第3話-2



 


 男は立ち上がると手前のいすではなく、奥の牀榻しょうとうへ腰を下ろした。玲娜リーナが身構えると、男は扉と窓へ目を向けた後、一本指を唇に置いた。

 騒ぐなという無言の圧を感じる。この場の話を聞かれたくないのか。

 この房室へやで扉や窓から一番遠いのは牀榻ここしかないけれど――玲娜は遅れて男の近くに寄る。


「君も座ったら」

「いえ、私はこちらで」


 宮女が陛下の隣に着座するだなんて誰かに見られたら張り倒されてしまう。


「別にとって食いやしないさ。座りなさい」

 

 さも当然と言わんばかりの彼に玲娜は困り果てる。

 ここで押し問答をしても話が進まない。それに彼は譲る気はなさそうだ。

 玲娜はしっかり人ひとり分空間を開けて、男の隣に腰を下ろした。

 

宇恭うきょうから何と言われてここへ来た?」

「特に説明はされず、ついてくればわかると」

「はは、それはそれは。怖かったろう」


 男が牀榻に片足をあげる。何度も言うが、清月せいげつと全く同じ姿で粗野な態度を取られると非常に違和感がある。

 玲娜は男の顔を見る。

  

「あなたと陛下は、その……双胎ふたごなのですか?」

「そうなるね」


 あっさりと頷く男に拍子抜ける。


「今度こそお名前を伺っても?」 

緯浩月いこうげつの片割れ、弟だよ」


 男――浩月は肩をすくめてみせる。

 同じ容姿なのに雰囲気だけでここまで違うのか。清月が冬空であるなら、浩月は秋空だ。冷たさはないが掴みどころがなく、どこか乾いている。


「陛下が双子だとは存じ上げませんでした」

「そりゃあそうだ。隠してきたんだから」

「游国では現在陛下がお二人いる……ということでしょうか」

「そうとも言えるし、違うとも言える」


 うん、理解できない。

 浩月は「どこから話すべきかな」と空に視線を彷徨わせている。


「まあ、順を追って話すか。ここへ君を呼んだ理由だけど――」

「はい」

「君に品位ほんい正六品を授位じゅいし、りゅう貴妃の侍女に就けることとなった。あわせて、貴妃の子、秀伊しゅうい第一皇子の通訳兼、教育係のひとりとして――」

「ちょっと待ってください」


 玲娜は腰を浮かす。


「何故私が」

「貴妃の筆頭侍女琅菻ろうりんから推挙があった。加えて清月がそれを認可した。これは決定事項だ」


 玲娜は目を見開き固まる。琅菻がまさか貴妃の侍女であったとは。道理で彼女の帯紐が見慣れなかったわけだ。


「もともと皇子に語学が堪能な教師役を探していた。貴妃も何かと異国の妃や賓客と対応することが多いらしく、言葉の壁には常々頭を悩ませていると聞く。君ひとりいれば、何人も宦官を雇って側仕えにする必要がなくなるだろう」


 浩月の言い分はわかるが、異国の人間を女官に引き上げるだなんて異例の抜擢だ。


「園遊会の一件が原因でお声がけいただくことになった、ということでしょうか……」 

「うーん、それだけじゃない。君は私を見てしまっているからね」


 見てしまっている――見てはいけないものを見たときに使う言い回しだ。清月や浩月の口から時折出てくる、釘を差すような言葉。

 浩月の瞳がすうと細くなる。


「私と清月、我々が同じはらから生まれたことは世に知られてはならない」


 玲娜は知らず息を詰める。


「双子なんてもともと凶兆のしるしだ、生まれてすぐにどちらかを殺すのが普通だろう? でも私達が生まれた時、宿曜師すくようしがこの二子ふたごは竜の子、どちらも生まれながらの皇帝だと宣った。吉星きちせいのもとにあるから、どちらも殺してはならぬと言ったそうだ」


 浩月の長い指がトントンととこを叩く。


「兄である清月が皇太子となれば、片割れの私は居場所が無くなる。しかし殺すことも出来ない。国内で隠し続けることは難しいと考えた我が国は、私を内々に国外へ出すことを決めた」

 

 つつつと浩月の指が線を描く。その様子を玲娜はじっと見つめる。


「話し合いの結果、朋友国である波斯ペルシア王宮へ匿われることになった。二十二年間私はずっと波斯で暮らしてたけど、この度ようやく出番とのことでゆう国へ呼び戻されたってわけ」


 ――話が繋がってきた。


「君が私と会ったのは、ちょうど波斯からの帰国の途だったんだよ」


 あの時、玲娜は会ってはいけない影の皇帝と相見えてしまった。その後、朝廷の奥でどのようなやりとりがあったのかはわからない。ただ――玲娜は初めからのだとしたら。


「このことを……貴妃さまや琅菻さまは御存知なのですか?」

「知っている。後宮で知るのはこの二人だけだ」


 やはり。

 ならば今回は良い意味で引き立ててもらえたが、用無し、能無しと判断されていたなら――されたのやもしれない。

 園遊会で琅菻がわざわざ近づいてきたのは、玲娜を試すためだったのだ。

 青褪める玲娜に、浩月が僅かにばつの悪そうな顔をする。


「私がきっかけで君を巻き込んだんだ」

「……え?」 

「君達朝貢使ちょうこうしの一群をただの商隊だと思ったんだ。どう見ても規模が小さいし、使節団には付き物の旗がなかった。あそこで君と顔を合わせたのは、気抜けていた私の落ち度だというこだ」


