天井に張り付くジジイを俺は老人と認めない

「ただいまー」


部活が終わったあと、バイトが無い日はそのまま家に帰る。


住宅街の一部となっている一軒家の鍵を開け、学生一人が暮らすには贅沢なリビングスペースに舞い戻った。


「きゅうけ〜い」


課題は部活の時にやったし、普段やっているゲームのイベントももう完走した。


そんな俺がすることといえば、夕飯を作り始める19時まで惰眠を貪ることだ。


ふはは、ふかふかのソファに倒れ込んで惰眠を貪ることに勝ることなどあるまい。


習慣になっているためすぐにまどろみの中に俺の意識は呑まれていった。



睡眠中



睡眠中



睡眠中



……覚醒中



「……6時57分。起きるか」


約30分ほどの休眠から目覚めた俺の次の仕事は、夕飯の準備だ。


今日は昨日買った人参、じゃがいも、牛肉を使ったカレーを作る。


エプロンを装備し、包丁とまな板を取り出して、俺は調理を開始した。



「ん…?」


材料を鍋に入れグツグツと煮込んでいると、ポケットに入れていたスマホが震えた。


画面には「日野一夏 さんからの着信」と表示されている。


「もしもし」


『あ、綾くん? 今ちょっと時間あるかな?』


「ああ、ちょうど夕食のカレーの煮込み待ちだから電話で話すだけなら。何か用?」


『実はこれと言って用はないんだよね。まだ千冬は来てないし、暇だったから話せるかなって』


「ふむ、俺に雑談を求めるか?」


特に何も話すネタがないんだが。部活で大体話したいこと言っちゃったし。


『あはは…そうだよねぇ。綾くん、トークスキル低いから』


「もうちょっとオブラートに包んで?」


『えーっと、じゃあ今週末の話でもする? 千冬の部屋と綾くんの家のどっちに遊びに行くとかさ』


「ああ、うーん、でも来週末には部費争奪戦だろ? 今週末は作戦会議みたいな感じで集まると思う」


『あ、そうなんだ。私達は初参加だからちょっと緊張するな』


「ちなみに優勝して部費もらえたら皆の欲しいもの一人一個買ってもらえるよ」


『必要経費が少ない探偵部ならではの賞品だね…』


「頑張ろうね」


『うん! 1年生の二人も入ってくれると嬉しいんだけど、難しそうかな』


「異能部が気に入ればそっちに行くだろうし、なんともいえないと思う。宮部さんはこっち来るんじゃないかな。話すの苦手そうだし陽キャの集まりの異能部はキツそう」


『そっか、ちなみに二人が入部しなかった時の探偵部の勝率は?』


「勝負は時の運って言葉もあるし、一概には言えないかな」


『愚問だったね』


「でも千冬と一夏も居るし、周りからの警戒度は上がるだろうね。それを抜きにしても、二人が居てくれるなら心強いよ」


『…うん。ありがとう』


「あ、そろそろカレー煮込み終わるから。また学校で」


『うん、無理に雑談してくれてありがとう』


「全然無理してないよ。一夏が聞き上手だったし」


『ならいいけど。じゃあね』


そう言って通話が終了する。


グツグツと煮えるカレールーの火を止め、食べる分を皿によそって残りはタッパーに詰めて冷凍保存。


「頂きます」


ご飯とともにいただく。うむ、今日も美味しく作れた。


食べている途中で、スマホが1件の通知を表示する。


『件名:今日もやるぞ』


俺はそれを横目で見て黙々とスプーンを動かし、まもなく完食する。


「ご馳走様でした」


食器をシンクに持っていき洗剤で洗うと、俺は自分の部屋に戻った。


俺の部屋は2階の階段を上がって左手前の扉を入った所にある。


奥にベッドが置かれ、右側には勉強机、その横に参考書や教科書を入れる本棚。


その向かいにはクローゼットがあり、何着か服が入っている。


それ以外、何もない。


多分世の学生からすれば質素なものだろう。


