第2話 運命は一瞬で動く

§




(間違いない。あの人のせいだ。絶対に、リト・ユヴェーレンの受付を担当したのがいけなかったんだ……)


 ハンナは肩を落としたままとぼとぼと歩いていた。

 両手に抱える荷物は少なくても重たい。実際の重たさに、気持ちの沈み込みが乗っかっているようだった。


 怪我がみるみるうちに自然治癒するような人間。

 使い魔と名乗る、喋る鷹。


 これまでの冒険履歴は本物だったのか?

 そもそも、リト・ユヴェーレンとは何者なのか?

 疑問は尽きないが誰に尋ねることもできない。

 何せ、今朝、冒険者ギルドをクビになってしまったのだ。


「はぁ……。仕事……どうしよう……」


 ハンナは冒険者ギルドから徒歩圏内のアパルトマンで一人暮らしをしている。

 両親の顔は知らない。

 物心ついた頃には孤児院で暮らしていたし、就職を機にそこから独立した。

 つまり、働かないと生活できない。職探しは喫緊の課題である。


 腹の底から何回目か分からない溜め息を吐き出して、ようやく顔を上げる。


 大きな川の向こうには別の街並みが臨める。

 この街オクトベルは王都の北にあり、山と川に囲まれている。


(いっそのことこの街を出……いや、それは無理か)


 ハンナは、ふと足を止めた。


 煉瓦造りの大劇場の前には、華々しい女優の立ち絵が飾られている。

 女優の輪郭は金色に縁どられ、背景には花が咲き誇る。

 煽り文句は『オクトベル出身マディ・凱旋公演決定!』。


 演目は脈々と受け継がれる古代劇。

 勇者と古代龍の戦いを描いた物語は国じゅうで人気を博している。


「やぁやぁ、辛気臭い顔をしてますね」


 その軽快な声がハンナに向けられているのは明らかだった。


「あなたたち……!」


 ハンナの目の前に現れたのは、リトと使い魔の鷹だった。

 リトは昨日と同じ涼し気な格好をしている。

 そして、声をかけてきたのはリトの肩に留まる鷹。


 そして、リトは不満そうに両腕を組んでいる。


(……不満で不服なのは、こっちなんですけど!?)


 かちんときたハンナは眉間に皺を寄せた。 


「辛気臭くて悪かったですね! 今朝付けで冒険者ギルドをクビになりました。今、無職でお先真っ暗なんです」


 言葉に棘をまとわせたものの、リトはまったく気にしていないようだ。


「そうだろうと思いました」


 代わりに答えたのは使い魔だった。それでも、ちっとも悪びれていない。


「ど、どういう意味……」

「もしよければそこのカフェで朝食でもご一緒しませんか? もちろん、支払いは我々が」


 そこのカフェ、と使い魔が翼で示したのは、劇場併設のカフェだ。


(ちょっと待って!? やっぱり、この人たちのせいでわたしは仕事を失ったっていうこと?)


 頭に血が上りそうだったが、ぐぅ、という腹の音がハンナを我に返す。


「めっ、目玉焼きに、ベーコンとソーセージをプラスしてもよければ!」

「何でもどうぞ。コーヒーにホイップクリームを浮かべてもいいですよ」

「……その言葉、後悔しないでくださいね!」

 

 口を尖らせ、先陣を切ったハンナは歩き出した。

 カフェは朝食の時間ということもありかなり賑わっている。


 ハンナも憧れていたが価格帯が高く諦めていたカフェ。

 それが、こんなタイミングで利用できるとは。


「いらっしゃいませ。何名様ですか」

「ふたり……です」


 ちらり、ハンナは使い魔を見遣る。

 当然ながら鷹はカウントされなかった。


「こちらへどうぞ」


 ちょうどテラス席が空いていて、ふたりと一羽でテーブルを囲むことになった。

 朝の空気は、爽やかで心地いい。

 石畳の道を歩く人たちの会話はちょうどいい音楽のようだ。


 注文を済ませたところで、使い魔が左の翼を胸の前にやり、お辞儀をした。


「申し遅れました。僕の名前はグランツといいます。この無愛想に仕えている健気な鷹です」


 無愛想と呼ばれた主は、ふんと鼻を鳴らした。どうやら自覚はあるようだ。

 ハンナはもはや引き笑いでごまかすしかない。


「ハンナです。あの、わたしがクビになったのは、あなたたちが原因なんですか?」


 あまりにも直球すぎたらしい。

 ぶっ、とグランツが吹き出す。リトよりもグランツの方が、よっぽど人間らしい仕草をする。


「さて、どうでしょうね?」

「俺は知らない」


 ようやくリトが口を開いた。静かな、凪いだ口調。


(一人称、『俺』なんだ)


