第1話-1 贄の少女、旅立つ





 東方の大皇国、東の覇者――ゆう国の異名は数知れぬ。周囲の異民族をことごとく平らげ数百年に渡り領土を拡大してきた、言わずと知れた極東の大強国である。

 その游国を北の隣国に、そして軍事国アーサミーナ国を南側に、加えて列強華藩かはん波斯ペルシアを東西に配置された哀れな小国――それが玲娜リーナの生国イルカンド王国であった。

 

 四面楚歌とはこのこと。東西南北全てが強国に隣接したイルカンド王国は、土地が豊かであること以外大した特徴もない農耕国であった。

 故に、イルカンドはこの四つ国の脅威に晒され続けてきた。


 今より十六年前、玲娜が生誕した年にイルカンド王国は波斯の従属国となった。交易権で揉めた結果である。その七年後には国勢が変わり、アーサミーナ国の従属国へと移ることとなったが、落ち着く間もなく、その九年後には華藩の属国へと移った。


 十六年の間に三回、従属相手が変わったのだ。 

 大国の政変、各国の世代交代、国勢の変化。

 他国の情勢に振り回される日々が続き、小国イルカンド王国は大海原に浮かぶ小舟の如く、国内を乱され続けてきた。 

 その結果、イルカンド王国内に起きたことと言えば。


 言語の多様化である。

 

 支配する国が変わる度に公用語が変わるのだ。イルカンド王族の反発も力ずくで抑えつけ、支配国は自国の利益と支配を強めるため、言語統制を行った。

 イルカンド国民はてんやわんやである。

 短い間に公用語が三回変わったのだ。昨年まで使えていた言語が翌年には新しいものに変わる、学舎の書物が一変する。役所に行ってもこの言語は使えない、などと一蹴される。

 そりゃあ頭にもくるだろう。ついていけないと、一部国民は国外へと逃亡し、一層イルカンドの国力は低下していった。


 国家解体の危機をどうにかすべく、イルカンド王族がとった最終選択――それは東方の覇者、游国の藩属国はんぞくこくとなることであった。 

 独立という道を捨て国内の安寧を優先する、イルカンド王としても苦渋の決断であった。

 

 游国を宗主国と奉り臣下の礼を尽くすことを約束する代わりに、イルカンド王国は自治を認められた。

 イルカンド唯一の取り柄であった農耕での交易は游国に優先権を渡し、游国はイルカンドを庇護下に置くという名目で他国からの干渉を跳ね除けた。

 イルカンドはようやく波斯、華藩、アーサミーナ国から開放されたのである。


 臣下としての忠義を示すため、イルカンド王国は自国から朝貢品ちょうこうひんを游国へ贈ることとなった。


 絹や塩、香辛料、そして後宮へ貢ぐための女――その女の中のひとり、それが玲娜こと、リーナであった。


 


◇◇◇



  

 麗らかな昼下り。

 リーナは自室に積み上がる本を前に吐息していた。 

 

「ねえ、シーリン。これって持っていけると思う?」


 游国へと持ってく荷を作っていたら、恐ろしい量になってしまった。持って行けて一冊や二冊がいいところなのだろうが、でも置いていきたくないのだから困ってしまう。リーナは苦悶の表情で腕を組む。

 白磁のような肌、琥珀色の瞳、波打つ濃茶の髪。勝ち気にもとれるその表情は、愛らしいというよりも美しいという言葉がよく似合う。

 見目にさほど気を配るたちではないが、少々きつい印象の顔立ちだと自覚はしている。


「お嬢様、一体何をそんなに持って行かれるんです?」


 洗濯籠を片手に自室に入ってきたシーリンが驚いた様子でリーナを見やる。端女はしための彼女は今日も山のような洗濯物を運んでいる。

 