前に千冬と一夏が遊びに来たときも「生活感がない」とか「色がない」とか言われたっけ。


特に欲しいものもないし、これと言って室内趣味があるわけでもないのでこうなっていしまっているだけ。


「ふう…」


箪笥から運動に使う動きやすい服を選び、それに着替える。


「あ、返信しないと」


俺はスマホで先程のメールに『今から行く』と連絡する。


「日々是訓練也って、ね」


部屋に設置された窓を開けると、煌々と照らされる外の景色が目に映る。


俺は窓の枠に足をかけ、家から飛び出した。


バイトがない日は必ず行う異能力の制御訓練。


まず、分子の座標を固定し、それを足場にして空中を走る。


ただ、家がある場所はその家の屋根の上を走る。


その際に音が出ないように、自身の周囲の分子を固定。


人に見られるとマズイので理能力の身体強化をできるだけ引き上げて最速で目的地を目指す。


「よっと」


たどり着いたのは街中にある一軒の道場。


裏口から中に入ると、道場特有の厳粛な空気が肺を満たす。


「来たよ、じいちゃん」


先程俺にメールを送ってきたのは、この道場の師範代である俺の祖父だ。


日中は門下生に稽古をつけているのだが……バイトのない日は俺が夜に空色流の稽古をつけさせてもらっている


「じいちゃん?」


あたりを見回してみるが、じいちゃんの姿が見えない。いつもは道場の真ん中で座禅をしてるのに――



――その時、背後上方から殺気。


「っ!」


咄嗟に振り向くと、天井に人影が。


「……な、なにしてるのさ。じいちゃん」


そこには、俺の祖父、第31代空色流体術師範代、帝堂ていどう献盛けんせいが天井に張り付いていた。


「はっはっは、よくぞ気づいたな孫よ。セイッ!」


そこから飛び降りて、俺に踵落としを蹴り込んでくる。


「重ッ…! ラァ!」


両腕を交差させてそれを防ぐと、回し蹴りで距離を取ろうとする。


「甘いわ! 大雑把になっておるぞ!」


しかし、その蹴りは宙を舞ったじいちゃんに躱され……更に伸ばしきった脚の上に着地した。霞を食らう仙人が如く、全く重さを感じない。


「フンッ!」


「あべしっ!」


顔面に向けて放たれた素早い前蹴りが俺を打ち抜いた。


衝撃を受けて後ろに吹っ飛ぶ俺。後ろ受け身を取って体勢を立て直すと、飄々と立つじいちゃんに話しかけた。


「どうしたんだよじいちゃん。急に天井に張り付くなんて」


「はっはっは、実は今日ガキどもに稽古をつけていたら、スパイダ◯マンの映画を見たというガキがおってな。俺に真似をしてほしいというから理力で天井に貼り付いていたのだが……これがなかなか子供受けが良くての」


「それでずっと天井に?」


「戦闘でもこれは使えるのだぞ? 天井を自由自在に歩くことができれば手数が倍に増える。理力の制御訓練にもなるし…ほれ、綾もやってみろ。今日は天井に張り付いて稽古だ!」


「えぇ…まあ、やってみるけど」


じいちゃんは簡単にやっているが、放出する理力の調整がとてつもなく難しいと思う。


イメージは、接地面を放出した理力でつなぎ合わせるイメージだろうか。


理力が少なすぎると、壁や天井に張り付いてくれない。


理力が多すぎると、逆に壁と足が強固に固まるせいでスムーズに動くことが困難になってしまう。


その絶妙な理力加減を掴むのにどれほどの時間がかかるのか…


まずは『伴走者ペースキーパー』で落ちないように固定しつつ、やるか。


「あ、ちなみに容赦なく攻撃していくからな。覚悟しておけよ」


「この、鬼畜ジジイー!!!」


そこから1時間、理力の制御に苦労しながら容赦なく降り注ぐ乱撃に耐えながら、ついに俺は1分ほどの間だけ異能力なしの理力制御のみで天井に張り付くことが出来るようになった。



