1-1:萩之組

 鉄扉の向こうの景色。それは、街そのものだった。

 と言っても、フツーの街じゃない。広い広いスラム街・・・あの九龍城塞を、何十倍にも広げた様な、形容しがたい街が、そこにはあった。

 トタンやらベニヤやらを無理矢理継ぎはぎして造られた違法建築群、そこで営まれる何か判らない物を売ってる店・・・遠くの方には、手錠と鎖でつながれた子供達・・・いや、俺と変わらないくらいの子たちが棒で叩かれながら歩かされているのが見える。

「あの・・・」

 俺の前に立つ二人の男に訊ずねる。「ここは地獄ですか・・・?」

「は?」

 片方の男・・・俺の手に文字を刻みつけた奴が、真剣に返してきた。

「いやその、俺って死んだのかなぁ・・・って。」

「ンなワケあるかボケ。こんだけ優ししたってんのに、まーだ疑うか。ほんまに殺したろか、お前。」

「す、すいません・・・」

 マジで真剣に返してくる。これは芸人の言う”ボケ”じゃない。マジの人が言う”ボケ”だ・・・。マジで殺されるヤツだ・・・。

「アホな事言うとらんで付いて来い。」

「え、えっとー、その、付いて行きます・・・けど・・・」

 俺はなんだかこの二人の事を知っといた方がいいんじゃないか、と思って、恐る恐る訊いた。「お二人のお名前は・・・?」

「ん?あぁ、言うてなかったな。」

 件のスタンプの奴が、ソレをクルンクルンと回しながら言った。「俺の名前は”上新庄かみしんじょうな。下の名前はまぁ、機会があったら教えたるわい。」

 その後、もう一人の男の方も言った。「俺は”井高野いたかの”な。」

「上新庄さんと、井高野さん、ですか・・・」

「んで、お前は東やろ?学生証見たから分かるで。下の名前は・・・恥ずかしいやろうから言わんといたるわ。」

 個人情報を盗み見られた上に、名前を馬鹿にしてきたな。上新庄に、井高野。ハッキリ覚えたからな、俺を馬鹿にした奴の名前。


「よー聴け東。これから、俺らの本部んとこ行くからな。」

「本部・・・?」

「せや。俺らはな、本部からあそこの門番しとく様にて仕事もろとったんや。本部から。」

「あの、本部というのは・・・」

「察せやそれくらい。アレか?ガキ用にわかりやすい様に言わなあかんのか?」

「きょ、恐縮ですが・・・その方がありがたいです。」

「黙れボケ。」

 上新庄の方がスタンプで頭をボコッと殴ってきた。シンプルに痛い。

「す、すいません・・・」

「謝んねやったら最初から訊くなや。とりあえず今は黙って付いてい。それでええんや。」

 俺の態度にイラッとしたのか、スタンプをぶんぶんブン回しながら上新庄が歩いて行った。

「アイツ、ちょっと短気やねん。まぁ、付いてい。」

 と、殴られたところを押さえてた俺に、井高野の方が言ってきた。大阪弁にはある程度理解があると思っているのだが、明らかに上新庄と井高野とで言い方が違う。この二人の内なら、信頼するなら井高野の方だろう。というか、殴ってきた奴なんて信頼するワケない。


 上新庄が先を歩き、その後ろを俺と井高野が歩く。スラム街の中の商店街の様な場所を抜けているようだ。人も溢れるほど多く、声もうるさいほどに行き交う。

 今なら上新庄に殴られる事も無いだろう、と思い、小声で井高野に訊ねた。

「それで、その、新世界ってのは・・・」

「ん?あぁ、この街の事や。」

「いやその、マンホールの下にこんな街があるとは・・・」

「それに関しては、本部で話聞いた方が速いわ。」

「はぁ・・・。」

 俺と井高野が話していると、それに気づいたのか、上新庄が振り向いて叫んだ。

「おいこらァ!お前ら何しとんねん!はよ付いて来んかい!」

「はよ行かな、俺もど突かれそうや。いくで、東。」

「あ、はい!」

 まだ、なにがなんだかわからない。とにかく、本部とやらに行くしかない。これ以上喋って上新庄に殴られる・・・もとい、ど突かれるのも御免だ。今はただ、黙ってついて行くか・・・。


「ここや。」

 上新庄が止まった。目線の先には、立派な・・・なんというか、立派というか、ちゃんとしすぎて周りから浮いて見える建物に着いた。表札には、”萩之組”と墨で書かれている。

「あの・・・組って・・・」

「なんや、ここは学校とちゃうぞ。」

 俺が訊こうとすると上新庄が食い気味に言ってきた。これが大阪人のノリなのか・・・?

「いやその、ここはいわゆる・・・」

「まぁ、ヤクザに近いわな。」

 いとも簡単にそのワードを出してきた。つまり、俺は今からヤクザの元締めから、何かされるか、何かさせられる、という事である。

「お、なんやようやく慣れてきた様やな。」

 色々と理解して血の気が去った俺の方をあのスタンプで小突いてくる。ど突かれるよりはマシか。

「うちら”萩之組はぎのぐみ”は、この新世界の西あたりを大体シメとるんや。そんな固くならんでええで、高校生。」

「と、言われましても・・・」

「うし、ほないくか。」

 上新庄はスタスタと前を行く。今からヤクザの事務所に入ると考えると、まだ寒気がする。

「そんな怖がらんでええよ。取って食わんし。大丈夫やから、行こか。」

 一方で井高野の方は俺にそう声をかけてくれた。だからと言って、励ましになるワケでもないが。


 事務所の中は外と違って清潔だ。なんなら、ロビーというべきか、入口を入った所の部屋の隅には空気清浄機まで置いてある。なのに、上新庄も井高野も、ガスマスクは外さない。不思議だ。

 そんな風などうでもいい事を、今は考えていた。そんな余裕を持てるのは、今の内だけだ。心を軽く、落ち着かせるなら、今しかない。

「ほんで・・・ここや。」

 先を歩いていた上新庄が立ち止まった。目の前の扉の上には”組長室”と書かれている。

「あ、あの、マジで、あの、俺、大丈夫・・・」

「怖がるな言うてるやろボケ。」

 組長室の前だからなのか、上新庄も小さめの声で言いながら肘で小突いてきた・・・個人的にはど突かれたと思ってるが。

「ええか、今からお前は黙って話聞いとったらええんや。それだけで事が済むんや。」

 ヤクザの事務所で、黙って話を聞いてるだけで事が済むとは思えないのだが・・・

「失礼します。」

 俺がまだあたふたしていると、そんな事はどうでもいいのだろう、上新庄は丁寧にノックをして声をかけた。すると中から、

「入り。」

 と、女性の声が聞こえた。

「行くで。」

 上新庄の静かな号令と共に、ドアは開かれた。

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