夢から覚めたら、一夜にして


「ねえ、作文の宿題やった?」

「『将来の仕事』だっけ?」

「あたしはケーキ屋さんだよ!」

「いいなーまだ何も決めてないや……」


 そんな話をしていた女子の一団が、わたしの方に寄ってくる。


「ねえねえ、やっぱり女優さんとか書いたの?」

「それともアイドルとか?」

「良いなー、昨夜のドラマも見たよ! お母さんすごかった!」


 やめて。


「うらやましいよ、いつもいろんな芸能人がいるんでしょ?」

「将来応援してるからね!」

「ねえ、隣の学校の子からサインもらってきてって言われたんだけど、お願いできる?」


 やめて!

 わたしはそういうのがない、普通の仕事について、普通の生活を送るの!








 ――目を開けると、飾り気のない木の天井があるだけだった。


 ぼんやりとした頭で思い出す。

 わたしは、成人の儀を受けるために、王都に来てて、それで……


「ようやく起きたか」


 その声のした方を向くと、クリスの整った顔立ちがそこにあった。

 椅子に座り、机から乗り出してこちらを眺めるさまは、朝日に照らされてそのまま絵になりそうな美しさである。

 

 ……パンをがっつきながらであることを除けば。


 

「……よく人が寝てる横でパン食べてられるわね」


「ここは俺の部屋だ。それに、お前に迷惑はかけてないだろう」


 ……えっ?


「ここ、あなたの部屋なの?」

「そうだが。他にお前を隠しておける場所もないしな」


 わたしは今、ベッドの上に敷き布団、掛け布団をしっかり身につけて寝ていた。

 で、このベッドはつまり……


 

「……!」

「……顔が赤いぞ」


「いや、だって……というか、あなたは夜どうしてたの?」

「俺は床で十分だ」


 クリスの言葉からは、感情の動きみたいなのは一切分からなくて。


 相変わらずパンを忙しく食べ続けるクリスの平然さは、逆にかっこよくさえ見えた。

 


「ほら、お前も食べろ」

 そう言って、クリスはまだパンが乗った皿をわたしの方に寄せる。


「……良いの?」

「当たり前だ。皿を片付けられないから早くしろ。それにお前、昨日ほとんど食べなかっただろ」


 その声に呼応するかのように、わたしのお腹がグ〜っと鳴った。

「ほらな」

「なんでわかったの!」


 確かに昨夜の焼き魚はとても美味しかったけど、なかなか喉を通らなかった。

 結局、わたしは三口ぐらいしか手を付けず、その後はクリスに半ば強引にベッドに追い込まれたのだ。


「……俺みたいに色々やってると、無意識に人の観察をしちまうんだよ」


 それでもなお、クリスはわたしの方に視線を向けることはしなかった。



 ***



「お前、歩けるか」


 わたしがパンを食べ終えると、クリスは皿を持って部屋を出ていき、数分後に戻ってきて発したのがこの言葉。

 そして、これを聞いてわたしは思う。

 


「……ねえ、わたしにも名前があるんだけど、名乗ったよね?」

「だな」


「なのに、ずっとお前呼びなの?」

 もちろん、わたしがそういう主張をする立場に無いことはわかっている。

 クリスは見た目20才前後、まあわたしより年上なのは間違いないだろう。


 でもだからって、一応貴族であるわたしが、呼び捨てならまだしもこれでは奴隷のようである。

 人質にだって、最低限の敬意は払われて然るべきだと思うのだ。


「ふん。小規模とはいえ、貴族様がお前呼ばわりされるのは屈辱か」

「これは貴族とか関係ないと思うのだけど」


 平民でも礼儀は守るべきだろう。

 それに前世分も合わせたらわたしの方が年上なのだ。

 むしろわたしの方が上にいるべきでは?



「そうだな。これからは貴族も平民も区別のない世になる。今のうちにお前も苦労に慣れておけ」


 苦労って何よ……


「で、歩けるか?」

「はいはい」


 わたしはベッドを降りて、両足を床につけて体重をかける。


 

「痛っ……」

 一晩寝てだいぶマシになった……けどまだやっぱり痛い。

 

 歩くこともできなくはないが……


「無理か」

 クリスはそれだけ言って、再びベッドに座り込んだわたしの前に背中を向けてしゃがんだ。


 ……え?

「ちょっと……」

「こうしないと、お前を運べないだろう」


「え……」

「お前、自分の家に帰りたくないのか?」




 ***



 一昨日来たときに初めて見た、活気のない王都の光景が嘘のようだった。

 

 庶民バンザイ! と叫びながら練り歩く集団。

 まだ朝早いのに、すでに顔を真っ赤にして千鳥足の男。

 歌を歌いながら、道のど真ん中を遊び場にする子どもたち。


 その誰もが、わたしと同じような古びた服を一枚着ているだけ。

 いくら見回しても、着飾った人間は一人もいない。

 馬車なんて、ただの一度も通らない。



 ――一夜にして王都は、平民であふれる街になったのだ。



「お前、そんなにキョロキョロするな。顔を隠している意味が無いだろ」

 頭越しにクリスの声。


 今、わたしは歩いているクリスに背負われて王都の街中を移動している。

 昨日から着ているシンプルな服に、顔を隠せとクリスから押し付けられた日よけ用のつばのない帽子を目深に被っている。

 クリスの方はずっと同じ黒いフード姿。


 

 ……これ、他の人からどう見えるのかしら。

 

 クリスの言うように貴族には見えづらいと思う。現に周りの平民の人々に紛れていても、全く違和感は無い。

 クリスの黒いフードはちょっと特徴的だし、やっぱりそれなりに地位のある平民、すなわち商人あたりに見えるのだろうか。


 クリスとわたしは、さしずめ親子……いや兄妹?


 

 ……えっ、なんか……複雑……


「どうしてわたしを背負う気になったの?」

「さっきも言っただろ。お前が痛みで歩けないのだから、こうしないとお前を運べない」

「でも……」


 恥ずかしい、と言うのが恥ずかしい。



 そのうちに、だんだん人だかりが大きくなってきた。


「あ、大聖堂……」

 わたしたちが来たのは、昨日わたしが成人の儀をしたばかりの大聖堂。


 ……ではあるが。

 正面の扉は歪んで閉まらず、少し隙間が空いてしまっているのが遠目からでもはっきりわかる。

 白で塗られた壁のあちこちが黒く変色しているのは、誰かが火をつけた跡なのか。


 昨日とは明らかに様子の異なる建造物が、そこにあった。

 

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