第1話-3





 駆けつけた男達に賊が引き倒される。


「お怪我はありませんか?」


 男は游国の言葉を話していた。リーナは頷くと、深々と頭を下げた。

 馬車に先行して駆けてきていた男達は身なりからして護衛のようだ。彼らがイルカンドの応援に入ってくれたようで、賊側の手勢が押されていく。


「ほんとに助かった……」


 リーナはアイシャと抱き合って安堵の息を漏らす。

  

 そこに助けを求めた先の馬車がゆっくりと近づいてきた。主人格が乗る車は三頭立てでどの馬も毛艶が良い。車の仕立ての豪奢さは、イルカンドの車の比ではない。周りに何十名と護衛をつけ、荷馬車を多く引いている様子を見るに、相手が相当な身分であることがうかがえた。


 馬車がリーナ達から離れた場所で止まる。

 リーナはアイシャと離れて立ち上がると、主人の乗っているであろう馬車へと近づく。護衛が何事か囁き合い、馬車の天幕を捲って中へと取り次ぐ。


 すると天幕から手が覗き、ひとりの男が顔を出した。

 

「いやはや、難儀だったね」

 

 リーナは思わず一歩下がった。

 恐怖からではない、圧倒されたのだ。

 

 この男の美人っぷりに。

 

 こんな場面で何を言っていると言われそうだが、でもそう思わずにはいられない。

 歳は二十代前半くらいか。鋭さを感じる黒黒とした瞳に、それを囲う長い睫毛、形の良い薄い唇。痩身の長駆に藍色の袍がよく似合っている。滑らかな肌は日に透けそうなほど白く――まるで魔性の類だ、否が応でも目が惹きつけられる。

 

「一目散に駆けてくるから何事かと思ったよ。豪胆なお嬢さんだ」


 リーナがほうけたように男を見上げると、男はきょとんとした後、得心したように頷いた。


「ん? ああ、言葉が通じないのか」

  

 黙ったままのリーナに男が早合点しそうになるので、慌てて口を開きかけて――男の口から出てきた言葉にぽかんとしてしまった。


「(顔立ちからして波斯ペルシアの国の者?)」


 男が流暢に波斯語を話し始めたからだ。服装も顔立ちもどう見ても游国人だろうに。リーナは一拍遅れて、首を振る。


「こ、言葉は判ります。助けていただきありがとうございます」

「おお、游国の言葉が使えるのか」


 男は目を丸くすると、リーナの顔を覗き込む。作り物めいた男の瞳に心臓が跳ねる。


「どこの国の人間?」

「イルカンドです」

「イルカンド……? あー、あの小国の」


 他国の人間から小さな国だと言われるのはなんとも言えない気分になる。


「何をしにイルカンドの者が游国国境へ? 商隊か何かかと思ったんだが」

「游国の皇城へ行く途中でした」

「……王城?」


 男が眉を寄せる。

 

「イルカンド王国の朝貢使で、進貢しんこうのために――」


 彼は命の恩人でもある。名乗るべきかと口を開きかけたリーナを遮るように、男が盛大に顔を顰めた。

 

「…………面倒なことになったな」

「え?」


 男は会話を切り上げると、背後に控えていた護衛に何事か耳打ちする。

 その隙にリーナは背後の様子を確認する。

 本隊が合流してくれたおかげで賊の制圧はほとんど終わっていた。護衛同士言葉を交わしている姿があちこちで見られた。互いに言葉が通じないのか、身振り手振りのやりとりにはなっているが。

 

 男は顔をこちらに戻すと、リーナを一瞥する。


「ここから游国の関所まではすぐだ。賊の引き渡しもこちらで行うと彼らに伝えてくれ」

「わかりました」

「それじゃあね」


 明らかに会話を終わらせにきている。

 天幕を降ろそうとする男の袖をリーナは掴む。せめて名前くらいは聞いておかねばと思ったのだ。

 

「御名は」

「おや、律儀だね」


 男の口角が緩く持ち上がる。

 

「私に名はない。これからあの国で上手く立ち回るんだよ」


 上手く立ち回る――言葉の意味を考えている間に、男は腕を引いてリーナの手から袖を引き抜いてしまう。


「あと、戻る前にその裾は正した方がいい。なかなか刺激的な光景だ」


 己のスカートを見ると、太腿あたりまで裾が上がっていた。走る時に邪魔だと裾をたくし上げて帯に挟み込んだままにしていたことを思い出した。


「えっ? あっ……!」

「じゃあね、お転婆さん」

 

 ストンと目の前に降りた幕。

 会話終了の合図であった。

 護衛がリーナ達が馬車へ戻るまで付き添うと言ってくれているので、促されるように彼の隊から離れる。


 赤面しながら裾を引き下ろしているリーナに、アイシャが泣きべそをかきながらくっついてくる。

 気づけば喧騒は消えていた。

 リーナは護衛に囲まれて草原を歩いて戻る。

 

 名もなき人。いつかまた会えるだろうか。

 リーナは礼を込めて、深々と彼の馬車へと頭を下げた。




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