第44話黒い翼は彼女の魅力

「ルキウスがあんだけ動いてたって事は、天国も相当やべぇな」

 

 一方、煉獄では。サタンは消えた天秤から、天国の方向へ視線を動かした。隣では腹部から血を流した状態のクロムが軽く頷き、同じく天を見あげている。

 

「あとはローズの防護壁シールドの強度と、天国の「武器」がどの程度かによりますね」

「使用に厳重な決まりってことはそれなりの威力はあるはずだが……傷は痛むか?」

「内臓の損傷が激しいですね。痛みはどうでもいいですが、動きは鈍くなるかと思われます」

「他人事みたいに言ってんじゃねぇよ。ったく、庇うなっつったじゃねぇか」

「すみません。結局何も守れなくて」

ねんな。ルキウスは……惜しい事をした」


 サタンは心底残念そうに言った。先ほどまでルキウスの瞳と同じ色合いだった空は、もう茜色に染まっている。もうすぐ日没という事は、そろそろ天国での戦いも激しくなってくる頃合いだとふたりは予想していた。


「これ以上優秀な奴を失うわけにはいかねぇ。どうにかしねぇとな」

 

「十三条違反をした悪魔たちが一斉に地獄に堕ちるのが日没ですから、奴も焦っているはずです。こっちも急いでケリをつけて天国に向かわないと」


 クロムがそう言って、カイルを見る。ふたりがこんなに悠長に会話をしているのは、彼がすぐに向かってこないとわかっているからだ。再会を果たしたカイルとミアが熱い抱擁を交わしているのを見て、サタンが呆れの溜息を零す。


「ドラゴンの関係で接触したのは知ってたけど、まさかそこまで親しくなってるとはな」

「親しいどころではなさそうですが……」

「ケルベスの最強駒クイーンだと思ってたらミアの騎士ナイトってまさかのオチか」

「今朝喧嘩したそうですから、煉獄ここに来てからクイーンに転職したんでしょう」

「傍迷惑なケンカだなぁおい」


 サタンは黒い剣を足元に創り出した闇の中に放り込み、カイルの元へと歩いて行った。すぐにクロムも続く。こちらからは攻撃できないのだし、カイルに戦う意志が無ければ人間界に帰ってもらえばそれで終わりだ。但し人間界で寿命が尽きれば、地獄行きは免れないが。

 

「おい。感動の再会は済んだか? 話があるんだが」

「魔王……ミア、ちょっと待っててくれ」


 カイルはミアの藤色の髪を名残惜しそうに撫でて、サタンの前に立った。すぐにミアが誤解を解こうとカイルの手を取る。


「カイル。違うの、魔王様はね……」

「何でお前が様付けで呼んでんだよ。魔王は敵なんだろ?」

「敵? 誰がそんな事……」

「魔王は天使と人間の敵なんだ! お前だって魔王に……」

「違うよ! ねぇカイル、話を聞いて」


 ミアはサタンを庇う位置に立ち、消していた黒い翼を大きく広げた。今まで彼には見せたことのない、蝙蝠のような黒い翼。カイルが驚きのあまり目を見開いて固まる。その反応を見て、ミアは悲し気に瞳を伏せた。


「ごめんなさい……」


 こんな事になるのなら、早く正体を告げていればよかった。自分が悪魔だと先に知らせていれば、それが原因で離れる事にはなるかもしれないが、少なくとも煉獄で悪魔を虐殺しようなんて思わなかったはずだ。


「早く言えばよかった。私は……」

「……なんで……」

「え?」

「似合わねぇ……」


 その時カイルが思い出していたのは、ケルベスの婚約者の話だ。白い翼が黒くなった。きっと今目の前にいるミアも、もとは清らかな白い翼を持っていたに違いないとカイルは思ったのだ。そして、ミアをそんな姿にしたであろう魔王への憎悪を込めて、カイルは思い切り叫んだ。


「こんな翼、ミアには全っ然似合わねぇんだよ!」

「ひどいっ!」

 

「(うわぁ……言いやがった)」

「(思ったよりも酷いですね……)」


 ミアは大きな瞳を潤ませ、サタンとクロムのいる方へ歩いて行った。悪魔の女性への禁句ナンバーワン「翼が似合わない」を素で言い放ったカイルに、ふたりは引いている。そして、ミアに多大なる同情のこもった視線を向けた。

 

