第4話 理想と現実

§




 水晶でできた冒険者証は、それ自体が魔法道具。

 持っているだけで幻覚魔法や軽度の毒に耐性を持てる。

 それは、子どもでも知っている事実だ。


「魔コウモリの幻覚ってどんなものなんですか」

「その冒険者証を放り投げればすぐに分かるぞ」

「絶対に放り投げませんからね!?」


 鍾乳洞内を飛んでいる魔コウモリを眺めながらのふたりのやりとりである。

 そうしている間にもハンナにスライムが近づいてきた。

 しゃがむと、えいやっと短剣を核に突き刺す。ぷすっという小気味いい音がして、スライムは小石に変わった。


「どうですか、師匠」

「……誰が師匠だって?」

「リトさんです。冒険の師匠」


 にっ、とハンナは笑顔を作ってみせる。

 リトは虚を突かれたような表情になった。


「さっきまでぎゃーぎゃー騒いでたのと同一人物とは思えないな」

「立ち直りが早いのは取り柄なんです」

「おめでたい頭だ」

「何とでも言ってください」


(ようやく目も慣れてきたし、体も動くようになってきたんだから)


 ハンナは両肩をぐるぐると回して、気合十分ということをアピールする。 

 ところが当然のようにリトは応じない。

 すっ、と右奥を指差した。


「約束は低層までだったな」 


 リトの横に立つ看板には、確かに『低層出口はこちら』と矢印が描かれていた。

 周りの冒険者たちも三分の一は低層出口へ向かって歩いている。


「ここまで見てきて分かった。これから先に進むのは危険だ。脅しじゃなく生きて帰ってこれないかもしれない」

「……」


 冷や水を浴びせられたように、ハンナの表情から笑みが消えていく。


(……そうだった。最初からそのつもりでついてきたんだった)


 ハンナだって自分が奥まで行って帰ってこられるとは考えていない。

 ゴーレムを見たいとも思わない。


(ここまで来られたのも奇跡だった。師匠がいなきゃ何もできなかった……)


 ハンナはいやというほどに理解してしまった。

 自分は、冒険者にはなれない、ということを。

 やはり、何者にもなれないのだ、ということを……。




§




「おめでとう、ハンナ。あんたにもついに春が来たのね!」

「もう。だから、そういうのじゃないんだってば」


 きれいなソプラノの歓声に、ハンナはぴしゃりと釘を刺す。


 初めての迷宮から戻ってきた二日後。

 ハンナは出身孤児院へ食事作りのボランティアをしに来ていた。

 わずかばかりだが報酬が出るし、まかないもあるので、職探しのつなぎとしては悪くない。


 今は、トマトスープを煮込んでいるところだ。

 帆布エプロンを借りて、頭には三角巾。完全な料理人スタイルである。


「吊り橋効果ってのもばかにできないのよ」


 歌うように語る女性の名は、マディ。

 孤児院出身の人気女優でもあり、ハンナの幼なじみである。


「何それ?」

「ドキドキする場所に一緒に行った相手にドキドキするっていうのは、場所込みの効果ってやつ」

「意味わかんない」


 マディはエプロン姿ではなく、今から高級レストランへ食事に行けそうなアフタヌーンドレススタイルだ。その色はレモンイエローで、シンプルながらも上質な素材だとハンナにも分かる。

