第3話-3





「あと君は少々世間知らずなところがあるようだから、ひとつ教えておこうか」


 浩月こうげつの含みのある言い方に玲娜リーナはたじろぐ。これ以上重い内容は聞きたくない。


「なんでしょうか」

「君があれの目に止まるきっかけになった園遊会。波斯ペルシアの出だという琳美人リンびじんだったか。他の妃と揉めていたんだって?」

「そうですが」

「彼女はゆう国の言葉を理解しているはずだよ」

「……え?」

 

 玲娜は目を見張る。

 

「游国と波斯は朋友だ。私を二十年以上律儀に匿ってくれていたほどには。そんな国からわざわざ游国へと渡る姫君がこちらの言葉を理解していないはずがない」


 そんなまさか。

 なら、琳美人はわざとをしていたのか。

 

「あちらでは游国語に触れる機会は多い。商隊の行き来も多かったし、人の往来も多いからね」


 浩月の言葉に玲娜は眉を寄せる。

 何故、琳美人がわからないふりをしたのか――思いつく限りでは楊婕妤ヤンしょうよ蓉昭媛ようしょうえんを陥れるため。

 黙った玲娜に浩月が面白そうに笑う。


「君はまんまと他の妃を蹴落とすしに使われたってことさ」

「う……やっぱりそうなんだ」

「ハレムってのはどこも殺伐としてるものだからね」


 さらりとハレムという言葉を使う浩月に、そういえば彼も異国帰りだったかと思い出す。

 落ち込む玲娜は、さらに園遊会の様子を思い出す。


「ということは――あの場の陛下も琅菻ろうりんさまも琳美人の企みに気づいていたということですか?」

「うん。面倒だから何も言わなかったんだろ」

「そんな」


 踊らされていたのは玲娜だけということか。

 ――陛下も茶番はお嫌いじゃあないでしょう?

 よくよく思い出すと、琅菻がそんなことを言っていたではないか。

 玲娜を試すためとはいえ、琅菻が琳美人の肩を持つような真似をしたということは、琳美人は琅菻側――貴妃側の人間なのだろう。

 水面下で繰り広げられる攻防に溜息が出る。

 後宮の人間関係とはこんなにややこしいものなのか。もっと賢くならなければ、こんな魔窟生きていけない。 


「琅菻は見た目に反して老獪だからね」


 彼女に対してあまりいい感情を持っていないのか、浩月が顔に不快さを滲ませる。

  

沃州よくしゅう四媚しびの出は軒並み性格が悪い。嫌になるね」

「沃州?」 

「四媚は武官が多い場所だよ。あそこの折衝府せっしょうふはかなり立派でね、城内に良家も揃っているが古い家も多い。相手取るのが厄介な集まりなんだよ」

「なるほど……?」


 口振りからして琅菻も四媚の良家の生まれなのだろうが、玲娜にはいまいち理解できない。もっと游国について勉強しなければと思わされた。

  

 玲娜が項垂うなだれていると、浩月が棚の方へと歩いて行く。


「ねえ、ここに茶器はあるかい」

「……あっ! 気が利かず申し訳ありません! 私が淹れますのでお座りください」


 そういえば飲み物も何も出すことなく話をしていた。玲娜は立ち上がり浩月の横へ走る。


「一通り話は終わったから帰ってもいいんだけどさ。さっさと帰ってしまっては、人目も引くから」

「………………そうですか」

「そんな、すぐ帰れって顔をしなくてもいいだろう」


 大の男がむくれても可愛くはない。顔に出しているつもりはなかったのだけれど。玲娜はぺたりと自身の頬に触る。

 こんな状況になっている時点で十分に人目は引いていると思う。外に出るのが怖い。

 

 玲娜は棚から茶器一式を引っ張り出す。

 游国式の茶の淹れ方は習ったことがなく、他の宮女が横でやっているのを見たことがあるだけ。やり方はなんとなくわかる。が、本当になんとなくだ。

 茶器と睨み合う玲娜に浩月が揶揄からかい混じりの笑みを向けてくる。

 

「私の方が詳しいんじゃないかな」

「そ、そうかもしれません」

「……一回やってみたら?」


 やると言った手前、玲娜もはいお願いしますとは言えない。

 美味しい茶より面白さをとったらしい浩月が手を引いた。


 玲娜は茶器を手に取り、ふと思い出したことを口にする。


「先程こちらへ来られた時に、ご自身のことを褒美とおっしゃっていたのは何故ですか?」

「え? ああ――」


 浩月がにかりと笑う。


「君は私の存在なくば後宮に身を置けない。秘密を知っているから外にも出せないし、私が居なくなれば口封じに合うだろうし。でも私がいる限りは身の安全も守れるし、出世が見込める。未来の皇太子の側にいるということは将来の出世がが約束されるようなものだからね。私と君は一蓮托生、だから褒美」

「意味がわかりません」

「(デメリットはあるけど、私がいることで現時点はメリットしかないでしょってこと)」

「言葉の表現の仕方で理解できなかったんじゃありません。……どちらにせよ褒美じゃないと思います」


 玲娜がじとりと目を細めると「つれないなあ」とぼやかれた。この人のペースに巻き込まれると話がややこしくなる、覚えておこう。

 一旦諦めて会話から手元に頭を切り替える。

    

「今後、とぎのために後宮へ来るのは清月だけど、それ以外で後宮へ入るのは私だ。入れ替わっても気づかれることはないと思うから、君との間に合図でも用意しておこう」

「といいますと」

「頭を触るとか、沓音を鳴らすとか。会った時に区別がつくだろう?」

「私は判るのであれば何でも大丈夫です」


 玲娜は手元の茶器と格闘するので必死だ。游国は茶の名産地、故に茶器の種類も多い。茶海、茶杯、茶壺。湯を入れては出し、別の器に注ぎ……なんて手間の多いこと。西方はポッドとカップとポッドだけなのに。

 悪戦苦闘する玲娜を前に、しばらく考えた風であった浩月がぽんと手を打つ。

 

「なら、髪を触るでどうかな」

「わかりました」



 

 

 暫く後、玲娜が差し出した茶を飲んだ浩月が一言。

 

「おお、こんなに不味い茶を飲んだのは初めてだな」


 もっと茶の練習をしようと思った玲娜である。



 


 

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