第4話 醜さを隠して


 毎週水曜日の夕方は、悠葵はるきがマサのもとへ遊びに行くのが習慣になった。というのも、火曜日と木曜日、土曜日は学習塾に行き、月曜日は水泳とピアノ、日曜日は体操と子供ながらに悠葵のびっしりと予定が埋められているからだ。


 マサはというと、相変わらず悠葵に興味が無いらしくスケッチ・ブックか景色ばかり眺めている。悠葵から問われれば応えることもあるし、何も返さないときもある。しかし一貫して眉根ひとつ動かさないことが多い。そしてそれは、今日も同じだった。

 今日も出会い頭の挨拶を交わした後、ふたりの間に言葉らしい言葉は交わされていない。厚い雲に覆われた寒空の下、マサは只管ただひたすらに絵を描き、悠葵は学校や学習塾の宿題を進める。いったい何故一緒にいるのか不思議なほどに各々好きなことをしているのである。


「よし、おまえが鬼なー!」

「ええ……やだよう」

「ほら、数かぞえろよ!」

「……わかった」

「わー!にげろー!」

 悠葵よりうんと小さな児童こどもたちの掛け声が木霊した。悠葵は何となしに手を止め、幼い聲の方へ眼差しを向ける。鬼役の児童こどもは何だか悔しそうな、不満そうな面持ちで「いーち、にーい、」と数えている。どうやら他の児童こどもに強く意見できない性質の児らしい。ぐっと唇を噛みしめて堪えているのが傍目にも理解わかった。然し他の児たちは気づくことなくきゃあきゃあ叫んで駆け回っている。

「――……何歳でもそんなもんなんだな」

 ぼつり、と悠葵は独言ひとりごとを吐露する。マサの耳には届いていないらしい。ぴくりとも悠葵の方を見ない。悠葵は何となしにランドセルから小袋を取り出し、やおらずいっと己の握った手をマサに押し付けた。流石に少しは驚いたらしい。マサは面を上げ、悠葵に瞠目した。


「ねえ、マサさんは金平糖は好き?」

「……いや、普通だが」

「じゃあ、あげる」

 マサの口に淡青色の金平糖を押し込む。悠葵の空いている方の手には色とりどりの金平糖の入れられた小袋が握られていた。家に立ち寄らず直接この公園を訪れているわけだから、無論校則違反をしている。

「……そんなもの持ってきていたのか」

「うん。僕の好物」

「小学生のくせに渋い趣味しているね……」

 悠葵はにやりと嗤い、グローブジャングルをぐるぐると廻して遊ぶ児童こどもたちの方へ眼差しを向けた。数瞬の間ののち、悠葵は自虐めいた語調で続けた。


「だって、なんか僕みたいでさ。それを喰ってやってんだと思うと気分がいい」


「……君は、小学生のくせに達観しているというか。捻くれているというか」

 矢張り濃淡は少ないが、珍しく唖然とした様子でマサが言葉を零した。悠葵がちらりとマサの方へ目を向けると、マサは手を止めてスケッチ・ブックを眺めている。マサは静かな聲で尋ねた。

「因みに、どの辺りが似ている、と思ったんだい」

 そうだな、と悠葵は呟き、少し頭を捻ったのち応えた。


「表面がでこぼこで、見る人によって見かけを変えるところ。で、そんな醜い格好をしてるのに甘くして美味しそうにするところ……母さん達の言いなりになって意見変えてへらへらして良い顔ばっかりしてる僕にそっくり」


 しん、とふたりの間に静けさが訪れた。公園を駆け回る児童こどもたちの聲ばかりが鳴り響く。あの弱気な児は他の児たちの後をちょこちょこと、追い駆けていた。空気を読んでへらへら笑い、リーダー格の児を褒めたたたえている。

 悠葵は口の中に橙の金平糖を放り、舌で転がした。不揃いな凹凸が舌の上で滑り、じんわりと甘みが滲む。

「君は――……」先にマサが静寂を破った。「とても興味深いものの喩えをする」

「そうかな」

「君の同級生でそんな難しいこと考える、早々いないと思うよ」

 びゅうっと一吹きした木枯らしに悠葵は身を震わせた。最早もう十一月も最後の週となり、最高気温が二十度いくことはなくなっていた。更に今日は一日ずっと曇りで空気の冷たさが一層増しているように感じさせるのだ。


「あれ、夏目じゃん。こんなとこで何してんだー?」

 矢庭に、幼い少年の聲が鳴った。鈴木少年だ。誰かと遊んだ帰りなのか、自転車を引いている。悠葵は一寸言葉を詰まらせた。その大きな黒い瞳は僅かに同様で揺れ、泳いだ。

 ――笑え。

 悠葵の脳裏に日常いつもの呪文が響く。それは警告音めいた大きな音で、何度も何度も鳴る。悠葵はすっくと立ち上がり、口端を力いっぱい持ち上げる。

 ――笑え。

 ――、やり過ごせ

「……鈴木じゃん。今帰り?僕はたまたま今日は空いちゃってさあ。暇だから黄昏れてたあ」

 悠葵は奇妙なほど明るい聲を上げ、鈴木少年の元へ駆け寄った。心の臓がばくばくと早鐘を打ち、冷たい汗が額を流れる。鈴木は気に留める様子もなく、笑い聲を上げる。

「なんだそれ、うける。あーあ、じゃあお前も誘えばよかったや。いっつも放課後は用事入ってるからさ。俺は江川んで対戦ゲームしてたんだぜ。今度はお前も来いよ!」

「おう、もち。誘ってよ」

「じゃあまた明日な!」

「おーまた明日ー!」

 鈴木少年の自転車を引く後ろ姿が完全に見えなくなるまで、悠葵は口元を緩めることはなかった。


「……それ、愉しいのか」

 いつの間にか悠葵の後ろにマサが立っていた。画材道具一式は片付けられており、今日はこれで帰る算段つもりらしい。貼り付けた笑顔を解き、悠葵は問いを問いで返した。

「愉しく見える?」

「……まったく」

 悠葵はマサの方を決して振り返ることなく、独り言ちた。

「でもさ。どんなにびいどろ玉みたいに滑らかで綺麗でも、見向きされなくなったら、価値なんてなくなるんだ。それなら僕は金平糖になってみせる」

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