 艶のある金髪は後頭部でひとつにまとめて、ゆるやかにおろしていた。


 マディはハンナを手伝おうとはしない。

 それどころか、鍋を覗き込んでつまみ食いの機会を狙っていた。


「ちょっと、やめてよ。普段いいものばっかり食べてるんだから、舌がびっくりするんじゃない?」

「この素朴な味がたまに懐かしくなるの」


 ただ、マディは手伝いこそする気はないが、毎月、孤児院へ多額の寄付金を納めているのだった。

 花の描かれた爪を眺めながら静かに呟く。


「5年ぶりに帰ってくると、ここの辛気臭さもかえって心地よく感じたりするものね」

「マディ……」


 同じ劇を見て、ハンナは冒険者を夢見たが、マディは女優に憧れた。

 そして夢を叶えたマディ。今は国じゅうで知らない者がいないくらいの人気者となった。


「あぁ、いいにおい」


 オーブンから肉の焼ける香ばしいにおいが漂ってきた。

 ハンナはミトンをつけて天板を取り出す。小ぶりのハンバーグが仕上がってきた。


 パンは近所のパン屋のもの。丸い木皿に盛り付けていく。


「何はともあれ。念願の迷宮、楽しかったみたいでよかったわ」

「うん。一生に一度のいい経験ができたと思う」

「一生に一度の出逢いでしょう?」


 今度は、ちくり、と胸に棘が刺さったようだった。

 リトとは、一生に一度、一瞬だけの邂逅だ。

 ハンナは冒険者を諦めた。

 もう二度と会うことはないだろう。


「きっかけなんて後付けなの。恋ってのはね、気づいたら、その人のことしか考えられなくなっているんだから」


 芝居じみた口調でマディは語る。

 その瞳は遠いどこか、具体的な誰かを思い浮かべているようだ。


「その人のことをもっと知りたいと思うのに、いざ、目の前にすると何も訊けなくなっちゃう……」


(マディも、誰かに恋しているんだろうか)


 ハンナが知っているのは、この大女優の初恋相手が、孤児院の院長だったということくらいだ。

 当然ながらそんな淡い恋心は叶うはずもなく、ふたりの間だけで笑える想い出となっている。


「……気になっている、っていうのは、嘘じゃないけど」


 その理由はマディにも誰にも、絶対に話せない。


 ハンバーグ、チーズ、パンにトマトスープ。

 すべての盛り付けを終えて食堂へ運ぶ。

 流石にマディも手伝ってくれたのであっという間に終わり、子どもたちを呼び集めた。


 今この孤児院で暮らしているのは13人。

 推定で3歳から17歳まで、色んな年頃の子どもがいる。全員ハンナたちとは顔見知りだ。

 真っ白な髪で腰の曲がった院長が、ハンナとマディを前に立たせた。


「今日はハンナが食事を作ってくれました。みんな、ふたりに感謝して食べましょう」

「いただきます!」

「おいしい! ハンナ天才!」


 子どもたちがものすごい勢いで平らげていく様子を眺めるのは、気持ちがいい。

 ハンナとマディは顔を見合わせて笑った。




§




 皿洗いまで終えて孤児院を出る頃にはとっぷり日が暮れていた。


 孤児院の前で、マディが迎えの馬車に乗り込んだ。

 今日は貴重な休演日だった。明日からはまた、昼夜二回の公演が続く。


「本当に送らなくていいの?」

「うん。歩きたい気分だから。またね」


 ハンナはマディを見上げて手を振る。

 馬車が見えなくなったところで、進行方向に見知った姿がいるのに気づいた。


「こんばんは、ハンナさん」

「グランツさん!? もうオクトベルを発ったかと思っていました」


 喋る鷹こと、グランツだ。


「調べ物があると言ったのは覚えていますか? 今日、ようやく戻ってきたんです」


 かなり手こずりましてね、とグランツが言う。

 その言い方からして、オクトベルを出ていたようだった。


「ところで、我が主を見かけませんでしたか」

「? いいえ」

「それは困りましたね」


 とはいえ、言葉ほど困っていないようにも見えた。

 そもそも鷹なので人間に比べると表情が判りづらいのは否めない。


「鍾乳洞は最奥まで踏破しようとすれば、数日はかかると思います。明日くらいには戻ってくるんじゃないでしょうか」

「そうですか。いやはや、実は、我々の目的が鍾乳洞にあるというのは、どうやら見当違いだったようでして」


(それって、目的がゴーレムじゃないってこと?)


 尋ねたい気もするが、尋ねて答えをもらえるとは思わなかった。

 グランツは飄々と続ける。


「調査不足を怒られてしまう前に何とかするしかありません」

「ふざけるな」

「ってね、……おや、我が主。お帰りなさいませ」


「師匠!」


 ハンナは思わず目を丸くした。

 グランツの後ろに、リトが立っていたのだ。

 ハンナが低層出口で別れたときから全く変わらない。傷ひとつついていないことから、彼の強さが判る。


「道理で。完全な徒労だったってことかよ」

「そういうこともあります。あまり気になさらないでください」


 リトがぎろりとグランツを睨みつけた。

 それから、大きな溜め息をついた。


「ま、待ってください、ふたりとも」


 一触即発の空気を感じ、ハンナは慌てて両手を振った。

 ふたりが同時にハンナへ顔を向ける。


「ふたりの探しているものがこの街にあるというのなら、わたしも手伝いますから。物心ついたときにはここで生活していたので、だいたいのことなら知っていると思いますし……」


 すると、グランツがずいっとハンナの前へ飛び出た。


「その言葉を待っていました、ハンナ嬢!」

「……え?」

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