 ハンナにとって、それは若干意外だった。

 リトは中性的な美貌の持ち主なので違和感がないといえば嘘になる。

 むしろ、『俺』ということである種の迫力を感じた。


 お待たせいたしました、と店員が三人分の食事を運んできた。

 ハンナにはパンケーキと目玉焼き、ベーコンとソーセージのスペシャルセット。

 飲み物は温かいカフェオレ。

 ごくりとハンナは喉を鳴らした。


「ゆ、夢にまで見た、スペシャルセット……!」

「よかったですねぇ」


 一方でリトが頼んだのは、ブラックコーヒーだけだった。


「朝は食べない派なんですか?」

「……元々、食事自体が好きじゃない」

「???」


 ハンナは疑問符を顔いっぱいに貼りつける。


「主のことは、あまり気にしないでいいですよ」

「はぁ」

「とりあえずお召し上がりください。話はそれからで」

「もちろんですとも」


 パンケーキは薄くもっちりとしていて、バターが染み込んだ部分が口のなかでじゅわっと広がる。

 目玉焼きの黄身は途中で崩して、こんがりと焦げ目のついたベーコンをからめて食べる。


「ん~~っ! 最高……」


 ソーセージは半分に切ったところから肉汁が溢れ出てくる。

 肉汁すらもったいなくて、ハンナはパンケーキの切れ端に染み込ませた。


「美味しそうに食べますね」

「人生の楽しみの大半は、美味しいものを食べることだと思っていますから」


(それに、これから職探しをしなきゃいけない。そのためにはエネルギーを貯めなきゃ)


 そしてあっという間にハンナの前のプレートは空になった。


「はぁ、大満足……」


 カフェオレをすすり、目を見開く。


「このカフェオレっ、信じられないくらい濃厚で美味しい」

「それはそれは」


 先ほどまでの怒りはすっかり収まってしまった。

 だいたい悩んだり怒ったりしても、満腹になれば落ち着いてしまうのだ。


 初対面にもかかわらず、ひとりと一匹はそれを見越していたかのようだった。


「では、改めて説明します。我々は世界を旅してとあるものを集めている冒険者です」


 話を切り出したのは当然のようにグランツだ。

 周りの誰も、鷹が喋っていることに気づいていない。

 敢えてハンナもつっこまないことにする。


「それが何かは言えませんが、集めること自体が危険に晒されるようなものあることは確かです。まさかあなたを巻き込んでしまうとは思ってもみませんでした。主に代わって謝罪します」


 グランツの飄々とした感じが一瞬だけ消える。

 そして器用なことに、リトの懐から封筒を取り出してテーブルに置いた。


「これは新しい仕事が決まるまでのつなぎだと思って受け取ってください。我々からの、せめてもの気持ちです」


 ハンナは差し出された封筒の厚さを見てごくりと喉を鳴らした。

 さらに、中身を見て思わず悲鳴を上げそうになった。


「……!」


(ぱっと見てもわたしの年収分は入ってる。このひとたち、何者なの……?)


 確かに、これだけあれば当面は生活には困らない。職は失ったが魅力的な提案だ。

 ただこのお金をまだ受け取ることはできない。

 ハンナは顔を上げた。


「リトさんたちはどの迷宮へ行くつもりなんですか」

「西側にある鍾乳洞ですね」


 鍾乳洞は、オクトベルでは難易度の低い方の迷宮だ。

 そんなに強いモンスターもおらず、初心者でも踏破できるのを売りにしている。


「鍾乳洞、ですか」


 ハンナは両膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。


「あのっ」


 心臓がどくどくと波打っているのが分かる。

 クビを告げられたときとは違って、どんどん熱を持っていく。


「わたしも連れてってもらえませんか!」

「はぁ?」

「おやおや?」


 リトとグランツが同時にハンナを見た。

 ハンナは両手で封筒を突き返す。


「このお金は要りません。その代わりに、わたしに迷宮の歩き方を教えてください」

「冒険者証はお持ちなんですか?」

「はい。……お恥ずかしいことに取得してから一度も使ってはいませんが」


 何度も迷宮へ入ってみようとしたが、臆病さが上回って、いつも入口で帰ってしまっていた。

 だからこそ閃いてしまったのだ。


(これは、千載一遇のチャンスかもしれない……!)


 ハンナは膝の上で拳を握りしめる。

 瞳が潤んでいる気がするが、きっと気のせいだ。

 ここでどうにかして、主張を押し通したい。今こそ、きっと人生の岐路に立たされている。いろんな意味で。


「これは面白いことになってきましたね?」

「おい、グランツ。正気か」

「無愛想な主との二人旅に飽きていたので、そろそろ新しい風を感じてみたいと思っていたんですよ」

「……貴様……」


(このふたり、主従関係が逆転してない?)


 軽妙なやり取りには年季を感じさせられる。

 グランツが首を傾けた。


「主には常識も生活能力もなさすぎて、僕がついていないと何もできないんですよ」

「どうしてわたしの考えていることが分かったんですか」

「ふふふ。さて、どうしてでしょう」


 リトはリトで、眉間に皺を寄せて目を閉じている。


(説得するチャンスは今しかない)


「不運にも無職になってしまったので、これまでできなかったことに挑戦してみたいんです!」


 ハンナは一息にまくしたてた。

 これまでできなかったこと。もしかしたら、人生が大きく動くかもしれない。そんな予感があった。

 もし、うまくいけばの話だが。


「冒険者証を出せ」

「……!」


 それはリトからハンナに向けた初めての言葉だった。

 だからこそハンナは一瞬固まり、すぐに我に返る。


「い、家にあります」

「さっさと取ってこい。早くしないと置いていく」

「……! 分かりました。ありがとうございます!」


 勢いよくハンナは立ち上がった。

 そして、一目散に駆け出した。

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