「本よ。游国の本」


 リーナはふふんと鼻を鳴らす。


「この前、王宮に出入りしている絲綢之路シルクロードの商人から譲ってもらったの。これなら游国の文化や言葉も道中に勉強できるかなって」


 箱を覗き込んでいた手を止め、シーリンは目を丸くして瞬く。


「これ以上語学に堪能になられるおつもりですかか?」

「知識はいくらあっても無駄にはならないの。勉強しておくに越したことはないわ」


 リーナの得意分野は語学である。

 イルカンドはこの十六年、悲劇の流転を繰り返してきたことにより公用語がころころと変わっている。当然国民たるリーナもその煽りを受けてきた。

 有力商家の長女として生を受けたリーナは、教育環境に恵まれていた。識字のできない女が大半である中、リーナは幼少の頃より兄達の家庭教師にくっついて読み書きの手習いをしていた。新しいことを知れる楽しさから勉学へ目覚めたリーナはめきめきと頭角を現し、あっという間に兄達を追い抜いた。


「お嬢様が男に生まれていたなら、きっと出世なさっていたでしょうにねぇ」


 シーリンがしみじみと呟く。

 この十六年間、幾度となく聞いてきた台詞だ。

 

 周りがついていけるかと匙を投げる中、リーナはかの四国よんごくの言葉――波斯ペルシア語、チベット語、アーサミーナ語、游国語を難なく習得した。ただ楽しくて覚えた言葉。まさか貢物として游国へ贈られて、学んだことを実用できる日が来るとは思ってもみなかったが。

 

 リーナは晴れ晴れとした表情だが、対してシーリンは顔を曇らせる。


「王宮から教養があって容姿の美しい娘を集めるとお達しがあったときにはよもやと思いましたが、まさか本当にリーナ様に白羽の矢が立つだなんて……」

「仕方ないわ。そもそもこの国は女自体少ないんだもの」


 この十数年、イルカンドから他国へ逃亡する人間は後を絶たない。職のない女子供ほど、かなり早い時期に外へと逃亡している。

 リーナの家は王宮と繋がりのある商家だ。そう簡単に外へと出ることはできなかった。

 その上父がなまじ高官に顔が利くため、才媛の子女がいると周囲に知られていた。

 年若く利発、そしてリーナの家は貴族階級ではないため多少のがきく――要は、手頃で都合のいい女、それがリーナだったのだ。

 他にも似たような境遇で連れて行かれる女達がいる。仲間がいるだけで多少気は紛れるが、それでも選ばれてしまったという事実は変わらない。


「変に年上のお貴族様のもとへ嫁に行くくらいなら、外へ出た方が世界が広がると思う」

「でも朝貢品ってことは奴隷ジャーリエなのでは……」

「游国の後宮は少し違うそうよ」

「後宮!? まさか後宮へ入るのですか!?」


 シーリンが眉を釣り上げる。


「後宮だなんて若い娘の飼い殺しじゃあないですか! 入ったら最後、一生出られないんですよ!?」

「女官みたいな扱いらしいから、きっと大丈夫よ。後宮以外へ配置換えがあるかもしれないし、知ってるハレムみたいな生活にはならないはず。うん、多分ね……」


 さすがのリーナも最後の方は語勢が尻すぼみだ。

 あちらでどんな扱いをされるかわからない。父や王宮の人間にいくら聞いても、何も答えてくれないのだ。わかることといえば、リーナが尋ねると皆一様に顔を曇らせることだけ。

 察してはいけない。

 賢いリーナは自分に言い聞かせる。知らないふりをして前向きでいなければ。未来はきっとあると信じていないと、これから長い異国での人生やっていけない。


「明日は旦那様達と使用人皆でお送りいたします。出立までまだ時間がありますから、今晩はゆっくりお休みになってくださいね」

「うん、そうする」


 リーナは窓の外に広がる青空を見上げる。今日は砂埃も少なくて空気が澄んでいる。空高く雲ひとつない空はイルカンド特有の夏空だ。

 ――の国の空もこんなに青いんだろうか。

 見知らぬ土地、見知らぬ場所。シーリンに強がってみたが、きっと今晩は眠れないと思う。

 朝貢品の女はイルカンドのにえだ。歓迎もされないことだろう。


「せめて、良い人達に会えるといいなぁ……」


 リーナは荷の書物を撫でながら呟いたのだった。


 


 

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