第1話-2




 

 ――大人しく、従順に、ゆう国皇帝陛下の意に背かず。


 出立の際、イルカンド王と外交官から賜った言葉である。

 

 献上される女はおよそ二十名。年もリーナと近く、皆一様に容姿に優れた女ばかりだ。王宮の門で家族との別れを済ませ、涙に濡れた顔で馬車へと乗り込む女達の列にリーナも加わる。


 心配性の両親は何度もリーナを抱きしめ、涙ながらに見送ってくれた。妹達も泣きながらたくさんの花冠を掛けてくれた。シーリンも労るように何度も手を握ってれた。

 心残り……うん、やっぱり心残りしかない。

 大切なもの全てを置いて、リーナは母国を後にした。

 

 ともと護衛がほろで覆われた女達の車の周囲をかちで固め、その後ろを何台もの荷車が列をなす。荷車には游国へ献上する絹織物や香辛料がぎっしり詰まっており、下草に足を取られ車を引く驢馬ろばの歩みは遅い。

 豪華絢爛とは言い難いが、これがイルカンドの朝貢使ちょうこうしである。

 

 游国首都までの旅路、およそ一月ひとつき半。

 そのうち一月が游国国内を行く。道程の分量からして、かの大国がいかに大きいかを物語る。

 游国関所で驢馬から馬へと繋ぎ変え速度を上げる予定と聞いたが、それでも一月。ずっと座りっぱなしだなんて、着いたときに尻の皮がずる剥けになっていないか心配になってしまう。


 リーナは毎日幌の隙間から景色を眺めながら、持ってきた本を開く。何かしていないと、あれこれ考えて頭が破裂してしまいそうなのだ。本の中に現実逃避する目的でページを捲っていく。


「見て! 遠くに関所が見えるわ!」


 移動を始めて十三日目。

 同じ車に乗る女のひとりが感嘆の声を上げる。幌から顔を出し、リーナの方を振り返る。彼女はアイシャ。五人一台に積まれている同じ貢物仲間だ。


「すごいわよ! 砦みたいなのもある!」

「城郭だと思う。ここは華藩かはんとの国境だから、警備が特に厳しいって昨日護衛の人が言ってた」


 へえぇとアイシャが目を輝かせた。

 彼女の頭越しにリーナも外を覗く。風に一斉に葉を揺らす緑の草原、遠くの白い羊の群れ、その奥に見える積み木のような黒黒しい建物――色の対比も美しく、確かに壮観である。


「世界は広いね」

「本当にねぇ」


 リーナは持っていた本を膝に置いたまま、天井を仰ぐ。


「ね、アイシャ。游国の皇帝陛下ってどんな人だろうね」


 リーナは実はずうっとこのことを考えていた。

 貢がれる先の頂点に立つ男はどのような人間なのだろうと。男に縁遠い生活を送ってきたリーナにとって、年頃の男、しかも異国の男など未知の存在だ。

 アイシャは座席に戻って首を傾げる。

  

「確か若かったよね?」

「うん。確か二十二とか」

「ひえぇ若い。その歳でこんな大きな国を手に入れるって、どんな気分かしら」


 游国はイルカンドを百個以上並べても、更に大きいのだ。そんな大国の帝の心中推し量るなど、庶民には到底難しい。

 リーナは背凭れに身体を預ける。


「少し怖い人だって噂を聞いたから、後宮もどんな雰囲気なんだろうって思ってて」

「ハレムなんてどこも怖いんじゃない? 隣国のアーサミーナなんて血みどろらしいわよ」

「はあ……私、死にたくないわ」

「あたしもよ」


 お仕えする相手が少しでも良い人であってほしいと思うのは当然だ。たとえ顔を合わせることがないとしても、だ。


「後宮は妾とお話する機会もあるかもしれないし、リーナは言葉が堪能なんだから向こうの侍女と仲良くなれるかもよ」

「どうだろうね。でも時間はかかっても仲良く――」


 馬車がぐんと跳ねた。車輪が何か石でも踏んだのかもしれない。アイシャが体勢を崩して突っ込んできたのを支えていると、にわかに外が騒がしくなった。


「何……?」


 規則的に揺れていた馬車がいよいよ止まる。アイシャと顔を見合わせて外を確認しようと幌を捲りかけて――止めた。よくないことが起きているとわかったからだ。

 喧騒、馬の蹄の音。そして、怒号。

 この国境付近は華藩と游国の浮民が彷徨うろいている。いかにもを積んでいそうな隊列がノロノロと通っていれば、目をつけれられもするだろう。

 護衛もいるので早々おかしなことにはならないはずなのだが――リーナとアイシャがじっと息を詰めていると、突然幌が捲られた。他の女達が悲鳴を上げる。


「(こりゃあ上玉だ)」


 差し込む光を遮るように薄汚れた手がぬうっと伸びてきて一番手前にいたリーナの腕を掴む。いよいよアイシャが悲鳴を上げて床板に尻餅をついた。

 