 会わなければ巻き込まれなかった――確かにそうだが、彼の判断に助けられたのは事実であり、車に先に近づいたのは玲娜の方だ。 

 玲娜は浩月に向き直る。


「私は浩月さまの落ち度だなんて思っていません」

「これから一生監視がつくことになっても同じことが言えるかな」

「一生……」


 秘密を漏らさないようにということならば、今回侍女に引き立てられたのも監視のためという意味合いが強いのか。


「そこまでして隠したいのであれば、浩月さまがこうして出歩かれるのはあまりよろしくないのでは」

「そうなんだよね。でもこれも仕事だからさ」

「仕事……?」 

「私の今の仕事は、陛下と業務の一部を行うこと」


 背筋が冷えた。――今なんと言った。

 声が震えるのを堪え、玲娜は口を開く。


「つまり、浩月様は皇帝陛下のふりをなさるということですか……?」

「そうだよ。これは皇帝陛下のご意向だ」

「そんな。何故そんな無茶なことを」

「清月の在位は長く保たない」

 

 さらりと告げられたとんでもない内容に、一瞬思考が止まる。


「持病があってね。もともとは身体が強くないんだ。私が胎の中で生命力を貰いすぎたのかもしれない」


 ははは、なんて浩月は笑っているが、玲娜は全く笑えない。――これはもう引き返せないところへと連れ込まれている。

 監視だなんて言葉で片付けられない。知ったら最後、二度ともとの生活には戻れなくなるではないか。

 

「清月が帝位を継いだはいいが、持病もあっておそらく長くは保たない。私が初めから帝位を継げばよかったんだろうけど、思いがけない先帝の崩御ほうぎょで私と清月が入れ替わるのが間に合わなかったんだ」


 游国が双子を匿い続けて残した理由は、二人共がどちらも皇帝になりうる存在だったからだ。

 それを清月と浩月は実際に証明しようとしている。


「清月が帝位に就いたからには、あれが今の游国皇帝だ。もし皇子が幼いうちにたおれることがあれば、朝廷が荒れることは目に見えている」

「では、浩月さまは……」

「どうせ荒れるのなら、死ぬ前に片割れの私に移した方がまつりごとは滞らない。宰相らと清月が出した結論が、清月亡き後、私を皇帝にというものだ」 

 

 玲娜は言葉を失う。


「おそらくだが、皇子がある程度の年齢になったら私に禅譲ぜんじょうさせる腹づもりなんだろう。私はそれまでの接ぎ木だ」

「それは――」


 あまりにも浩月が不憫ではないか。

 喉まで出かかった言葉を飲み込む。部外者である玲娜が口を挟む問題ではない。

 

「今の世継ぎは貴妃の第一皇子ただ一人。今身籠っている妃が皇子を産む可能性もあるが……おそらく、立太子されるのは今の第一皇子だ。あの子は出来がいい」

「そんな方の教育係が本当に私でいいんですか」

「私に聞くなよ。判断を下したのは清月だ。清月に聞け」

 

 浩月は謳うように続ける。


「いくつもの言葉が使えて、内国に干渉できるほどの立場はない。身内がおらず多少の地位を与えても外廷にまで影響を及ぼさない人物――それが、君だ」

「遠回しにすごくけなされている気がします」

「陛下にとって君の登場は渡りに船だということさ」


 要約すると、監視ついでに都合のいい女がいるから利用してやろうということだ。こんなの使い捨てられる未来が見えている。仮に浩月がすり替わって即位した場合、口封じのために殺されるのではないだろうか。

 しかし今の玲娜に拒否権はない。ここまで一方的に話を聞かされたのだ、逃げられるわけがないのだ。断ればそれこそ殺される。

 

「あれが存命のうちは、内廷の面倒な部分は私達に押し付けるつもりらしい。私と君とで後宮の貴妃と未来の皇太子の子守だ」


 そんな言い方をされると少し拍子抜けする。

 彼の形のいい唇がくいと歪む。

 

「あの場で君が私に会った。私の顔を見た。君が後宮へ入る妃だった。園遊会で清月の前へ出た。――全てが噛み合って君は巻き込まれた。よく出来た偶然だ」

「そんな」

「これを人は運命っていうのかもよ」


 こんな運命、お呼びじゃない。玉突き事故と呼ぶべきだ。

 玲娜は顔を覆う。


「……謹んで拝命いたします」

「はは、今の君はそう答えるしかないね」


 浩月が立ち上がる。彼の長髪が肩口から滑り落ちた。


「私も君も陛下の駒だ。使い潰されないよう、互いに頑張ろうじゃないか」




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