて、照明が反射して煌めく。


(しっかり背中を見ると、ちゃんと男の人って判るんだよね)


「そろそろか」

「へ?」

「足元を見ろ」


 うにょ。

 ゼリー状の何かが足元で蠢いていた。


「ススス、スライムっ……」


 ハンナの足元にスライムがまとわりついてくる。

 ただまとわりつくだけのスライムだというのに、一歩も動けない。


 リトはわざとらしいくらいに大きな溜め息を吐き出した。それからハンナの足元にしゃがみ込む。


「よく見とけ。で、覚えろ」


 短剣で突き刺すのはスライムの核。

 しゅわしゅわ、と音を立てながらスライムは霧散して、後に小石が残された。


「雑魚だな」


 リトは小石をつまむと、ぽいっと池に放った。


「……」

「迷宮を舐めるなよ。低難易度とはいえ、一歩間違えれば命を落とすことだってある。それはモンスターに殺されるとかそういうんじゃなくて、転んだり滑ったりという日常動作が原因のこともある」

「……はい」


(…………恥ずかしい)


 情けなさよりも上回った、恥ずかしいという感情。


(あんな啖呵を切っても、今のわたしは中途半端だ……)


 ハンナは唇を噛んだ。泣きたくなるのを、なんとか堪える。


「進むぞ」


 ところがあっさりとリトは進み出した。


「えっ」

「は?」

「置いて行ったりしないんですか」


 肩越しにリトが振り返る。眉間の皺は、寄ったまま。


「馬鹿か。俺だってガキのお守りくらいできる」


『なんだかんだ優しいですから』


 ハンナの脳裏にグランツの言葉が蘇る。

 自然と、ハンナの口元は緩んでいた。


「待ってください!」

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