 リーナはなんとか悲鳴を押し込めると、掴まれた腕を引き抜こうと侵入してきた大男を睨みつける。

 襟を左右合わせた特徴的な上衣。髪も瞳も黒く――そして何より言葉が游国のものだ。

 男が、かの国の人間であることは一目瞭然だった。


「(あなた達、何用ですか)」


 語気を強めたリーナの游国語に、大男は驚いたようだった。


「(アンタ異国人なのに言葉がわかるのか)」

「(だったらなんだって言うんです)」


 リーナが眉を吊り上げると、男は下卑た笑みを浮かべた。

 

「(言葉が判るなら、尚更高値で売れるな。いい拾いもんだ)」


 嘘でしょう。聞き間違いでなければ、この男、今売ると言った。

 リーナは青褪める。良いものを積んだ隊列の『良いもの』の中に、リーナ自身も含まれているのだ。このままでは献上品と一緒くたに何処かへ売り飛ばされてしまう。

 

 幌の隙間から見える光景は喧喧けんけんとしていた。賊は馬を駆っており、数がとても多い。どう見ても多勢に無勢――拉致される未来はすぐそこまで来ている。

 ならば尚更じっとしては居られない。

 ――どうしよう。

 リーナは床で震えているアイシャの服を掴んだ。こんな狭い箱にいては、何をされたものかわかったものではない。

 

 迷う間もなく、リーナはえいやと男に頭突きをかました。男の顎にリーナの頭頂部がいい感じに入った。くぐもった声を上げて、男が後ろにたたらを踏んだ。

 何かあったときは、迷わず顎に頭突きか股間を蹴り上げろ。

 昔読んだ本に書いてあったが、やっぱり正しかった。

 

 男の手が緩んだ隙を見て、腰が抜けたアイシャを引き立てリーナは馬車から転がり出た。

 

「リーナァ!」


 アイシャが情けない声を上げる。

  

 飛び出した先は混沌としていた。

 四方八方剣を抜いた男達が交戦している。血が流れるのも時間の問題だろう。

 転々と鞘が転がっている草原の合間を縫って、リーナとアイシャは駆けていく。


 もう少しで游国の関所だったはずだ。そこまで行けば役人に助けを乞える。あるいは、道行く商隊があれば――。


 リーナが左右を見渡すと、左手遠方に草原を行く馬車があった。かなり遠い――が、こちらに気づいてくれれば、もしかするかもしれない。賊がいれば迂回路を取るのが定石だろうが。お願い、誰か気づいてほしい。


「助けて!」


 リーナは馬車に向かって走りながら何度も大声を上げた。息が切れるが足を止める訳にはいかなかった。少しでも交戦状態の場から離れなければ。 

 しかし、背後から上がった悲鳴と強く手首が後ろに引かれたことで足が止まる。

 振り返ると、アイシャが先程の男に捕まっていた。


「いやぁ!」

「(わめくな。まずはお前だ)」

「(彼女を離して!)」


 リーナが庇うようにアイシャを抱くと、男がすらりと剣を抜いた。青筋の浮いた額。口から血が垂れているあたり、頭突きの際に舌を噛んだのだろう。首にひたと当てられた刃に、リーナは動きを止める。


「(死にたくなければ言うことを聞け)」


 殺されるのは嫌だ。指示に従いついて行くふりをして、隙をついて逃げるしか――いや、そもそも男達の行き先は游国だ。一度国内へ入ってしまうと、外へ出るのは容易ではない。

 ああ、どうしよう。

 この男を捻り上げられるくらい力が、自分にあったらよかったのに。リーナが俯きかけた、その時。

 

「そこで何をしている!」


 首を回すと、リーナが見つけた遠目の馬車から何人か護衛らしき男達がこちらに駆けてきていた。馬車も進路をこちらに向けたらしく、徐々に黒山が近づいてくる。

 ――助かった?

 リーナはアイシャを抱く力を緩めた。



 

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