「(あー……元気出せよ。今度何か奢る。肉か?)」

「(お肉……あとお酒も)」

「(酒はクロムが付き合うから)」

「(何故俺が)」

「(せんぱい、似合うって)」

「(あ……あぁ……言ったな)」

「(口説いてんじゃねぇか)」

「(誤解です)」


 緊迫した戦闘の最中とは思えない、いつもの会話。しかしミアが涙目だったことにより、話を聞いていないカイルの勘違いは加速した。


「ミアを泣かせてんじゃねぇ!」


 聖剣が白く光る。再び勢いよく振り下ろされた聖剣とサタンとの間に氷塊を置き、クロムはミアを抱えて飛んだ。サタンは大きく後方に跳んで、再び黒い剣を取り出す。


「泣かせてんのはお前じゃねぇか」

「俺はミアを泣かせたりしねぇ!」

「してんだよ。話聞けよ」

「うるせぇ、早く元に戻せ!」

「元って何だよ。落ち着け、そして帰れ」


 ガキンガキンと金属音を響かせて、二つの剣の間に火花が散る。勇者の力強い攻撃に、サタンの正確な防御。サタンからの反撃がただの一度もないことにも、おそらくカイルは気づいていないのだろう。


「お前の彼氏は恐ろしく短気だな」

「ごめんなさい……こんな事になるなんて」

「お前の恋愛事情に口を出すのは不本意だが、あいつはやめたほうがいい」

「か、カイルだって、悪いひとじゃ……」

「それはわかっている」


 クロムはミアを離し、ミアは小さめの黒い翼をパタパタ動かして宙からカイルを見下ろした。魔王を睨む鋭い瞳、彼はこうしてドラゴンも殺したのだろうか。


「戦う前に、考えるって言ってたのにな……」


 ミアは、いつか酒場の前で交わした会話を思い出した。守るために戦うと言っていたのに、彼は大切なものをことごとく壊していくばかりだ。しかし、彼ばかりを責めることはできない。彼がどうやってここに来たのかはわからないが、こんな事になったのは自分が正体を明かさなかったせいなのだ。そして彼を止められるのも、自分だけ。


「カイル、やめて!!」

「ミア!」

「危ねぇっ!!」


 見ていられなくなったミアが飛び出し、カイルが思わずミアを見た。途端に隙が出来たカイルの首元に触れる直前で、サタンが剣先をぴたりと止める。


余所見よそみすんな! 首ね飛ばすトコだったろぉが!」

「お前の剣なんて余裕だっての」

「お前っ! 俺がどんだけ手加減して……くそっ、十三条がなけりゃ……」

「サタン様、それは禁句です」


 思わず本末転倒な事を言いそうになったサタンをクロムがたしなめるが、実際はクロムも同じようなことを思っている。しかしカイルは十三条など全く知らない。彼が知っているのは天使と悪魔が戦争をしている事と、魔王が多くの人間の魂を地獄に堕とそうと企んでいる事。そして天使だと思っていたミアの翼が黒くなっていると言う事実だけ。ほぼ捏造の噂だが、彼は全て信じている。

 

「カイル、もうやめて。お願い……もういいから……家に帰って、一緒に熊解体しようよ。手伝うから」


 ミアはカイルの前に降り立ち、彼の手を握った。今朝交わした何気ない会話の続きに、カイルの表情が和らぐ。小さめの黒い翼がミアの小さな背中に畳まれていくのを見て、カイルはおそるおそる問いかけた。


「ミア……いいのか? その翼は……」

「うん。これが私だもの」


 ミアはカイルの目を見て頷いた。その誇らしげな態度を見て、カイルははっと目を見開く。もし彼女の翼が、最初から黒かったのだとしたら。そうだとしたら、自分は何のために戦っていたのか。


「もしかしてお前……」


――ドスッ


 最初から彼女は悪魔だったのか。自分はまた、考えが足りなかったのか。そう問いかけようとしたカイルは、ミアの身体目掛けて飛んでくる黒い物体を目にして言葉を止めた。あまりの速さに反応する間もなくそれが身体に突き刺さる鈍い音が聞こえ、彼女がゆっくりと前に倒れてくる。


「ミア……?」


 抱き留めると、彼女の翼の下あたりに固いものが刺さっているのがすぐにわかった。カイルは震えた手で、血に塗れたそれを握って抜いた。軽く扱いやすい小さなナイフ。鋭い漆黒の刃は、魔王の剣と酷く似ていた。


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