「ぜえ…ぜえ…、じ、じいちゃん、容赦がない」


道場で大の字に寝っ転がりながら天井に寝そべるじいちゃんを仰ぐ。


「さすが俺の孫だ。飲み込みが早かったの」


「ぜえ……以前、京都で似たような技術を使う人たちが居たから…」


「ほう…そうか、京ではそのような軽業師が。綾は手本やイメージを掴むとすぐに習得するからなぁ。じいちゃん納得」


じいちゃんが天井から降りて俺を起こす。


「学校は楽しいか?」


「愉快な仲間たちに囲まれて充実してるよ」


「そうか……昔はあんなに引っ込み思案な子が友達を作って学校を楽しいと…じいちゃん嬉しい」


そう言って大げさにじいちゃんが涙ぐむ。


「いつまでも浸ってちゃいけないな。よし、本日の稽古はここまで!」


「ありがとうございました」


じいちゃんに礼をし、空気が幾分か和らぐ。


「そう言えば、お祖母様は元気? というか最近会ってるの?」


「ここ数ヶ月は会っとらんな。何やら仕事が忙しいらしくての。もう年なんだからさっさと隠居しろと思っとるじゃが」


「そっか。あ、ところでじいちゃんに聞きたいことがあるんだけど」


「お? なんだ?」


そう言えばとふと思い出したことがあったので、じいちゃんに聞いてみることにした。


「和泉薫って子、知ってる? 多分フルコン空手だと思うんだけど」


「ほっほーう、其奴に目をつけるとは、我が孫ながらお目が高いのう」


目をキラリと光らせ、じいちゃんが顎髭を撫でる。


「和泉薫は昨年の全日本中学フルコン空手選手権の優勝選手だな。身長165cm、体重58kg、特筆すべき点は冷静な戦況判断。そして実践空手の2つの流派を使って闘うところだ」


武道の極みに限りなく近い位置に立つじいちゃんの趣味は、全国各地の才覚のある武術家の情報を調べること。その知識量は最早「歩く武術家辞典」とまで評されており、じいちゃんがその人の名前を知っている。というのはその人物がとても優れているという一種の指標みたいなものとなっている。


「2つの流派って?」


「芦原会館と正道会館。相手を受けて崩すのが特徴の芹原と相手を掴んで崩すのが特徴の正道。この2つを組み合わせたことで、奴に先手を打つと9割返される。厄介な選手よ」


「へえ」


「で、急に何故そんな事を聞くのだ?」


「もしかしたらウチの部活に入るかもと思って。後輩の育成もしていかないといけないからさ。どういうのが良いのかなって」


「ふむん。俺の見立てだと奴の空手はほど完成していると言っても過言ではないと思うがの」


「まだ高一だし。伸びしろはあると思うんだよね。いろんな技術とかを積ませたい」


「だとするなら崩しを使う理道の流派に学ぶとかだ」


ちなみに理道というのは理力を用いた武術の総称だ。じいちゃんの空色流も、一夏の日野護水流も理力を使う前提なので理道に当たる。


「パッと思いつくのは『理崩し』で有名な天崩てんほう流とかだな。知り合いの師範代がいる。頼んでさえくれればいくらでも紹介状は書くぞ」


「ありがとうじいちゃん。でもまだ和泉くんがウチの部に入るわけじゃないから。本人にも目指したいところがあるかも知れないし。機会があれば頼むよ」


「そうか。楽しみに待っていよう。そう言えば、そろそろ部費争奪戦とかいうのがあるだろう? スペシャルメニューで稽古をつけてやっても良いんだが…」


「それはもう少し後でいいよ本当に」


何かのイベントにつけてじいちゃんはこのスペシャルメニューを勧めてくるのだが、やったら死ぬ。いや、死にはしないけど翌日動けなくなる。


「む、そうか……」


「じゃあ俺は帰るね。じいちゃんも体冷やさないようにして寝なよ」


「おう。おやすみ」


軽く整理体操をしてじいちゃんに別れを告げ、道場から家に帰る。


無論帰るときも行きと同じように異能力の制御訓練をしながら帰った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

訳あって異能序列最下位な俺は、今日も学園で無双する 梢 葉月 @harubiyori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