酒と魚と外面と


 なんとか寝かされていたベッドまで戻って、血で染まったローブから着替える。



 わたしを足蹴にした男たちが着ていた物にも似ている、最低限身体を覆えれば良いといった具合のシャツとズボン。


 窓ガラスの反射で確認する。……確かにこれなら、貴族だとは気づかれないかも。少し髪を整えたぐらいの若い女性だ。


 ……こんなシンプルな服、着るの久しぶりだな。少なくともこの世界に転生してからは、記憶にない。


 

 今頃、お父様や、兄やアンが、必死にわたしを探しているのだろう。

 

 最も、そんな場合ではないのか。

 この王都を中心に、王国全土で貴族、役所VS反乱勢力の戦いが始まっているらしい。


 大聖堂から、泊まっているマゼロン侯爵家の屋敷まで戻るのも簡単にはいかないだろう。

 もしかしたら、途中で捕まって……



 ……わたしは、一人震えることしかできなかった。



 ***



 何もできず、ベッドの上で寝転がっているうちに、いつの間にか夜になっていた。


 窓から見える中庭は、怪我人が運び込まれていたり、片やどんちゃん騒ぎになっていたり。


「おい、飯だ」


 ノックも無しに入ってきたクリスは、机の上にお盆を乱雑に置いた。


 二人分のパンと、香ばしく焼き上がった魚。……魚?



 海から距離があり、大きな川も無いこの王都では、魚の価値は高い。

 平民はまず口にすることのできない食材であり、いくらこのニッペン商会が王国有数の規模を持っているとはいえ、そう気軽に振る舞えるものでもないはず。


「いい匂い……」


 海や川が無いのは、ファイエール子爵領も同様だ。

 魚なんて、日本にいた頃以来食べてない。


 懐かしい香りは、わたしの食欲を刺激するのには十分だった。



「貴族なら、これぐらい毎日食べてるんじゃないのか」

「そんなことない。わたしの家は地方零細田舎貴族だって言ったじゃないの」


 わたしが机のところまで移動してくると、クリスはすでにガラス瓶の中に入った何かを飲みだしていた。


「……飲むか?」

 かすかなアルコール臭。……酒だ。


「いらないわよ」

 まだ15才、日本だったら未成年飲酒である。

 この国に飲酒の年齢に関する法律があるかは知らないが。


「そうか」

 クリスはわたしに向けた酒瓶を机に置くと、フォークで魚の身を乱暴にむしって口に運ぶ。


「……食べないのか?」

「言われなくても」


 わたしはもう一つのフォークを握り、魚に突き刺す。

 名前はわからないけど、日本でも見たことあるような気がする白身のやつ。多分、クリスと二人で食べるとちょうどいいぐらいの量。


 一服盛られるんじゃないか、という考えは全く及ばぬまま、身をほぐして一口。



 ……美味しい。


 ただの焼き魚なのに。

 多分、日本ならそこらへんのスーパーでももっと美味しいのが買えるだろう。


 でも、半年以上ぶりに食べた焼き魚の味は、ちょっとしょっぱいけど、それがなんだかとても効いていて。


「お前、成人になるんだろう」

「そうだけど」


「なら、家では祝いの席が設けられてるんじゃないのか? お前はその機会を逃したんだぞ」


 ……そういえば、成人の儀が終わった後は記念パーティーをやるって、お父様が言ってた。

 最も、そんな場合では無くなっているわけだが。


「でも……」

「いや、それなのにお前はどうして、そんな嬉しそうな顔をしているんだと思ってな」


 クリスに言われ、わたしは窓ガラスを見る。

 月明かりで反射する窓に写るわたしの顔が満面の笑みになっていることに、その時まで気づかなかった。


「しかも、お前は貴族だとわかったら即傷めつけられる環境に身を置いている。なんで、静かでいられるんだ?」


 ……わたしだって、好きで落ち着いてるわけじゃないのだけど。


「……まあ、ここで慌ててもどうにかなるわけじゃないし、この足じゃ動き回れないし」

 今のわたしは反乱勢力側の人質といって良い状態だ。クリスの気が変われば、わたしをどうとでもできる。

 夜の街に放り出すこともできるし、中庭で殺気立っている集団の中に放り込んでストレス発散の材料にさせることもできる。


 そうならないためには、黙って大人しくしているしかない。


 

 ――周りの顔をうかがい、外面を作る術は、(腹立たしいが)前世で嫌というほど学んだ。


「それより、この魚はどうしたの?」


 それに逆にいえば、クリスの気が変わりさえしなければ、今のわたしは安全だ。

 どうなってるかわからない外よりは、よっぽど心地良い。


「貴族の屋敷を襲撃した奴らの戦利品らしい。なんでも、地下倉庫に大量に保存されていたそうだ。大方、パーティーでも開く予定があったのだろう」


 そう言いながら、クリスは魚を忙しく口に入れ、酒を瓶ごとあおる。


「……お前は不思議なやつだ。もっと泣き叫ぶかと思ったが……」


 わたしとクリスの目が合う。



「……まあいい。食べたらすぐ寝ろ。身体が回復しないぞ」


 ……そんな露骨に目をそらさなくてもいいでしょうに。

 だけど、やっぱりクリスには、わたしをどうにかする気は、今のところ無いらしい。


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